mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第17回Seminarを受けて考えたこと(5)自身の欲望をどうとらえるか

2015-12-28 11:46:07 | 日記
 
 今朝(12/28)の新聞の広告を見ていて、あることを、ふと思い出した。「人生の楽しみはエクラ世代から。」と銘打った雑誌「eclat」の広告。「世界のこじゃれたマダムが集結! パリ・ミラノ・Jマダム 私達のお手本はここに!」と大文字で謳っている。《第17回Seminarを受けて考えたこと(4)》(12/14)の末尾で、(つづく、かも)と書きおいたのは、これが気にかかっていたからだと、気づいた次第。
 
 12/3の《第17回Seminar報告(3) 操作する商業主義、鏡に照らして身づくろいをする庶民》でやりとりしていた「流行色」のことだ。Seminarの中では「商業主義」と簡単に片づけた。「流行色に気を配るのは3%」という講師の説明も、「私たちは、ほぼ関係ない」という響きを持っていた。だが、この広告を見て、「欲望はつくられる」ことに触れなくてはと思った。
 
 古希を過ぎてみると、流行遅れも何もあったもんじゃない。ここまでのあるがままを受け容れてくれる人たちとつきあい、文化のレベルが違う人たちとは付き合わない、という選択をするのに何のためらいもない。それは、自分の好みも欲望も力量も奈辺にあるかをほぼ見切っているからである。でも、若い時からそうであったか。いつごろから我が身を見て取れるようになったか。そう考えてみると、なかなか面白い「論題」に行きつく。
 
 デイビッド・リースマンの『孤独な群衆』(加藤秀俊訳、みすず書房、1964年)が出版されたころ、日本は高度成長期の中ほどにあった。東京オリンピックが開催された年。「他人志向型」という言葉が流行した。それについて、社会学者の井上俊は、こう概説している。
 
 《リースマンは、西洋社会の歴史的変動につれて、人々の性格類型が、前近代社会における伝統志向型から近代市民社会における内部志向型へと移行し、さらに現代の大衆社会における他人志向型へと推移していくと考えた。他人志向型は、20世紀アメリカの大都市の上層中産階級にもっとも早く現れ、その後、大衆社会状況の進展につれて広く一般化した。つまり、このタイプは、資本主義の高度化によって生産や仕事そのものよりもむしろ消費や人間関係に重点が移ってくるような社会において支配的となる性格類型であり、またそのような社会にもっともよく適合した性格類型といえる。》
 
 日本人は、「場」への同調圧力が強く、KY(空気が読めない)などと非難するように、基本的に「他人志向型」であったと言われてきた。単独の人の方から考えてみると、「同調圧力が強い」となる。しかし、全体をみている方からすると「場」とか「界」を大切にする感性とみることもできるから、一概にリースマンのいう「他人志向型」と同じとみるわけにはいかないが、日本社会が高度消費社会に移行するにつれて、その両者のギャップは埋まってくるようになったと言える。1960年代の半ばに大学を出るころの私が受け取った感懐は、今風のことばでいうと、自己同一性が見極められない、他人の意見に左右されて(自分の)思いが定まらないことであった。ふらふらしている。あえてリースマンのことばに近づけていえば、「内部指向型」に近かったのである。吉本隆明の『自立の思想的拠点』が出版されたのも1973年のこと。時代そのものが(心理学的に言えば)リースマンの指摘に沿うように、アメリカの後追いをしていたとも言える。
 
 日本に「他人志向型」が定着的に出現したのは1980年代。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というエズラ・ボーゲルの著書がアメリカで出版されたのが1979年(日本に翻訳されたのは5年ほど後)、日本が高度消費社会に突入したと(のちに)言われるようになったころである。象徴的に私の印象に残っているのは、糸井重里による西武百貨店のキャッチ・コピー「不思議大好き」とか「おいしい生活」が一世を風靡したことである。それは「ほしいものがほしいわ」(1988年)という究極のコピーに行きつく。冒頭にあげた「エクラ」のコピー「私達のお手本はここに!」は、糸井の究極のコピーに対する供給者側からの回答というかたちである。
 
 リースマンの上げた三つの性格類型は、時系列的に並んでいて後者が前者を駆逐するというものではなく、上へ上へと堆積するものである。つまり、私たちの親の世代においては「伝統志向型」が強く身体性をかたちづくり(それは根柢では敗戦によって瓦解したが)、私たちの世代においては「内部指向型」が強い傾向をもって青年期を彩り(たぶん、その記憶が身体性として染みついており)、後の世代においては「他人志向型」が強まって「自分探し」という社会風潮をつくりだして、現在に引き継がれていると言える。
 
 「流行色」を商業主義的に制作して指定するという「欲望の刺激」がどこまで続くか(つづいているのか)は、疑問ではあるが、経済のグローバル化がそれを利便に用いていることには違いがない。だが、私たち自身の「欲望」のつくられ方がその利便性に乗っかっていていいのかは、考えてみなければならない。多様性と個別化が進行した結果、たとえば服飾の世界において、月々何千円かの契約をして何着でも衣服を換えることができるリース業種が生まれていると聞く。もう所有の時代ではなく、共有する時代なのだ。しかも服飾コーディネーターが介在して、自分が選んだ衣類の組み合わせにアドヴァイスもしてくれる。他人と違う・世界でひとつの・ものを他人にガイドしてもらう「他人・差異(オンリーワン)・志向型」ともいうような時代になっている。
 
 「性格類型」という一つの側面で世相を切りとって決めつけるわけにはいかないから断定はしないが、昨日この欄で取り上げた「 パターナリズムと難民問題とジェンダー」の「難民問題」に絡んでくると思う。つまり私たち自身の暮らし方(のモデル)をしっかりと見据えた上でグローバリズムの波を受け止めなくては、簡単に押し流されてしまう。都合よく一部を組み込んで外は我が思い通りにというふうには、なかなかうまく行かない。といって、交換経済の波と無縁に暮らしていけるわけでもない。このジレンマに向き合いながら、「流行色委員会」という操作主義的な商業資本のメカニズムの作用をしかと視野に納めておきたい。