自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆情報化社会にあって 能登半島地震の復旧・復興どう発信するのか

2024年07月15日 | ⇒ドキュメント回廊

  それにしても衝撃的なニュースだ。日本時間できのう14日、アメリカ・ペンシルベニア州で演説中に銃撃されて負傷したトランプ前大統領が右耳あたりから血を流しながらも、こぶしを振り上げて無事だと聴衆にアピールする映像が繰り返し放送されている。ニュースを知ったのはきのう朝7時過ぎ。一瞬いろいろと思いが交錯した。「トランプ氏に同情票が集まり、大統領選に優位か」「トランブ、ケネディ、安倍晋三・・・、民主政治の国になぜ銃撃事件が起きるのか」、そして「この事件が能登半島地震の風化を加速させるのではないか」などと。

  元日の能登半島地震では299人もの貴い命が失われた(7月9日時点、関連死を含む)。メディアは大きく取り上げ、海外にもこのニュースは流れた。しかし、記事の扱いは時間の経過とともに徐々に小さく少なくなっている。世の中はニュースにあふれていて、古い順番でニュースは忘れ去られていくのか。 

  これは何も情報化社会に生きる現代人の特性ではない。265年前、イギリスの経済学者アダム・スミスは著書『道徳感情論』で、災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、人々の心の風化は確実にやってくる、と述べている。日本人に限らず、災害に対する人々の心の風化や記憶の風化は人としての自然な心の営みと説いているのだ。しかし、変らないのは被災地の人々の心情だ。「忘れてほしくない」という言葉に尽きるだろう。被災地の復旧や復興は一般に思われているほど簡単に進まない。

  この被災地の人々と一般の人々の意識のギャップを埋めるのが、新聞やテレビ、ネットなどメディアの役割ではないだろうか。災害発生から定期的に被災地の現状と課題、そして被災した人々の心情を伝えることだ。ただ、メディアにも難題がある。「既視感」という視聴者や読者が有するハードルだ。「以前どこかで読んだ記事」「以前に視聴した番組と同じ」などと、視聴者や読者から指摘されることをメディアは嫌がる。なので常に斬新で新たな視点からの切り口で問題に挑もうと、ディレクターや記者は懸命になる。

  話はずいぶんと逸れた。今月26日に開幕する「パリ2024オリンピック」、11月のアメリカ大統領選などこれから話題は尽きない。情報化社会にあって、能登半島地震の復旧・復興を国内外に前向きにどう発信、アピールしていくのか。重要なテーマではないだろうか。

⇒15日(月・海の日)夜・金沢の天気   くもり

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