mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

道学者みたいなことを口にするご時世

2014-06-15 20:02:09 | 日記

 明日から旅に出るので天気予報をみようと、朝TVをつけたら、[イングランドvsイタリア]のサッカー試合を中継している。天気予報の時間になっても、そのまんまだ。NHKのBS1じゃない、通常放送の番組だよ、それが。とうとう朝7時にニュースもやらない。なんということ。サッカーの試合に放送権を得たからであろうが、サッカーファンばかりじゃないんだよ、NHKの受信料をふんだくられているのは。腹が立った。

 

 伊佐沼にレンカクが来ていると、鳥情報がカミサンのケイタイに入った。ではというので、見に行った。沼の北側に蓮のいっぱい生えたところあたりに、百人を超える人たちが三脚を据えて、あるいは望遠鏡で、あるいは望遠レンズで沼の方を見ている群れがあった。そちらへ行くと、カミサンは顔見知りが何人かいて、ご挨拶をして、先ほどまでいた、人の数に驚いてか飛び立ってどこかへ行ってしまった、とレンカク情報を仕入れてくる。

 

 日差しは強くなる。何羽ものアジサシが飛び回っている。ときどき上空から垂直に水面に向けて飛び込む。魚を狙っているのであろう。鳴き交わしているのもいる。つがいをつくっているのであろうか、沼の中に立てた杭に止まって同じ方向を向いた2羽が休んでいる。

 

 別の鳴き声が聞こえる。あれは何の声? と尋ねる。カイツブリらしい。ピョコと湖面に顔を出す。ずいぶん離れているがヒナだという。双眼鏡を覗かせてもらう。一カ所に固まってはいないが、沼の中に何羽もいることに気づく。ハスの葉陰で営巣でもしているかと探してみたが、見つからなかった。

 

 大きな鯉が跳ねる。ボーッ、ボーッとウシガエルの声が響く。ツバメが飛び交う。カルガモが大きな体を重そうにして上空を飛んでいる。レンカクは戻ってこない。

 

 1時間近く待って、帰ることにした。車に乗るとちょうどサッカーの[日本vsコートジボアール]戦がはじまったばかりだ。TBSラジオはサッカー試合を放送していない。やるじゃないかって、褒めるようなことではないか。ただ単に放送権料が払えなかっただけかもしれない。でも、放送の担当者は、サッカーの試合に食われないように懸命にしゃべっている。

 

 途中コーヒー屋に寄って、今月分のコーヒーを買い求める。NHK浦和放送局のすぐそばにお店がある。日本の試合中というのに、コーヒーを買いに来ている人がたくさんいる。浦和レッズのおひざ元とは言え、わしゃ知らんよという人も、けっこういるんだ。そう思うと、朝の番組変更は、やはりNHKがヘンだということかもしれないと、思う。ブラジルでだって、デモや抗議集会が行われている。別に私らがW杯に反対しているというのではないが、半国営放送がお祭り騒ぎをすることはないじゃないか。

 

 帰宅してTVをつけると、試合の実況中継をしている。あっという間に、2点をとられ、救世主のように名前を呼び続けてきたホンダという選手が、くたびれてか、ボールを取られたり、パスを雑にしたりして、ああ、これでは逆転はムツカシイなと思う。戦後にオシム監督が「コートジボアールの動きがよく、思うように攻めさせてもらえなかった」と言っているのを聞いて、疲れとか雑なパスとかいうのではなく、動きを封じられていたのだと分かる。コートジボアールも、それが戦術なのかもしれないが、リードしてからは、うずくまったり、倒れて起き上がらなかったりして、試合の流れの中で休憩をとろうとしているように見える。彼らも懸命なのだと思うと、降っている雨が無情に思える。

 

