自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★タカサゴユリのしたたかさ

2016年08月21日 | ⇒トピック往来
   「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」。女性の美しさとは、立っていても、座っていても、歩いていてもまるで花のよう、との言葉のたとえと自己流に解釈している。五月ごろ、山中の沿道に咲くササユリの横を通り過ぎると、そこはかとなく高貴な香りがする。「お守りして差し上げたい」と本能がくすぐられる。ところが、同じユリの花で姿、カタチはよく似ていても、香りがしないのが高砂百合(タカサゴユリ)だ。わが家でも5、6輪咲き誇っている=写真=。

    ただ、いつ植えたのか記憶が定かではない。というのも、ユリは種から育てると開花までに長い年月を要すると言われる。そのためユリを育てようと思ったら球根から育てるのが普通だ。としたら、球根を誰からかいただいたり、買ってきたりするものなのだが、その覚えがないのだ。

    3日前、そのナゾが解けた。今月18日、輪島市に所要で赴いた。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山里道」を走行していると、道路を切り開いた斜面地に白い花が咲いていたので、下車してよく見るとタカサゴユリだった。それもかなりの数だ。能登への道はよく走行するが、これまで気に留めていなかったせいか新たな「発見」だった。

    東西の斜面地にあり、日陰でも日なたでも同じように咲いている。確か、この辺りは11月ごろに一面に黄色い花を咲かせるセイタカアワダチソウの「名所」ではなかったと思い起こした。ということは、タカサゴユリは、あの嫌われものの外来種の雑草と同じ生活圏で生育する、いわば雑草化したユリだ。肥料分の少ない斜面地でもすくすくと繁殖できるチカラ強さがある。ということは、風に乗ってやってきた種がいつしか、わが家に落ちて育ったのだろう。

    香りはないものの、花の姿のしなやかで、お茶花としても生けられる。雑草の力強さ、そして床の間を飾る華麗さ。なんとも、したたかなタカサゴユリではないか。

⇒21日(日)朝・金沢の天気    はれ


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