mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

年忘れ山行

2015-12-17 10:47:37 | 日記
 
 このところ暖かい日が続き、関東地方の天気も一週間まぐるしく変わる。昨日も、埼玉は曇りと晴が半ばする予報。ところが、山梨県の天気予報は一日中晴れ。やったあと喜び勇んで、山の会の月例登山に向かった。12/1の下見同様、Kさんとともに高尾で乗り換えて鈍行で勝沼ぶどう郷駅に。大月駅で同行の4人が合流。彼らは特急で大月まで来て鈍行に乗り換えたのだ。予定の時刻に勝沼に降り立つ。すでに2人が待ち受けており、さらに同じ電車に乗っていた人もいて、総勢9名。8時50分に出発する。
 
 「晴れ」の予報が嘘のように雲が空一面に広がっている。「雲量・8か9」というところか。朝の陽ざしは指し込んでいるが、駅の高みから見下ろす勝沼の街は薄い霧に包まれている。下見のときにみえた甲斐駒ケ岳や北岳はもちろん姿を隠している。ぶどう畑の合間を縫って登山道へと歩く。すぐに汗ばむほど。前回踏み間違えたショートカット道を避けて、ご正道をすすむ。大滝不動尊前宮の前を通り、すぐに半ば舗装された登山林道に踏み込む。シカ避けだろうか、金網を張るかなり大掛かりな作業をしている。「どこへ?」と聞かれて「甲州高尾山から大善寺へ」と応えると「ごくろうさん」と言われ、いやいや、こちらこそご苦労さんと言わねばならないんじゃないのと思いながら、でも「ありがとうございます」と答礼して歩を進める。
 
 右手の高いところに(たぶん)下見のときに通った道が見える。やがて、道なき斜面を下り登山路に降りて着た地点に出逢う。ここまでに降り立つ道は見つからない。ショートカットが無理だったのかもしれない。Kさんに「ここですよ」と言い、他の方に下見のときの話をする。「ええっ、どこを降りてくるの?」と深い木立に包まれた沢向こうの急な斜面を見上げて問われる。Kさんは「いやあ、楽しんで踏み込んでましたよ」と笑う。そうだよね、ルートファインディングは面白いんですよねと苦笑いしながら返す。朝日を浴びた左側の山の斜面が色づき終わっている遠望が美しい。
 
 出発して45分で、車道に出る。下見のときは50分でここまで来ているから、やはり「近道」は遠かったんだ。下からタクシーが次々とやってきて、上へと先行する。みなさんくたびれた様子もなく、にぎやかにおしゃべりしながら歩いている。風もなく、落ち葉の降り積もる舗装林道が心地よい。「もう標高差で400mも上がっている」と1時間経過時点で話すと驚いている。そんなに傾斜がきついとは思えないからだ。追い抜いて行ったタクシーが返ってくる。軽トラが何かを積んで上から降りてきて、また別の軽トラが上へ上がっていく。もう少し上へ行って分かったのだが、4人ほどの人が道路に落ちた落ち葉をかき集めている。それを大きな袋に入れ、軽トラに積み込んでいる。誰かが、葡萄棚の下に敷くのではないか、という。1時間20分ほどで大滝不動尊の登り口に着く。
 
 ここからKさんに先頭を歩いてもらう。急傾斜の石段に驚きの声をあげながらも、右側を流れ落ちる滝の流れに目を奪われ、手すりにつかまりながら歩一歩と上がる。正面に本殿がある。じゃらんじゃらんと綱を振って鈴を鳴らし、柏手をパンパンと叩き、あっ、ここは神社じゃないんだと思うが、まあその程度の不信心者だから、勘弁してねと声に出さず詫びる。本殿を回り込むようにして登山道に進む。振り返ると、大滝が60m以上の落差を滑りおちている。下見のときよりも木の葉が落ちて、見晴らしがよくなっている。先頭はぐいぐいと登りトラバース道に入る。
 
 展望台に着く。見下ろす勝沼の町は霞がかかっているようにぼやけている。皆さん疲れた様子は全くない。5分ほど林道を南へすすむと「甲州高尾山→」の標識がある。かつては「剣ヶ峰→」という表示であったと私が目にしたガイドブックは書いている。国土地理院の地図では「剣ヶ峰1091.9」「愛宕山」とある。ガイドブックの地図ではその「剣ヶ峰」の少し北東に「甲州高尾山」とあり、「愛宕山」はさらにその北の方に記名がある。たぶん、ガイドブックの方が地元名、国土地理院名は「官名」なのであろう。
 
