きょうの夕刊各紙は「両陛下 来月下旬能登へ」の見出しで天皇・皇后両陛下が能登半島地震の被災者を見舞うため、3月下旬に石川県を訪問される方向で宮内庁が調整していると報じている=写真・上=。空路で向かい、輪島市や珠洲市などを視察し、被災者を励ます予定という。ニュースを読んで、ふと大丈夫なのかと案じた。何しろ地震は今でも毎日ように発生していて、きょう11日午前11時34分に震度3の揺れがあった。「千年に一度」「数千年に一度」と地震の専門家が称する今回の地震が数カ月や数年で収まるのかどうか。
先日(2月16日)金沢市内で開催されたシンポジウム「能登半島地震を考える-現地からの声-」を聴講に行って来た=写真・下=。被災者や現地で活動している人の話を聞き、今後の復興の在り方を考察する主旨で、認定NPO法人「趣都金澤」が主催、公益社団法人「日本建築家協会北陸支部石川地域会」の共催だった。
コメンテーターの声をいくつか紹介すると。輪島市の中山間地に居住する建築家、そして富山大学准教授の萩野紀一郎氏は元旦に帰省先の神奈川県で地震のニュースを知って自宅に戻った。自宅の建物は無事だったが事務所が倒壊した。地域は高齢者が中心で金沢などに2次避難している人も多いが、残った人たちは山水を引いて生活を続けている。「里山暮らしの人々はじつに辛抱強くたくましい」と話していた。そして提案として、輪島市の高校生たちは地震を体験しており、さらに地域の人たちから「聞き書き」することで、次世代にこの地震の記憶を伝えてはどうかと述べていた。
金沢在住で珠洲市でまちづくり活動を行っている建築家の小津誠一氏は、東日本大震災の復興事業である気仙沼市の「四ケ浜防災集団移転プロジェクト」に関わった。津波被害を避けるため高台に集団移転する事業だったが、専門用語が飛び交う土木設計コンサルの言葉を住民にわかりやすく説明することから始めたという。小津氏は珠洲市真浦で「現代集落」プロジェクトを仲間と立ち上げている。水や電気や食を自給自足できる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を「ビレッジDX」と位置付ける。30年計画を10年に早めて若者たちが帰りたい、住みたくなる現代集落をつくりたいと語っていた。
能登半島は少子高齢化が進んでいるが、今回の震災で時計の針は大きく進んでしまった。元の状態を目指す復興ではなく、縮小していく地域社会をどう最適化させて再構築するかが復興の道筋ではないか。コメンテーター各氏から考えるヒントをいただいた。
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