mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

佐渡の旅(3) 高度消費社会の自然に親しむリゾート地

2014-06-24 08:43:52 | 日記

 3日目(6/18)、今日も曇り空だが雨は落ちていない。2つ亀の宿を出て内海府に回り込み、大佐渡の東側を南下してドンデン山荘を目指す。お昼をコンビニかどこかで買おうと思うのだが、通過する集落のどこにもそのようなお店がない。とうとうドンデンへの入口に来てしまった。山荘にも何か食べるものくらいあるだろうと、山道へ入る。

 

 砂利を運ぶダンプが何台も山へ向かい、山からから下りてくる。砂利採石場を過ぎたあたりから、道は狭くなる。ところどころに交差するスペースがしつらえられている。九十九折れの道は、急角度で上りになる山の斜面を、右へ左へ折れ曲がりながら駆け上がる。幸い降りてくる車がないからいいようなものの、運転していて気が抜けない。マニュアル車じゃないのに4段ある変則の4つとも使って登り降る。方々は窓の外をみて花や草の同定をしている。そのうち、昨日同様、雲霧帯に入る。

 

 標高890mのドンデン山荘駐車場に車を止め、すぐ脇の登山道からドンデン池を目指す。距離は1.5km。ドンデン山934mの先、尻立山940mから30mくらい降ってドンデン池。標高差は合わせて80m程度。だがこの方々は、時速1kmで歩く。一歩ごとに周りの草をみてしゃがみこみ、あれやこれや評定をしてから次の一歩に進む。草や木の名前が分かれば、彼らの話も面白いのだろうなあと思うが、そこまで私の身はのめり込まない。

 

 ドンデン山を越えるあたりで陽ざしが差し、視界が開ける。大佐渡の最高峰・金北山が頂に通信塔のようなものを載せてそびえたつ。シャクナゲが鮮やかに花をつけている。ハクサンシャクナゲだそうだ。葉の切れ込みがないことなど、アズマシャクナゲとの違いを説明してくれるが、私の頭には残らない。花は大きいのも小さいのもある。蕾は赤く、花になると白く開く。ハチやチョウ、甲虫など、虫が寄ってきて花に頭を突っ込んでいる。尻立山のあたりは草原状になっている。牧場であったというが、ここまで牛を連れてくるだけで大変ではないか。どうやっていたのだろうと、思う。

 

 ここから池までの下りはざれていて、滑りやすい。もともとの登山道には滑らないように石を敷き詰めてあったようだが、その石にかぶさるように木々の枝が伸びてきて、自ずから脇へと道はずれる。そこがざれているのだ。池の周りの台地に、15人ほどの人たちが休憩をしている。私たちは、池へまっすぐに向かう。

 

 池にかぶさる木々の枝葉が白い泡に包まれている。モリアオガエルの卵胞が遠慮なく産み落とされているのだ。あまりの重さに、水面に落ちんばかりになっている塊りもある。すでに落ちているのもある。木々にたどり着けずに、池の端の水草に産み落とされているのもある。オタマジャクシもたくさんいる。サンショウウオやイモリを探したが、みつけられなかった。モリアオガエルの卵がオタマに変わるころ、一足先に孵ったそれらが餌にする、というのをみようと思ったのだ。

 

 さて、登山口に戻らねばならない。1時間半で来たところだから、しっかり歩けば45分で行きつけると、励ます。しかし尻立山への登り、標高差30mくらいで、もう息が切れそうになっている。考えてみれば、植物の専門家はもう80歳。齢を考えれば、良く歩ける方だ。ざれ場で四苦八苦のようであったが、皆さんのお荷物になってはいけないと思うのであろう、なんとか私の想定の時間で、山荘に着いた。

 

 山荘は、先ほどのグループが到着して一休みしている様子。とてもお昼を食べるどころではない。2時に、トキの保護をしている方と待ち合わせをしているので、下界で食事をすることにする。九十九折れの下山は、さらにスリリングであった。街に入ったところで1件のスーパーをみつけ、そこでお昼の買い物をする。約束の場所について、駐車場の縁戚に腰かけて昼食をとる。エゾハルゼミが鳴きだして、陽ざしが出たことを教えてくれる。

 

