mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

お客さんを山ガイドするということ

2016-08-12 10:59:26 | 日記
 
 昨日は「山の日」。でも、休日に出かけて若い人たちの邪魔になってはと外出を控えていたのに、日光のMさんから「藪漕ぎルートを案内するが、お客さんが一人だけなので、よろしかったらご一緒しませんか」とお誘いがあった。Mさんとともに「奥日光自然観察ガイド」をつくったKさんも一緒にというので、同道してもらった。ところが、宇都宮ICを抜けるまでに3時間もかかった。いつもなら1時間ほどの距離、東北道がものすごい渋滞。平均時速35kmくらいである。
 
 「こんなに山にひとが行くなんて……」と「山の日」の効果に驚きの声を私が出すと、「いやこれは、お盆で帰省する人たちばかりですよ」とKさん。彼のいう通り、宇都宮ICを抜けて日光―宇都宮道路に入ると、途端にウィークデイの気配になった。Mさんと落ち合う時間には遅れてしまったが、「あとから追いかける」と伝え、Mさんは「ゆっくり歩いていますから、小峠までに追いついてください」と返事。気心が知れたやりとりである。
 
 金精道路の途中にある通過点まで車を入れ、45分前に出発したKさんを追いかける。二組の登山者を追い越して足早に歩くが、5分もかからないうちに追いついてしまった。Mさんの案内しているお客・Yさんは、40代の半ばの男性。奥日光湯元のビジターセンターや自然博物館のツアーにも参加したことがあり、奥日光大好きの人らしい。「藪漕ぎがあるというので、案内してもらおうと思った」と言う。Mさんは、立ち止まっては風穴の風を感じてもらおうと手をかざし、ヒカリゴケが見えるのではないかと岩穴をのぞき込む。三つ岳の成り立ちから風穴を説明する辺りは、いかにもこの地の専門家だ。Yさんは熱心にメモを取り、カメラを構える。ザックには一脚も縛り付けていて、なかなかの本格派にみえる。
 
 小学生の隊列ががやがやと声を立てながらやってくる。小学校5年生。灰色の帽子からすると、東京の私立かもしれない。百人いる、と先頭の教師。「こんにちは」とか「おはようございます」と元気がいい。夏道を光徳までいくというから、4時間半くらい歩くのであろう。いい「山の日」の過ごし方だ。小学生には先行してもらったが、小峠で休んでいる彼らを追い越して私たちは、その先から旧道に入る。
 
 ここから藪漕ぎの道。冬には何度も通った。雪をかぶっているときには、夏道と違って上へ登らずまた、その先で階段を下ることもなく、沢沿いに三つ岳の山裾を回り込んで刈込湖へ向かう道だ。20年ほど前まではよく使われていたのだが、雨が多い時に登山道が水没することもあって、高度の高いところを回るように今の夏道が作り直された。それから旧道は人が歩かなくなり、廃道になった。その入口のところに、2メートルを超える篠竹が密生して藪をなす。だがせいぜい20メートルほど藪をかき分けて歩くと、「水没する」というミズナラの林が背の低い草地を従えて広がっている土瓶沢にでる。
 
 藪を抜けるとMさんは、Yさんに先頭を譲り、踏み跡を見つけながら歩くことをすすめる。なるほど、お客さんを遇するというのはこうすることかと感心する。Yさんは、格好は山慣れて見えるが、バランスが悪い。体力もない。加えて、ものすごく慎重。ストックをつかい、足元を確かめて歩一歩とすすむ。ほとんど踏み跡もない草地を歩くときには、地図を出して右か左かと思案する。大きな岩が連なるドビン沢の狭隘なところを通過するときには、足の置場を探るのに時間をかける。Mさんはときどき口を挟むが、ルートファインディングの楽しさを味わってもらおうと思っているのか、Yさんが戸惑って道を探しているときにも、後ろについて黙ってみている。
 
 私たちは彼らの邪魔をしないように、すこしあとについて、ときには別の道を歩いて冬道との比較をする。やはり冬歩くのが素敵なところだ。コースタイムより1時間余計に掛けて、刈込湖に着く。一休みするごとに言葉を交わす。Mさんが私たちの声をかけた気持ちがわかるような気がする。お客とは言え、男2人だけだと話しも途切れる。だが私たちがいると、Mさんが私たちの話しかけ言葉を交わし、Yさんがそれに反応して、自分のことをあれこれと口にする。7歳と5歳の息子がいることもわかる。晴れ男だと自称している。カメラにも鳥にも撮影に絶好のポイントにも興味が尽きず、でも、未だ手が出せないともどかしそうだ。まず手引書を繙き、機材用具をそろえ、その使い方を熟知してからその領野に踏み込むという、石橋を叩いて渡る堅実型のようだ。私のように、とにかく踏み込んで「門前の小僧」式に物事を覚えていくというテキトーな経験主義ではないらしい。
 