 TVのTBSに切り替える。次のギリシャ戦の予想をしている。ギリシャ・チームは宿泊している宿が安いホテルで、一次リーグの期間しか宿を確保していないとアナウンサーが解説する。ワダアキコが勝ち進んだらどうするんだろうと心配している。国家財政逼迫の折から、ギリシャは勝ち進まないことにしているのだと思うと、彼らもまた、不憫だなと思う。日本選手は豪勢なリゾート地を借り切っているそうだと聞くと、そちらに泊めてやればいいものをと、まったく余計なことを考えたりしていた。

 

 マスメディアのW杯一色には閉口です。何か肝心のことから目をそらしたい願望なのでしょうかね。集団的自衛権にせよ、イラクの緊迫した状況にせよ、両方がリンクすると、思いもよらないところへ転がっていくような気配を感じさせます。W杯に現を抜かしていていいのかと、道学者みたいなことを言ってみたくなるのも、齢のせいだとばかりは言えないと思うのですがね。

 

 さて、しばらく旅に出ます。20日にお会いしましょう。


ディーラーの交渉術

2014-06-14 11:41:17 | 日記

 車を買い替えようと思案している。いまの車の調子が悪いわけではない。もう15年乗った。最近は、むかしのように頻繁に乗らない。山へ行くのも、できるだけ電車を使う。登山口近くの駅からレンタカーを借りることも、頻繁になった。つまり長距離長時間運転するのが、ちょっと苦になり始めたのだね。

 

 そこへもってきて、車検に出すと、13年目、15年目と、重量税が上がる。以前に比べて1万円も高くなる。どうしてと思うだろうが、政府は産業政策として古いものを捨てて新しいものを買わせようと躍起なのだ。アベノミクスの何本かの矢は、いつも産業会社の利益の方を向いている。もちろん、環境にいいということばも添えてはいるが、これもその矢の口先のひとつなのだろう。

 

 買い換えようと思っているのは、小さいやつ。長距離乗るには(たぶん)疲れるだろうが、小回りが利く。燃費も悪くない。維持費が格段に少なくなる。でも、冬場、雪のあるところにも使えるようにと考える。もちろんスタッドレスタイヤに付け替えることもできるようにしておきたい。ほぼ日常の実用と、遠くないところへの遊びに用いるという算段。

 

 ところが、ディーラーに聞くと、長ければ6か月先の引き渡しになるというから、いまから準備しないと、間に合わなくなる。そこで、広告を見て、これという車を見に行く。試乗するほどこだわってはいない。

 

 だが当然、見ているだけでは済まない。いくらくらいかかるか、試算してくれるのだ。そのやり方に、大雑把に言って二通りあることに気づいた。

 

 ひとつは、何種類かある本体価格の(こちらが選んだ)ひとつに、naviをつけるか、etcは必要ですよね、ドア・バイザーはつけますか、フロアマットはどちらがお好みですか、と聞きながら、付け加えていく。そうして、いま乗っている車を下取りするとしたらいくらになると計算に加えて、概算額をはじき出す。そこから「交渉」がはじまるというわけだ。

 

 ところが別のディーラーに行くと、まったく違った方向から概算額を出して攻めてくるので、驚いた。

 

 こちらが選んだ本体に、「お見積書」の書式にある種々の項目を勝手にどんどん入れて、ポンと高値の概算額をはじき出した。これって何? とこちらも聞かねばならない。「ああ、それは、保証期間が過ぎた後、2年とか3年の間エンジンやエアコンの故障を無料で保障する保険です」という。こちらは何? と聞くと、「そちらは3年目の車検までの法定点検やオイル交換、オイルフィルターの交換などのメンテナンスをするための費用です」と説明する。どうしてそれを今から徴収するのかと尋ねると、「お安くなっています」と屈託がない。ふと見ると、「道路サービス関連費用」というのも、よくわからない。これは何? と尋ねるとJAFへの加入と年会費だという。

 

 やりとりをしていると、「あ、それが不要でしたら、費用が安くなります」と、あたかも値引きしたみたいに「交渉」に乗り出すのだ。なんてこった。ディーラーが保険会社やJAFと契約していて、顧客紹介分を手に入れようという魂胆なのだろうが、それは値引きとは言わないよ。

