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昨日最後の方で紹介した「阿寒湖畔エコミュージアムセンター」の側にある遊歩道。
「ボッケ」ってなんでしょうね・・・。
とりあえず行ってみましょう。
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進んでみると、まず見つけたのは、かの松浦武四郎が詠んだ漢詩の碑。
「水面風収夕照間 小舟棹支沿崖還 怱落銀峯千仞影 是吾昨日新攀山」
と刻まれており、
「夕方になり、湖面も波立たない静かな中、周辺の崖に沿って小舟を動かしていると、雪をかぶった美しい雄阿寒岳の雄大な姿が、影となって湖面におとしているではないか。この山こそ、わたしが昨日登った山なのだ。」
という意味だそうです。
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遊歩道の名前にもなっている「ボッケ」が近づいて来ましたよ。
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写真だと分からないかもしれないけど、「ボッケ」とは、アイヌ語で「煮え立つ」という意味で、写真の泥沼が、ボコボコと音を立てて盛り上がっては沈み盛り上がっては沈みを繰り返しています。
泥の火山ということで、近づいてみると、硫黄の臭いがしました。
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遊歩道の道中には、武四郎の漢詩の他にも歌碑が。
これは、1953年に、安藤まり子さんという歌手が歌った、アイヌ民族の娘の悲恋を歌った歌。
その後、「四季の歌」で有名な芹洋子さんや、最近では水森かおりさんもカバーしています。
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この碑は、ちょっと読みずらいですが、かの石川啄木の歌碑。
「神のごと 遠くすがたをあらはせる 阿寒の山の雪のあけぼの」
という歌で、1951年(昭和26年)9月に、阿寒湖畔の集落の人達によって建立されました。
阿寒湖を詠んだ歌もあったんですね。これは知りませんでした。
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ボッケと歌碑を見た後の帰り道。
そんなに長くないけど、森林浴気分を味わえると思います。
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遊歩道から湖畔の温泉街に出てみると、このようなものが。
旧阿寒町(現在は合併して釧路市)に近い十勝管内の本別町という町には義経伝説があるのですが、阿寒湖畔には弁慶の伝説が。
これは行ってみないとわからないと思います。