mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ブルデュー――西欧を日本に橋渡しする気質

2015-12-21 11:33:09 | 日記
 
 ピエール・ブルデューという社会学者の名は耳にしたことがあったが、ほとんど関心を持たなかった。それが、加藤晴久『ブルデュー 闘う知識人』(講談社選書メティエ、2015年)を読んで興味を魅かれた。ちょっと不遜な言い方に聞こえるかもしれないが、私と同じ世界観を持っていると思ったのだ。
 
 ブルデューという人は、「フランス最高の秀才コースを歩んだ」と加藤は言う。哲学者・社会学者であり、「人類学の分野では最高の賞とされる」ハクスリー・メモリアル・メダル賞を2000年に受賞している錚々たる経歴の知識人。1930年に生まれ2002年に没している。今の私と同じ年齢まで生きたわけだ。そんな偉い方と私が「同じ世界観」と直感したのは、加藤の引用するブルデューのハクスリー賞「受賞講演」の一節を目にしてからである。
 
《自分をよりよく識るにつれて世界をよりよく識るようになる、科学的認識と、自己についての、また自己の社会的無意識についての認識とは並行的に進歩する、科学的実践によって変化した初期の経験は科学的実践を変化させる、その逆も真である、と確信しています。》
 
 「科学的実践」というところは私の生きてきた領域とずれがあって「同じ」とは言えないが、「知意識的実践」と読み替えれば、これまたまったく同じ感懐を私も持っている。読みすすめて、ますます私は、ブルデューが好きになった。
 
 ブルデューの「知識人論」を加藤はこう紹介することからはじめている。
 
 《私が何よりもまず擁護するのは批判的知識人が存在しうるという可能性と、存在しなければならないという必要性です。臆説家たちが蔓延させる知的臆説を批判する知識人です。真の意味での批判的対抗権力が存在しなければ真の民主主義は存在しません。知識人はこの対抗権力のもっとも強力なひとつです。》
 
 ここで「知識人」と呼ぶのは「自分の専門領域を踏み越えて政治的社会的問題に積極的に介入する学者研究者、文学者」だと加藤は規定する。フランスは「自由・平等・友愛」を旗印に掲げるが、歴とした階級社会である。エリートが学校システムを通じて選別され、エリートであるがゆえに国家社会の構築形成に対して責任を負い、大衆の不満やルサンチマンを掬い取って政策として提起する役目を負う。そういう意味での「階級社会」であるから、「フランス最高の秀才コースを歩んだ」ブルデューが「批判的知識人」として身を立てるということ自体、いわば体制の主要勢力の反対側に重心を移すスタンスをとることを意味する。なるほど、さすが社会民主主義者が大統領になる国のことだと思ったら、そうではない。彼の「実践」は、学者研究者と社会活動家とを峻別している垣根を取り払うことも視野に納めて、「研究する活動家」と連携して「活動する研究者」になれと学者研究者に説いている。「大衆の中へ学問の功績を返せ」というわけである。ふと、68年の「カルチェ・ラタン」を思い起こさせる。
 
 そのわけを加藤は、ブルデューの出自によって育まれた「分裂ハビトゥス」と説き起こす。ハビトゥスというのは振舞い方であり生活習慣としての気質である。ブルデューは、スペインとの国境、ピレネー山脈に近い村の郵便配達夫/農家の子として生まれ、近辺のポー高等中学校で成績優秀な生徒として過ごしたことに触れ、次のように述べる。
 
《「学校世界での高い評価と社会的出自の低さとの間の大きな隔たりであるところの、緊張と矛盾をはらんだ分裂ハビトゥス」と(ブルデューが)記述している。図抜けた成績ゆえに、本来ならばアクセスできない世界で高い評価を受け、学ぶ喜びを与えられた自信と、そのシステムに対する信頼。そのような学校という社会に行き渡っている差別と選別、型にはまったさまざまな儀礼への不信。この両義的な感情がその後の自分の研究者としての行動にも深く影響している、というのである》
 
 たぶん私の生まれ育った(日本の時代と)地方都市の方が、ブルデューの育った僻村より階級的落差は小さかったのかもしれないが、それでも、学校というシステムがもたらした(社会への)信頼と地方工業都市社会の保っていた階層的差別の苛烈さは、ブルデューと似たような感懐を私の内部に育ててきたように思う。いや私だけでなく、私の兄弟たちもまた、似たようなハビトゥスを内心に育ててきたのであった。ブルデューは、そこから出立して「フランス最高の秀才コース」を潜り抜けて、しかるべきところに到達したがゆえに、虐げられた大衆の視点を組み込んだ現実主義的提起をつづけてくることができた。
 
 2000年に来日したとき、ブルデューの通訳役を務めた加藤はブルデューが「私はこの国が好きだ」とポツリとつぶやくのを耳にしたと記す。「(日本に)一目ぼれ」だと言った後で、
 
 「私にとって心に残るイメージはいずれも、《思いやりのある優しい気配り》と語源的な《心と精神の高貴さ》という二つの意味、《気前の良さ》と《道徳的な美しさ》という二つの意味をもつgentillesse(ジャンティエス)という観念と結びついています」
 
 と総括している、と加藤は言う。そして、ブルデューの教え子の一人櫻本陽一の、ブルデューの人柄を語る次の言葉を引用している。
 
 「他者への深い気づかい、誠実さ、その人柄の頑固なほどの清廉潔白さ、愚劣なもの、あるいは人々を不当に苦しめるものに対して、不快感と怒りを顕わにせざるをえない真正直さが極めて印象深い」
 
 この言葉を聞いて私は、昨年亡くなった私の長兄と末弟、まだ健在のほかの2人の兄弟を想いうかべている。たぶん私たち兄弟にも共通するこの「気質」は、ブルデューと似たような時代と社会関係に生育歴を持つゆえの類似(ミメーシス)なのであろうと思う。と同時にひょっとすると、そこを潜り抜けたところに、西欧的な世界観から日本的な(東アジア的な)世界観に入る窓口が開けているのではないかと、思ったりしている。
 
 ブルデューの最後の著書『自己分析』(藤原書店、2011年)が届きました、と図書館からのメールが入った。この正月の読み物にしよう。