 

 車を買うのに、故障やメンテナンスの保障期間を過ぎた保険を勧誘するというのは、私の自動車観には合わない。いかにも、この車のエンジンは3年の保障期間を過ぎたら何があるかわかりません、と言っているようではないか。JAFのやっている事業や保険に外国企業が参入して市場を荒らしているのはわかるが、こんな手を使って年寄りをカモにしているのかと思うと、このディーラーは信用できないと決めつけたくなる。

 

 ところで、私のいま乗っている車はいくらで下取りしてくれるか。行きがかりで見てくれた。

 

 1社は「1円」に「下取りリサイクル預託金相当額 13610円」とある。15年目の車は、四輪駆動で冬タイヤ付でも、この程度の評価なのだ。もう1社は、2万円相当の値引きで引き取りますが、「ネットで見積もりしている中古車会社に売った方が、少しは高く売れますよ、この車は」とアドバイスしてくれた。後者の「2万円相当の値引き」というのは、「リサイクル預託金相当額」を念頭に置いているのであろう。

 

 なんだか、エコだ、アベノミクスだという時流に乗せられるのは癪なのだが、年金生活者は削れる支出を抑えることでやりくりしなければならない。商業ベースを無視して生きていけるほど、田舎暮らしではない上に、なにより税金でふんだくられるのは、腹が立つ。

 

 そういうわけで、12月に車を交換するための最終期限あたりまでに腹をくくらなければならないと、思うようになった。さて、どの車、どのディーラーにするか。


古きをたずね新しきを知る

2014-06-13 14:51:49 | 日記

 宮本常一『私の日本地図――佐渡』(同友館、1970年)を読む。来週佐渡へ行くことになって、佐渡のことを一渡り知っておこうと、図書館で関係書のチェックをした。そのとき、宮本常一の名前にひかれてこの本を借りた。いや、面白い。佐渡が面白いというよりも、宮本常一さんが見て取っているものごとが、なかなか歴史性の奥行きと人々の心裡の辛苦を湛えている。

 

 やはり民俗学者だからなのだろうか。彼は、その土地の地形的な特徴をつかみ、それをそこに暮らす人々の生計とかかわらせて読み取る。すると、地形的なことから、開墾が困難なこと、田や畑を開墾しても、そこに通うことのむつかしさ、水を引くことの工夫と苦難を見て取る。にもかかわらずこれだけの田畑を開き、家や土蔵を設えるにはどれほどの家系的な道を乗り越えてきたかと、200年とか400年の径庭に目を向ける。やっぱり、古老や土地の人の話を聞く耳をもたなければならない。さらに、神社や寺、名主の家に納められている古文書を読めることが第一歩なのだろうかね。

 

 さらに彼は、新生活運動とか離島振興協議会などとかかわって、訪れたその地の人々がどう生きていくかに思いをめぐらし、実際に、生活改善や産業振興などについて村々の人々と話し合いもすすめている。そうすると、村を変えていくのに積極的か及び腰かという気風まで加わって、見てとることができる。むろん若い人たちへの期待の声も、行間にこぼれている。

 

 1970年ころといえば、私が20代の後半のころ。宮本が見ている若い人のうちに私の同世代も含まれていたかもしれない。そのときの佐渡の人々の暮らしぶりを想いうかべることができる。そうすると、私の育った瀬戸内の地方工業都市との違いも、鮮やかに浮かび上がる。もちろん高度経済成長に入る前の、戦前経済の発展ぶりも加算されて、やはり大きな地域格差があったと言える。

 

 私が東京に来たころの1961年、私の育った地方工業都市と東京の格差もまた格段の落差があった。だが、そこと佐渡はさらに大きな格差の違いを見せている。そのころ仕事場で同僚になった7歳ほど年下の、団塊の世代の男と子どものころの体験がとても似ているのに驚いたことがあった。彼は函館の漁師町で育ったのだが、そのとき、瀬戸内の地方工業都市と函館の漁村との文化的落差が10年ほども開いていると思ったことがあった。それを思い出させるような読後感を、宮本常一の本書に感じたのであった。