 刈込湖は、水量がすごく少ない。この湖は水の流出口がない。周りの山に降った雨や雪解け水が流れ込み、地下に浸透した分と蒸発分だけ水が減少する。水位は普段より2メートルは低い。Mさんは3メートルは低いんじゃないかと言っていた。梅雨に雨が少なかったこともあろうが、何より冬の積雪量がなかったからだ。陽ざしが強くなった。木陰に入ってお昼にする。11時半。たっぷり30分以上時間を取る。その間もMさんはYさんに自然観察のあれやこれやを説明している。
 
 その後も、Yさんを先頭に、彼のペースでゆっくりと歩く。切込湖を過ぎ涸沼との境の小高い標高部分を通り過ぎるところで、何組みかのハイカーに出逢った。彼らは異口同音に「あれっ、空気が変わったよ」という。涸沼から標高で50mほど上ったここの気配が違って感じられるのであろう。若い人は「空気が違くない?」と変な日本語をしゃべる。「涼し~い! はっきりちげーよ」と応じる。ことばの空気の違いこそが際立つと、こちら年配者は言葉を交わす。
 
 涸沼には一組3人がお昼を食べていた。彼らも光徳へ向かうという。尋ねるので「もう1/3は来ていますよ。あと1時間半」と応えると、「元気が出た。よし行くぞ!」と声をあげて出発した。50歳代の方々か。涸沼はカラマツが大きくなっている。かつて湿原であった平地部にも3mほどの高さに育っていて、いよいよ枯渇する沼になってきている。
 
 この後の登り30分が最後ですよと元気をつけて、歩き始める。Yさんは、10分ごとに立ち止まって汗を拭き、息を整える。この標高差100mが一番きついかもしれない。山王峠に出る。木のベンチに腰掛け、Mさんが羊羹やチョコレートを出して、あと1時間の頑張りと話している。ところが動き出してすぐに、Yさんは足を引きずる。靴紐がきついと訴える。訴えるよりも自分で結び直せばいいのにと思う。座って靴を脱げとKさんが言う。Yさんは私が広げたビニールシートにあおむけに寝そべって、動きそうにない。Mさんが、山王峠まで車を回そうかという。Kさんが靴を脱がせ、靴下をとりスプレーをかけて足の腱をほぐし始める。Yさんは2枚靴下を重ね履きしているが、肌に着く方に木綿を用いている。湿ったそれは、足に引っ付いている。上のウールだけにするように話す。
 
 靴紐を締めるのまでKさんに頼りきりだ。下山にかかる。15分ほど来たところでYさんが「あとどのくらいでしょう」と訊く。「?……」。腹が痛むという。そうか、キジを撃つのか。見回すと背の高い藪ばかり。掻きわけて中に入り、踏みしだいて場をつくりなさいというと、入り込む。Kさんがいっしょに入り込んで「場」をつくっていやっている。私とMさんは少し下にくだって、待つことにする。Kさんはすぐに来たが、Yさんは、しばらく経ってもやってこない。上へ行ったんじゃないかとKさんが言う。「お~い」と私が声をあげる。すぐ近くから「は~い、今行きます」と返事がある。まさか、登ることはないよねと、笑う。
 
 そこからは森の中の、けっこう大きな下りだ。上の方中腹はダケカンバとシラカンバの混淆林、やがてカラマツ林になり、さらに降るとミズナラの林に代わる。雪があるときには、広い斜面の何処もが快適に歩けるから、どんどん下っているうちに渓に降りてしまう。去年そうであった。夏道の時に見返すが、どこで間違えたか、わからない。
 
 こうして光徳牧場に着いたのが、3時半。車のところに戻り、Yさんと別れ、Mさんとも別れてKさんと帰還の途に就いたのは4時。東北道はふだんよりも車が多い。休日の帰宅車かと思ったら、そうでもなかった。福島、盛岡など東北ナンバーが多い。お盆を関東や、それを越えた地方で過ごす方々もいるわけだ。でも、そこそこ順調に走り、6時半に家に着いた。東浦和は見沼田んぼの花火で交通規制があり、浴衣姿の人たちが出歩いてにぎわっていた。