 トキの保護活動をしている方のことは先に触れたから省略するが、ササモチやタイヤキを買ってきてくれて、さらに帰りには彼自身の作った佐渡のコメとジャガイモをお土産にくれた。トキを見せてくれただけで十分なのに、このおもてなし。女性陣は大感激。

 

 1日目の宿と同じところに宿泊。今夜はご亭主が撮影した佐渡の動物と植物の映像のCDを頂戴する。その中にヤマトグサというのがあり、それをぜひ見たいと皆さんはいう。どこに行けばみられる? と聞く。「どこにでもあるよ。道の端に。」「どこにでもって、どの山とかどのあたりとか。」「どこで撮影したの?」と尋ねて初めて、昨日登ったドンデン山荘のさらに奥、マトネという山への途中にあるよ、と分かる。明日、そこへ行くことにする。

 

 4日目、早朝のトキ・ウォッチングがうまく運び、ホクホクしながらふたたび、九十九折れの道を行く。ドンデン山荘への分岐をやり過ごしてさらに奥に進む。ここが青粘(あおねば)峠と思われるところに、自然保護官と記したスズキのジムニーが止まっている。その脇に車を置き、マトネへの道に入る。すぐに深い森であることが分かる。

 

 ところが、その森をほんの50mくらいしかすすまないうちに、ヤマトグサを見つけてしまった。群生している。もう花は終わり、かすかに髭のような枯れた蔓が残る。さすが、植物の専門家とお弟子さんたちだ。

 

 すると、往復2時間をみていた山歩きがすっかり気楽なハイキングになった。十字路と言われる地点まで行って、引き返す。突然、森の奥からぬうっと人が現れる。私たちが歩いたのとは異なる登山道を通って来たようだ。「どちらから」と聞くと、「地元です。国道から」と応える。きっとあの、自然保護官だ。でも現れたところの先を覗くと、登山道らしい踏み跡がきちんと見える。そちらを還ろうと提案をしたが、方々は、道の急峻さに尻込みをして、来た道を戻ることにした。

 

 昨日立ち寄ったスーパーに寄り、土産になりそうな地元産のものを買う。小魚の練り物や魚の粕漬、干したぜんまいなど、随分いろいろとおいてある。植物の専門家は、佐渡のコメを注文して送ってもらっている。そういえば、佐渡のスーパーは、野菜を新潟から仕入れていると宿の女将から聞いた。コメは作るが野菜はつくらないのだろうか。この旅行を企画した佐渡出身の方の話では、地元の人たちは自家消費の野菜はすべて自分で作る。だが、売りに出すほどつくるわけではないから、形はいびつだし、大きさもとりどり。出来過ぎるとご近所に配ったりして、ほとんど島内の地産池消で事足りているという。新潟からの仕入れは、本土からの観光客のためのもてなし用と思える。

 

 レンタカーを返却し、12時40分発の船に乗る。修学旅行の小学生も乗っていて、にぎやか。おおむねいっぱいの乗船客。2等船室の畳で車座になって、おしゃべりしながら酒を酌み交わす一団もいる。横になって寝入る人もいる。2時間半の旅をてんでにくつろいで、穏やかな波の上を走る船に身を任せている。

 

 お昼を食べに船上のレストランに行く。1時を過ぎているせいか、それほど混んではいない。私はビールを飲みながら、この旅の企画者の話を聞く。佐渡が、のんびり遊ぶのにたくさんの見どころをもっていることが分かる。宮本常一が訪ね歩いた50年前とはすっかり違う様相を呈していると思う。この50年間の大きな違いは、ひょっとすると、日本列島全体の、高度消費社会に入ってからの変化に対応しているのかもしれない。

 

 宿の女将は、10万人くらいが佐渡は一番暮らしやすい規模だと話していた。ひところは12万人もいて窮屈な思いをしたという。で、いまは? と聞くと、6万人余、少し寂しいねと言っていた。若い人たちが高校を卒業すると本土に出てしまい、戻ってこないせいのようだ。

 

 しかし旅の者からすると、佐渡の自然は、懐かしさに満ちている。しかも、豊かさを感じる。宮本常一の時代とはるかに遠い着地点で、佐渡は自律的な暮らしの営みを確立しているように見えた。自然に親しむリゾート地として、面白いところがたくさんある、そう思った。(「佐渡の旅」終わり)