 

 来週月曜日から4日間、佐渡へ行く。私はまったくのおまけで、植物調査に行く何人かの人々のレンタカー運転手を務める。彼女らがお師匠筋と植物調査に夢中で歩いている間、私は好きに動いて良い。となると、金北山という佐渡の最高峰にも上ってこなくちゃならない。いわゆる名所旧跡はどうでもよいが、宮本が目にして心を遣った佐渡島の東南部、小佐渡もみておきたい。彼が目に止めたときから半世紀近い時が流れている。その間に佐渡はどう変わったか、それを見て取るのにも、面白い旅になりそうだ。

 

 そういうふうにして、少し、これまでの私の山歩きも含めた旅のやり方を、新規更新するように心がけるのもいいかなと、考えているところである。


大雨洪水、土砂崩れの警報の中、快適に釈迦が岳に登る

2014-06-12 10:06:44 | 日記

 「大雨警報や土砂災害が出ているのに、行くんですか」と、山の会のメンバーから問い合わせが来たのは9日の夕方。奥日光の案内を終えて、土砂降りの日光宇都宮道路を抜けて帰宅したときであった。11日の山行、山梨県笛吹市芦川の釈迦が岳へ行く月例登山。


 インターネットで彼の地の予報を調べる。曇りのち雨、降水確率は70%とあるが、降水量は1mm/h。これなら歩くには支障ない。「大丈夫ですよ」と返信する。だが10日ののTVは、一日中、洪水と大雨、土砂災害への注意を呼び掛けていた。


 11日朝9時過ぎ、石和温泉に下車。参加予定の方々は全員顔をそろえる。予約していた「駅レン」がどこかわからない。駅レンタカー。借りるときは、たいていこれを使う。駅員に聞くと、ほかのひとにも聞き合せて「トヨタレンタカーに行ってくれ」と地図を手渡す。すべてトヨタレンタに丸投げしているらしい。100mほど離れたところに向かう。


 ところがトヨタレンタカーの方は、私がプリントアウトして持ってきたインターネット予約の「引き受け書」をみて、書類をつくりはじめる。これじゃ予約のうまみがなくなる。いつもなら、書類は整っていて、免許証のコピーをとると説明抜きですぐに車両のチェックをして出発できるのに、ここから時間がかかる。しかもジパング割引のことも知らない。どこかに電話してあれこれ問い合わせて、料金を支払う。だがなんと、インターネットで予約していた時の料金より1800円安くなった。2台借用するから3600円安い。これで、もたもた時間がかかったことも全部忘れてしまって、ほくほくしてハンドルを握った。


 11日前に私が下見をしたときは、河口湖畔からトンネルを抜けて登山口に向かった。今回は逆の道だから、naviがなければわからない。どんどん山奥に入る。ところがトンネルを抜けてしまった。えっ、これじゃ河口湖に出てしまう、と思ったところに待避所があり、大きな案内地図が掲げられている。見ると、これは新鳥坂トンネル、若彦トンネルはまだまだ先のようだ。


 無事に登山口に着く。スズランの自生地の駐車場に車をおいて歩き始めた。10時15分。


 急斜面の登りから始まる。ヤマツツジが明るいオレンジに近い色合いの花をつけて、今が盛りだ。雨に濡れたミズナラやブナの緑も、幹が黒っぽくなって、いっそう引き立つ。息が切れないように、体がだれないように歩度を整えて、ゆっくりと高度を上げる。半ばまで来たとき、樹林の間からスカイラインが見える。これがまた、力になる。こうして25分ほどで稜線に出る。


 振り返ると、葉の上の白い穂状の花をつけた気がある。アオダモだと誰かが言う。えっ、木のバットにするやつ? といいながらKさんは引き返して、アオダモの幹を撫でるように見ている。みなさん、さほど息も切れていない。


