自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★ドキュメント「平成と私」~中~

2019年04月08日 | ⇒ドキュメント回廊

    平成19年(2007)3月25日午前9時42分、日曜の朝、金沢市の自宅(木造2階)がぐらぐら揺れた。家全体が持ち上がるような揺れだった。NHK総合にスイッチを入れた。震度は石川県の七尾市、輪島市、穴水町で震度6強、志賀町や能登町などで震度6弱、珠洲市で震度5強を観測、震源は輪島市沖の日本海でマグニチュード7.1だった。「能登半島地震」と震災名が付された。石川県では死者1人、重傷者88人、軽傷者250人、住家全壊686棟、住家半壊1740棟など甚大な被害が発生した。ぐらぐら揺れた金沢の震度は4だった。

      ~被災地における取材者目線と被災者目線の違和感~

   このとき自身は金沢大学の地域連携推進センターでコーディネーターの職に就いていた。2年前の平成17年(2005)1月に北陸朝日放送報道制作局長の職を辞していた。50歳になり「人生ひと区切り」と。すると、かつての取材先でもあった金沢大学の理事・副学長から誘われた。平成19年に学校教育法が改正され、大学のミッション(教育・研究)に新たに社会貢献が加わることになるとの話だった。「地域にどのような課題があって、そのキーマンは誰か、宇野さんはよく知っているはずだ。新聞・テレビでの知見を大学で活かしてみないか」と。テレビ局を辞した年の4月に大学の地域連携コーディネーターに採用となった。

   当時から能登半島は過疎・高齢化、人口減少が急速に進み、「地域課題のトップランナー」と仲間内で称していた。そこに来て、さらに震災が追い打ちをかけた。余震が続く翌日、大学のスタッフとともに現地に入った。震源に近い海岸沿いの輪島市門前町では街並みが崩れていた。対策本部テントを訪ね、学生のボランティア派遣について問い合わせた。「余震が続く間は二次災害もあるので、しばらくは難しい」との返事だった。3日後の28日に学生や大学職員とボランティアに入り、門前町道下(とうげ)地区を中心にお年寄り世帯の散乱する家屋内の片づけ作業を始めた。その後は猿回しの一行を連れて避難所を慰問に訪れたりもした。

   被災現場である違和感を感じた。震災当日からテレビなどの取材陣が大挙して被災地に入っていた。半壊の家屋の前で茫然と立ちつくすお年寄りがいて、その横に半壊の家屋が壊れるシーンを撮影しようと身構えるカメラマンたちがいた=写真・上=。「でかいのがこないかな」という言葉が聞こえた。「でかいの」とは余震のこと。余震で家が倒壊する瞬間を狙っていたのだ。被災者にはこのカメラマンたちの姿はどう映っただろうか。私が前職(報道制作局長)だったら、違和感を感じなかっただろう。むしろ、「倒壊の瞬間を撮ったら、すぐネット上げ(全国放送)だ」とカメラマンたちを叱咤激励していただろう。取材者目線と被災者目線、どちらも理解できるがゆえに違和感を感じる自身がそこにいた。

   被災者目線で取材をする報道カメラマンもいた。学生と被災者宅で後片付けのボランティアをしているとき、共同通信の腕章を付けたカメラマンが玄関から入って来た。片付けか作業をしていた家主に許可を得て、靴を脱いで上がった。割れたガラスなどが散乱しているので、ケガをしないだろうかと、こちらの方が気を揉んだ。撮影を終え被災者におじぎをして去った。見事な所作だった。 

   政治の揺れに翻弄されたこともあった。平成6年(1994)3月、石川県知事に副知事の谷本正憲氏が初当選した。谷本氏はそれまでの知事が現職で死去したため、新生・公明・民社・日本新・社会の「非自民5党」推薦で出馬し、当時、自民党幹事長だった森喜朗代議士が推した元農水事務次官で参議員だった候補を破っての当選だった。この政治的な背景には、自民党を離党して新生党の結成に参画した奥田敬和代議士と森氏による、自民分裂による地域の勢力戦いだった。テレビ局時代は、政治取材と言えば、このいわゆる「森奥戦争」だった。

  その森氏は平成12年(2000)4月、脳梗塞で倒れた小渕総理の後を継ぐかたちで85代総理大臣に就任。石川県出身では、33代の林銑十郎、36代の阿部信行に続き3人目だった。しかし、「日本は天皇を中心とした神の国」発言や、ハワイ沖で日本の高校生の練習船がアメリカの原子力潜水艦と衝突して死者を出した「えひめ丸」事故(平成13年2月)への対応が問題となり、就任から1年で総理の座を小泉純一郎氏に渡した。退陣前の内閣支持率は9%(朝日新聞調査)と1桁を割っていた。

  谷本氏は現在7期目、そして森氏は政界引退も東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長の座に就いている(※写真・下は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会ホ-ムページより)。

⇒8日(月)午後・金沢の天気   くもり


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