mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

AIの時代のもたらすもの

2016-08-26 16:32:35 | 日記
 
 カート・ヴォネガット『プレイヤー・ピアノ』(早川書房、2005年)を読み終わる。面白い。これが1952年に書かれたものとは思えないほどの、現在的リアリティがあるを感じながら、読みすすめた。
 
 コンピュータをはじめ、ありとあらゆることが機械仕掛けになり、人間の判別も生活階層も仕事の選別もオートマティックに行われ、全自動化された社会。むろん描かれたコンピュータが真空管で動くというSFも交じってはいるが、ここまで機会化が拡張すると、便利ということの反面に、人間の社会階層の選別と暮らし様の格差が「生きる」ことの差異として生じる。しかもそれが、多様性というよりは、階層的な一様性をもたらして「世界観」や「人生観」を頑固のかたちづくってしまう。作者はそこに目をつけて、SFを書いたつもりなのかもしれないが、AIが本格的に動き始めている現代社会からみると、みごとな近未来小説になっている。アメリカって、いまから63年も前に、もうこういう社会が想定されるような時代を迎えていたのだ。そのことに感心する。
 
 さて、明日から5日間ほど田舎に帰ってくる。義母の法事がメインだが、同時に私のふるさとにも寄って、母の遺品の整理をしなくてはならない。実家を継いだ弟任せにしていては、申し訳ないからなのだが、同時に、私関連の遺品があれこれととっておかれているというのだ。たぶん、私の小中高校時代の成績表とか文集とか表彰状とか卒業証書などと言ったものであろう。見るまでもなく全部処分してもらっていいのだが、そう言ってしまっては、本家を継いだ弟と生活実務を取り仕切っている弟嫁に申し訳ない。
 
 ところがそこへ、台風十号がUターンして 、私が帰ってくる来週に関東を直撃するという。新幹線は大丈夫かいなと思いつつ、帰宅の日取りが決められない。これまた、山を歩くのと同じケセラセラの感覚だなと思う。まあ、仕方がない。この歳になっていまさら、身の応え方を変えるなんて荒業をやるわけにはいかないのだから。
 
 そういうわけで、このブログは、また、しばらくお休みします。