 稜線歩きは、おしゃべりをしながら快調であった。あっギンランだ、これカラマツソウじゃない、と声が出ている。雨がまだ落ちていないのか、樹林に遮られて降りかかってこないのか、雨具もつけない。府駒山を越えて釈迦が岳の山頂さしかかる手前に、太いロープが張られた岩場が3カ所ある。岩をつかみ、難なく越える。稜線が細いところも、両側に生育った木々が視界を遮って、危なげがない。


 釈迦ヶ岳山頂1641mには、ほぼコースタイムで到着した。11時45分。雲の中にいる。山頂の眺望表示板は、富士山から南アルプス、八ヶ岳、奥秩父連山などを示しているが、なにもかも五里霧中。お昼にする。


 食べ始めてすぐに、雨が落ちかかる。蕭蕭と降る、という感じ、長く降りつづく気配の雨。雨具を着用してお弁当を広げる。食べ終わる頃に少し降りが強くなるように感じ、後半の歩行を考えて雨具のズボンを穿く。でも穿き終る頃には雨が小やみになる。雲間から御坂山塊の稜線が一瞬姿をみせるが、その向こうの富士山はまるで見えない。谷の大きさと深さが眼下に一望できる。


 来た道を引き返す。登るときには難なく越えた岩場も、注意を払って降る。木がたくさんあるので、つかまるのには不自由しない。サラサドウダンが花をつけている。ウツギの花も少し細長いつぼ状の花を咲かせている。稜線の道は落ち葉が散り敷いてふかふかしている。ブナの巨木がぬうっと霧の間にみえる。ヤマボウシの雄木が、ほっそりした雄蕊を葉の上につけている。それら木や花の解説を挟みながら、ゆっくりと歩く。木々の緑を雨が洗って、生い茂る様子を寿いでいるように見える。


 稜線に登ってきた地点に再び戻り、そこから先はドンベエ峠へと向かう。木々が枝を大きく張り出して、水にぬれた枝や葉が雨具を付けた体に遠慮なく当たる。13時過ぎ、ドンベエ峠の林道に出る。黒岳への上り口も案内してあるが、これ以上は遠慮しておくと、口をそろえる。ジュウイチ、ジュウイチと鳥の声が、しつこくすぐ近くで鳴き騒ぐ。今日はツツドリとシジュウカラ、ヒガラ、コルリ、キビタキ、アカゲラの声を聴いた。聞き分けられない声も何種類かあった。


 林道沿いに登山口へ向かう。先頭を歩く人たちの足が速い。ヤマボウシの花が咲いている。ミズキも棚状に花をつけて、谷あいの下の方に葉を広がらせている。気温もさほど上がらず、歩いていても暑くならない。駐車場まで疲れも見せず下った。14時。


 そうだ、スズランをみなければならない。荷を車において、スズランの群生地へ降る。ところが、茶店は閉じてあり、スズラン群生地への入口には、シカよけの電線が張られている。むろん人が通るにははずしていけばいいのだが、ということは、もうスズランのシーズンは終わったということなのか。


 群生地の遊歩道を歩く。いろいろな草花がある中で、スズランは咲いてすぐには散らないらしく、花のかたちを保ったまま、楚々と立っている。ニホンスズランそれ自体が、ドイツスズランと違って控え目で、葉の陰に姿をかくすように花をつけている。ドイツスズランは、いかにも「見て見て」と自己主張をしているように気勢を張っているかに見える。周回は20分ほどで終わった。
 2時30分、車で石和温泉駅に向かう。快適に走って、ガソリンを入れ、駅に皆さんを降ろし、レンタカーを返しに行く。ぱっぱと点検をして駅に戻ると、1人を除いて皆さん電車のホームに入っている。雨の中を温泉まで歩いていくのが億劫になったようだ。いけませんね、そんなことで気がそがれては。


