今や国内有数の観光地となっている函館は、必然的にというかホテルの激戦区にもなっており、どこのホテルも、個性的というか、他にはない特色を前面に出して、宿泊客の獲得競争がし烈になっています。
ベイエリアにある「LA VISTA 函館ベイ」というホテル。
ここは、朝食が美味しくてボリュームがあることで知られ、「朝食が美味しいホテル」で、過去に7年連続北海道で1位に輝いたことがあり、観光客はもとより、函館市民も、その朝食を求めてわざわざ泊まりに行くくらいの人気のホテルです。
だけど、今日は残念ながら、その朝食の話題ではありません。ごめんなさい。
すぐ近くにある「金森赤レンガ倉庫」の陰に隠れるような形になってしまっていて、通行型の観光や、ましてや歴史散歩の舞台としてはそれほど注目されていない場所ではありますが、実はこのホテルの現在地には、開拓使が、災害時・非常時の備米(そなえまい)を貯蔵する目的で建設した「常備倉」という倉庫がありました。
昨今、災害を想定した備蓄の大切さが広く呼びかけられていますが、開拓使の時代からそのような取り組みが進められていたということは初めて知りました。
開拓使が設置され、多くの農民が入植する中にあって「蝦夷地」から「北海道」となった北の大地の開拓が進められていきましたが、本州とはレベル違いの寒さ、オオカミやヒグマなどとの戦いなど、厳しい自然に屈する人も多く出たそうです。
そんな状況の中、開拓使が災害時、非常時の救済のために、備米を貯蔵する目的で、道内各地に「常備倉」が建てられたということです。
解説板にもありますが、函館の常備倉は、1万石の常備を目標に、当時としては珍しかったレンガ造りで建てられました。
建築に当たっては、現在の北斗市茂辺地にあった「茂辺地煉瓦石製造所」のレンガが用いられました。この製造所のレンガが用いられた建物は、他には、「元町公園」にある「旧開拓使函館支庁書籍庫」などがあります。
開拓使廃止後、常備倉は、当時の函館区に引き継がれた後、函館にも進出していた、かの安田財閥に引き継がれることとなりました。
ホテルの1階には、安田財閥と倉庫の歴史が紹介されているギャラリーがあります。
この写真は、「まちセン」こと「函館市地域交流まちづくりセンター」の階段の途中に展示されていて、まちセンを起点にガイドをするときには、この写真を見ながら、写真が撮影された明治15年(1882年)当時の函館について、お客様に解説するようにしています。
先程の地図でもわかると思いますが、「金森赤レンガ倉庫」よりも、少しJR函館駅寄りの方です。
同じ茂辺地製レンガを用いている建物の紹介もあります。
解体される前の安田財閥の倉庫の写真がありました。
何となくだけど、釧路にある「浪花町十六番倉庫」という赤レンガ倉庫と似た雰囲気があるなと感じます。
豪華な造りの館内にあって、倉庫だった時代の木造小屋組の一部がそのまま残されている場所があります。
解説がなければ目に留まることもなさそうな気がしますが、貴重な歴史資源だと思います。
「旧開拓使函館支庁書籍庫」の赤レンガと同様、製造年が刻まれた刻印が残っています。
この場所は、「はこだて検定」のテキストでも取り上げられていないこともあり、以前函館にいたときから全く何も知りませんでした。
今回も、何気なくぶらりと歩いていて、このような歴史のある場所であったことを知った次第です。
同じような場所が、きっと他にもあると思います。これもまた、町ブラの醍醐味と言っていいでしょう。