mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

踊る少年少女の公共圏

2016-08-22 19:16:30 | 日記
 
 日曜日に大宮駅の近くへ買い物に行ったとき、目に留まったこと。西口には駅2階のコンコースからそのまま駅そばのデパートやビル商店街に行けるような広い連絡通路がある。そこの通路の1階や階段を降りるところに、何組もの、たくさんの少年少女がたむろしている。それぞれの衣装がお揃いであるところを見ると、何かのイベントに出場するチームとその支援者のようだ。お母さんたちが差し入れをもってきているようでもある。
 
 大規模店舗入口脇のスペースに、幅8mくらい奥行き4mほどの舞台がしつらえられている。歩道を塞ぐように少年少女たちや支援者たちは屯して、イベントの開始を待っているようであった。私が買い物を終えて通りかかると、イベントははじまっていた。ダンスである。ビートの利いた速いテンポの音響がスピーカーから流れ出る。サスペンダーをつけたズボン姿の二人の少女が藁帽子をかぶり、舞台狭しと踊っている。藁帽子をとって、バック転を入れた大技を繰り出す。激しい動きがバランスをとって、見ごたえがある。なんとなく物語性が含まれているように感じた。面白い。
 
 立ち止まって見ているうちにチームが入れ替わる。今度は7人。全員少女だろうか。それとも後ろの2人は少年だろうか。でも、前後と左右ばかりでなく、ときには組体操のように3人が組んだ腕の上で起ちあがり、次の瞬間には飛び降りて飛び跳ねる。立体的に空間をつかって縦横に動き回る。曲調が入れ替わる瞬間に並び方や順番が変わり、その都度センターの人が変わる。目まぐるしい動き
背を伸ばし背をかがめ、腕を突き出し、屈曲させ、脚を前後に揺さぶって体をくるりと斜めに回すように前から後ろへ振り、場所を入れ替わる。いやはや、これが小学校高学年だろうか。
 
 わずか5分くらいのパフォーマンスではあるが、これだけの振り付けを考え出し、その動きを曲に合わせてふるまうばかりか、互いにぶつからないように位置を押さえなければならない。一月はかかるんじゃないか。むろん衣装もあれこれ考えているにちがいない。なんとも、いまの子どもたちのエネルギッシュな姿。思わず階段の半ばで立ち止まって、目を奪われてしまった。
 
  家にいてぼそぼそと「よしなしごとを書き綴っている」だけでは、若い人たちのこの姿は見えてこない。街にでなけりゃ、世の中のことはわからないんだと思ったね。でも、こういう活動をしている少年少女たちを、学校ではどう見ているんだろうか。遊んでいるのは確かだが、これが自分たちでネットワークをつくり、チームに仕上げて、ダンスコンクールに出場するというのであれば、それだけで十分教育的な役割の半ばは果たされている。あるいは親か大人がその組み立てに一役買っているのであろうか。それこそ学校が、教育するのは(世に出てから役に立つかどうかわからない、と言われる)知識的な授受だけなのか。だとすると、学校教育の先は長くないな。
 
 街がこのように、教育的な機能を持つ文化的な動きをつくっていて、それがインターネットや地域のネットワーキングとして進展しているとすると、学校は、もっと教育の目的を絞って、それこそ橋爪大三郎が提案していたように「学校は午前中だけ」にした方がいいかもしれない。どれくらいの数の少年少女が、このような文化的活動の波に乗っているのだろう。スポーツのクラブチームはあちらこちらにあって、それなりに根付いているようだ。でも文化的な活動がこのように隆盛をきわめているとは、思いもよらなかった。都会地じゃないと実感できないことかもしれない。
 
 そんなことを考えさせられた。