 とはいえ、電車の中でひと眠りすると、もう立川、降りてすぐに東京行き快速、西国分寺で降りて武蔵野線のホームに向かっていると電車が発車状態にある。どんどん飛び乗って、「なんだか、いつも待ってくれているようだね」と言いながら、帰途に就いた。さいたま市は雨であった。


奥日光自然観察ガイド

2014-06-10 14:29:43 | 日記

 昨日朝5時半に家を出て、奥日光に向かった。修学旅行の小学生のガイドをするため。地元で事務所を構えているMさんの会社に依頼が来る。評判がよく、学校単位で言えばリピータが多く、ほぼ毎年恒例になっている。

 

 ガイドの集合場所までに間にも、ヤマボウシが棚状の白い花をつけて、緑に覆われた道筋がにぎやかだ。マタタビも、その葉を白く変えて、花が咲いていることを示している。三本松あたりに来るとズミが花開いているのが目に止まる。そうか、ちょうど良い時期なんだと、幸先のよさを思う。

 

 私の担当するのは、いつも「健脚コース」。5時間のコースを歩かせる。おおむね一クラスを二つに分けたくらいの人数。今年は18人。相棒のKさんもひとパーティ担当して、同じコースを歩く。

 

 ところが直前に、午後から雷雨との予報があって、コースが変更になった。湯滝から北戦場ヶ原を抜けて光徳牧場までのルート。午後は天気の崩れ具合をみて森の散歩程度になりそうという話。

 

 8時20分、朝食を終えて準備のできた生徒が集まって、スタートの集会がはじまる。集まり方、集合点検の仕方、教師たちの声の出し方、生徒たちの動きをみていると、この学校が日ごろどのような指導をしているかが見えるように思う。ずいぶんしっかりしている。少し言葉数の多い教師もいるが、まあこれは習い性というやつか。

 

 生徒の数は140人。6年生。あとで歩きながら聞くと、1年生も4クラスあるというから、この小学校のある町は、なかなか若い。

 

 私とKさんのグループは、ほかの2グループとともに、まずバスに乗って湯滝へ移動する。湯滝から小滝を回るルート、泉門池には時間があれば立ち寄るということだけ決めて、準備の整ったところから出発。カメラマンが前になり後ろになって、シャッターを押す。サービス満点である。

 

 今日のポイントは、まず、湯滝から小滝への森。山歩きとは違うが、深い森。巨木が倒れ、それに生えた苔の上に新しい芽が育っている。倒木更新をみることができる。シカ柵もあり、シカの食害をササの大きさで見比べることもできる。ミズナラやカラマツの大木がねじれたり、3本が一つになったりしているのも、面白い。水量の多い湯川の流れに釣り人が入り込んで竿を投げ入れてはしゃくっている。これもこの時期の風物詩だ。木道を歩くのが、たぶん物足りない感じのようだ。エゾハルゼミの柔らかい鳴き声が森に満ちる。木々の間からわずかだが、青空も見える。

 

 小滝の橋の欄干に、ヤゴが張り付いている。ついさきほどここまで登ってきた、という風情。その傍らに、羽を乾かしている成虫のトンボが何匹がいる。まだ飛べないようだ。そっとしておいてやれ、と声をかける。

 

 ほかの小学校の隊列が脇を通り抜けていく。木道が作り直されたようで、歩きやすく、追い越したりすれ違ったりするのも、楽になった。生徒は「水に触りたい」という。泉門池の休憩まで待てといって、休まずに歩く。

 

 泉門池は、やはり戦場ヶ原に抜ける小学生の休憩場所になっている。生徒は水に手を入れ、ヒルを木の枝先に捕まえてつりさげる。ヒルはすうっと伸びて驚かす。男体山は雲の中に隠れている。教師がオヤツを取り出して生徒たちに配る。チョコと飴玉ひとつずつ。口に入れてもごもごさせながら、ヤチダモのことやマガモの名前を尋ねる。先ほどの深い森と違って、若いミズナラの明るい林に、声も軽くなる。

 

