mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

とても人類史はやって行けそうにない

2015-12-18 09:00:34 | 日記
 
 デジタルカメラが壊れた。3年前、古稀の記念にと娘婿さんがプレゼントしてくれた優れもの。使ったことはないが、GPSもついている。その前に使っていたニコンのデジカメの撮影画像の再生ができなくなっていたから、とてもうれしかった。山歩きにも旅にも、記録用としてパシャパシャとシャッターを押す。130GBの外部保存装置が一杯になり、2TBに切り替えることになったのも、こうしたデジカメの画像のせいであった。
 
 ところがこの9月、オーストラリアに行った際、撮影しようとして電源をONにすると、レンズ部が外に出ては来るもののレンズカバーが開かない。朝起きて目ヤニがついて開かない瞼を開くように、いちいち手指でカバーを押し開いて使ってきた。(たぶん)オーストラリア乾燥帯の細かい砂粒が機器のどこかに入り込んで作動を阻害しているのであろう。修理に出そうと「保証書」をみたら、なんと5年保証。そこで、購入したチェーン店へ持ち込んだ。購入金額の範囲内であれば、無償で修理するとのこと。いや、良かった。
 
 ところが、1週間ほどしてカメラの製造企業から往復はがきが来た。何何が棄損しており部品交換が必要であるが、「○○××……」を代替させるがよろしいか、というもの。「……」のなかのアルファベットの数字の記号は、何のことかわからない。ただ、「保証期間内なので修理費用は不要です」とあったから、それでお願いしますと返信した。それから1週間、修理依頼した店舗から「修理品が到着しました」と連絡があり、受け取りに行った。
 
 「はい、ありがとう」と受け取ったのは、修理に出したものではなく、新しい製品。尋ねると、修理に出した製品の部品製造は終了しており新製品で代替するがいいかとの説明に、すでに私が同意しているとの説明。なんてことはない、「○○××……」は新製品の記号であった。
 
 良かったじゃない、と友人は言う。だが、保証期間内にすでに部品製造が中止されるとは、どういうことなのだろうか。友人の説明では、10年は部品を用意しておかなければならない(工業規格がある)はずなのだが、今の製品の回転速度はそれどころではなくなっていて、ほとんど毎年新製品の更新が為されるほど早い。部品をとっておくよりも、新品と交換した方がコストパフォーマンスが良いと判断したのではないか、と。う~ん、ほとんど使い捨てを生活習慣にしてしまいそうなほど、時代の変化速度が急速になっているということなのだろうが、果たしてそういう暮らし方で人類史はやっていけるのだろうかと、心配になる。
 
 さて、カメラが手元に戻ったのは、山に行く前日。新製品カメラを箱から取り出して取扱説明書をみながらセットする。印刷機と連動するWIFI機能もついている。電源部の位置も変わっている。それをオンにしてダイヤルを回して液晶部をみると旧製品になかった説明がしばらく浮かび上がる。なるほど、「トリセツ」もいらなくなるほど簡便に操作できるようになっている。これはいいと、山へもっていった。歩きながらシャッターを押そうとしたが、シャッターが降りない。上のダイヤルを動かしたら、無事にシャッターを押すことができたのだが、未だになぜ、あの時シャッターが下りなかったのか、わからない。「トリセツ」を取り出して読むのも面倒になり、放置したまま。そろそろ「適応不全」になりそうな気がしている。こんなんじゃ、とても人類史はやって行けそうにない、ね。それとも、吉本隆明がいうように、私はすでに「超人間」になってしまったのかもしれない(『老いの超え方』朝日文庫、2009年)。