 いよいよ山道に踏み込む。落ち葉が積もり、葉の下のごろた石が危なっかしい。先頭のKさんが立ち止まって何かを言っている。「ここが山火事の跡じゃないか」という。前回ここを歩きながら、ガイドブックに記述されていた「山火事跡を過ぎて……」というのはどこだろうと話したことを思い出す。今見ると、たしかに木肌の下方の片面が焼け焦げている。それがこちらにもあちらにもいくつもの木々に、その痕跡が残っている。黒焦げになってうち捨てられた木の幹も倒れ掛かったまんまに傾いて立っている。どうしてこれが前回は見て取れなかったのだろう。痕跡は山頂部に出るまでぽつぽつとだが見てとれた。
 
 稜線部に出る。富士山はまったく雲の中。どちらの方にあったかもわからない。残念。そんなことをいいながら、甲州高尾山の山頂部が見えたところの広いピークで、お昼にする。タクシーで先行した人たちが休んでいると思えた。あちらで込み合うのは面白くない。11時10分。富士山の方、南を向いて、腰掛ける。食事をしていると、若い女性3人が「やあ、着いた!」と喜びの声をあげてやってくる。すぐに「ここはピークじゃないよ。向こう、向こう」と先を指さす。止まらないで行ってねと追い払ったような感じ。彼女たちは、「こんにちは。向こうなんだ」と言いながら通り過ぎる。
 
 お昼を食べていると、富士山にまとわりついていた雲が少し取れて、東側の斜面の稜線がシルエットで見て取れる。それが少しずつ大きく広がって、間違いなく富士山はあれだというほどにみえる。よかった、よかった。西の方を遠望すると山並みの間に雲が湧きたち、遠ざかるほど紫がかってゆく雲と山の色が水墨画をみるように美しい。「私、絵心がないから」と描き止めおきたいという気持ちを、どなたかがふと漏らす。40分もそこで過ごし、出発する。ここから先頭をKmさんにお願いする。甲州高尾山の山頂にはすぐに到着した。やはりタクシー組の男性4人と、先ほどの若い女性3人がお昼をとっている。どちらに降りるか聞いたら、大善寺という。私たちと同じだ、追いついたら、遠慮なく追い越してねと言いおいて、先行する。
 
 林道を越え、南西に伸びる稜線をたどる。山頂部が少し続くと急な斜面の下り、またいくぶんフラットな山頂部というふうに、大きな階段のように降っていく。落ち葉が深く積もり、急な傾斜にすべりやすい。ストックをついているとそうでもないが、持たない人はつかまる木立もなく体が用心して慎重だ。鼻歌が聞こえる。甲子園の応援吹奏楽のようだ。下りになったので、心もちに余裕が出てきたのだろう。あれこれとおしゃべりも絶えない。Kmさんの歩調も、後ろに目を配りながらいいペースを保っている。
 
 稜線東側にカラマツの樹林がつづくころ高圧送電鉄塔に着く。1時間。ここから南に向きを変え、またしばらくは急斜面を下る。落ち葉よりも、砂地の傾斜面。ほどなく鉄網柵の囲いにぶつかる。上の方に電気を通した回路がはりめぐらしてある。葡萄棚だと誰かが声を出す。サルの被害を防ぐためにしつらえたものであろう。葡萄棚は山の斜面を覆うように降ってずいぶん下の方にまで広がっている。鉄網柵はそれを全部囲うように設えられている。
 
 大善寺に降り立つ。13時24分。コースタイムだと50分で駅に着くが、電車は14時17分の次は15時13分。それを告げ、大善寺の国宝・薬師堂を見学する人にも時間があると話す。しばらく迷っていたが、「皆までは観ず」に通り過ぎることになった。下見のとき地元の人に教わった近道をたどって、ぶどう畑の間を歩く。勝沼の町が見下ろせ、山並みに囲まれた盆地であることがよくわかる。ぶどうの実が畑に落ちたまま捨てられている。育てているぶどうの種類もいろいろとあるようだ。「ぶどう郷」という駅の名の由来がよくわかる。ぶどうは地元の誇りなのだ。ワイナリーの前に出る。(何かの)「ツアーできたことあるわ」という声も聞こえる。醸造見学に回る人、ワインの試飲に向かう人、電車の時刻に余裕があるので、のんびりと過ごす。
 
 そこから20分という道のりも、遥か上の方にみえる駅舎に向かいながら、おしゃべりが絶えない。14時35分に到着。今日の全行程、5時間25分。陽ざしの中で、買い求めてきた白ワインを開け、もらってきた試飲用の小さいカップを配って「忘年会」を開く。といっても、カップを傾けるのは4人。あとの人たちは呆れてみている人、アイスクリームを食べる人、おせんべいを出す人。「忘年会」は電車の中でも大月まで続き、白ワインを1本空けてしまった。大月で特急に乗る人、鈍行でそのまま高尾に向かう人に分かれ、気持ちよく年忘れ山行を終えたのであった。