 ほかのグループは、やはり泉門池には届かなかった。もちろんガイドが立ちどまって詳しい説明をしているからでもあるが、私は歩かせる、遊ばせる、ときどき、説明をして森を比べるくらいにしている。あとで、「話を聞いていない」と愚痴るガイドもいたが、そんなことに耳を貸さないのがフツウの小学生だ。

 

 北戦場ヶ原に出る。急にミズナラがなくなり、シラカバの幼樹が林立する。視界が開け、茅が多くなる。男体山や大真名子山、太郎山などが姿を見せる。ノビタキであろうか、さえずりが大きく響く。遠くからカッコウの声が聞こえる。生徒たちはカッコー、カッコーと叫び始める。逆コースを歩いてきた同じ学校の一段とすれ違う。ガイドの一人が「北戦場をでたところのシカネットにシカが角を巻き込んで悶えている」と情報をくれる。生徒たちは「行こう行こう、早くいかないと居なくなっちゃうよ」と騒ぐ。まあまあ、そういうな。見るところをみないとね、と私はいうが、彼らの足は速くなる。さらに別の一団がやってきたので、ガイドに、まだシカがいたかと聞く。いや見なかったよ、と言う。ほら、もう離脱したんだよと話して、いつもの歩調に戻す。

 

 国道に出る。車が来ているかどうかを確かめて、道路を渡す。橋の袂から逆川沿いに降ろし、光徳に向けて川の右岸を歩く。少し行くと、大木の根方にシカの骨が転がっている。この冬に死んだシカの肉が喰われ、すっかり骨になってしまっている。ひずめのついた脚がリアルのシカを思わせる。生徒たちはこわごわと覗き込んで、無言。

 

 また少し行くと、岩壁の下にシカの死骸がある。肉はおおむね食べられているが、骨について干からびているところもある。臭いがしそうなほど生々しい。3メートルほど上から覗き込んでいる生徒たちも、さすがにこちらは「祟りがあるぞ」とひそひそささやいている。

 

 こうして、光徳沼に立ち寄り、またしばらく水遊びをさせて、お昼時間に間に合うように目的地に着いた。

 

 午後、雨は降りそうにない。「健脚組」は山王峠から下ってくる登山道を逆に登り、中腹の「シラカンバとダケカンバが混在している地点」の看板を目指す。1時間という制限時間なので、35分登って、25分で下ってくると、目安をつける。「もっときついところを歩こうよ」と言っていた生徒たちも、「やあ、これは山歩きだ」と嬉しそうだ。先頭の私よりも先へ行きたがる。少しばかり先を歩かせると、振り返りつつ、いろんなことをしゃべりながら、ずんずんと登る。後とはなれないようにと声をかけて、でも彼らのペースは悪くないと、私もついていく。

 

 歩き始めて32分、目的の看板に着く。「やったあ」と声をあげて喜ぶ生徒たち。全員が到着したのを確認して下山にかかる。同じ道をたどるが、階段状のところを飛び下りるなと注意する。膝を痛めるからだが、「は~い」と応えながら、そんなことは知っちゃいないと言わんばかりに駆け出す。後ろとの間をみて下れというのも、すぐに忘れて、どんどん降りてしまう。「健脚組」の女子も、男子に負けじと急ぐ。へばる子が出てくる。荷物をもってやると、ハアハア言いながらついて降る。下の方に来ると、荷物を自分で持つと言い、背負って降っていった。彼らの目的は、光徳牧場の「アイスクリーム」。教師が全員分のチケットをもっていて、下山後にいただくことにしていたわけだ。

 

 こうしてガイドは終わった。天気はもった。いろは坂を下り、清滝から高速道路に入るころに雨が落ちてくる。良かったねと同乗のKさんと言い交しながら鳴虫山のトンネルを抜けたら、途端に前が見えないほどのどしゃ降り。速度を落とし、視界を確保しながら走り抜けた。帰宅して天気情報をみていると、日光は3時過ぎに大雨だったと伝えている。あれだあれだ、と思いながら、無事の帰還をよろこんでいたのであった。