mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

旅のモチーフ――星野道夫への実存的オマージュ

2016-08-07 11:55:36 | 日記
 
 1996年8月8日、カムチャツカのクリルで星野道夫がヒグマに襲われて死亡した。明日で20年になる。よく動物写真家と紹介される星野道夫は、動物だけを撮っていたわけではない。生き物が生息する大自然をカメラにとらえようとしてきたし、その自然の語りだしてくる人間の物語を書き記そう灯してきた。ことに彼が旅のモチーフとしたのは、モンゴロイドが、この前の氷河期に氷結したベーリング海を渡り、その一部が、氷河期が終わるころロッキー山脈の大氷河が解けてできた回廊を辿って大陸へ進入してインディアンやインディオになった航跡を追うことにあった。だから彼はアラスカをしばしば訪ね、クリンギット族やハイダ族などのインディアンのフォークロアを聴きとっていた。
 
 彼の没後2年経って編集された「祈念誌」のタイトルは『表現者』(スイッチ・パブリッシング、1998年)。その中に収録された星野のエッセイ「それぞれの光を捜し求める、長い旅の途上」は、彼の魂がアラスカに暮らすインディアンの佇まいと立ち居振る舞いに導かれて、人間が忘れてしまった世界への扉を開けようとしている。ヘンリー・ソローやアルド・レオポルドがアメリカの大自然に身を置いて、ときどき文明社会の援護を受けながら、その大自然からの伝言に耳を傾けるのと同様に、星野道夫は旅をしながら、やはり大自然に身を置いて、来し方行く末を見つめようとしている。星野の方が、より人間という自らの不可思議さを組み込んで、自然を見つめようとしていると、私には思われ、好感を抱いてきた。
 
 もうあれから、20年も経つ。カムチャツカの宿が突然の来客でいっぱいになったのに席を譲って、星野が浜辺のテントで過ごしたところへ、(人によって餌付けされてひとを畏れなくなった)ヒグマに襲われ、死ぬことになった。彼の死後、しばらくは、宿に押し掛けた来客やヒグマに餌付けをした人の身勝手さが、話題になったが、根底には、星野自身のヒグマの習性に対する見立てが誤っていたことになろうか。しかし私には、あまりにあっけない彼の死は、いかにも彼らしく、釈迦が虎に身を投じたように、思われた。それほど彼は、自然との一体感に身を投じようとしてきたと思われたのであった。その情景は、TVなどで猛獣に襲われて捕食される草食動物を目にするごとに、私の脳裏によみがえってきた。
 
 私自身は、都会の暮らしから、ときどき山へ足を運ぶ。カムチャツカの火山に登ったときも、ちょっと触れて味わう程度。アラスカも、鳥や動物を見てくるという、あくまでも大自然の外部者としての訪問。おっかなびっくりで自然とつきあってきた。だから星野のような生き方にちょっぴりあこがれ、とうてい手が届かない在り様とみてきた。
 
 それが、彼の没後の『表現者』によって、目に見えぬ世界を読み取り、魂の交歓を感じとって語り下ろす主題は、それほどの違いがないと思えるようになった。もちろん彼のように広く世の中に「表現」を送り出すことはできないが、どこにいても同じようなことに向き合って生きるのだなと、感じ入っている。まさに彼のエッセイの表題、「それぞれの光を捜し求める、長い旅の途上」に、誰もが置かれているのである。