自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「政治的公平」は「報道の自由」を担保するのだろうか

2023年03月18日 | ⇒メディア時評

   放送法4条の「政治的公平」をめぐる総務省の2015年の行政文書についての国会論議は、何が争点なのか分かりづらい。野党側が追及しているのは、当時の安倍政権が批判的な民放番組を「公平ではない」と圧力をかけるため、政治的公平原則の解釈判断を民放の番組全体ではなく、一つの番組でも判断できるように変更したとの疑惑だ。

   一方、当時の総務大臣だった高市早苗・経済安保担当大臣は今月3日の参院予算委員会で、自身の言動に関する記載については「捏造文書」と否定し、捏造でなかった場合は閣僚や議員を辞職するかを野党側から問われ、「結構だ」と明言した。

   松本剛明総務大臣は今月7日の会見で、この文書が正式な行政文書であると認めている。ただ、13日の参院予算委員会での集中審議で、総務省側の答弁は「作成者の記憶は定かではないが、レクは行われた可能性は高い」「内容は誰も覚えておらず、正確性は答えられない」と答弁。メモの作成者もレクの同席者も内容は覚えていない、というのだ。   

   立憲民主党の小西洋之参院議員が問題提起したのは、78㌻におよぶ行政文書だった。すでにネットでも掲載されているこの文書によると、当時、官邸サイドがTBS系番組『サンデーモーニング』でコメンテーター全員が同じ主張をしていたと問題視したことから、政治的公平原則の解釈変更を総務省に迫ったとの大筋の内容だ。

   実際、2015年5月12日の参院総務委員会で、当時の高市総務大臣は自民議員の質問に対し、「一つの番組のみでも国論を二分するような政治課題について、一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の政治的見解のみを取りあげる」といったようなケースでは政治的公平性を確保しているとは認められない、と答弁している。2016年2月9日の衆院予算委員会でも同様に述べている。ただ、このときの総務省は「従来の解釈に何ら変更はない」との政府統一見解を公表し、高市氏の答弁については「これは『番組全体を見て判断する』というこれまでの解釈を補充的に説明し、より明確にしたもの」と示した。

   では、総務省による民放への圧力はこれまであったのか。民放連会長の遠藤龍之介氏(フジテレビ 副会長)は今月16日の定例記者会見でこう述べている。以下、民放連公式サイトより。

◆記者:政治的公平に関する国会での議論をどのように見ているか。⇒ 遠藤会長:行政文書の真贋について今、精査しているところだと思うのでコメントは控えたい。
◆記者:政治からの独立についてどのように考えているか。⇒ 遠藤会長:放送法は放送事業者の自主・自律を大原則としており、番組内容に関する政治や行政の関与はあってはならないと考えている。
◆記者:野党は補充的解釈を撤回すべきと主張しているがどのように考えているか。⇒ 遠藤会長:議論の端緒が真贋を問われている行政文書であるので、コメントは控えたい。
◆記者:民放各局では動揺や委縮は無いという理解か。⇒ 遠藤会長:2016年の総務大臣答弁以降も、報道情報番組に関わる部分が委縮したとは思っていない。

   上記のように民放連会長は「萎縮」はないと述べている。話がここまで来ると、いったい何が問題なのか、だれが被害者なのか実に見えにくい。そのようなことを国会で議論している。

   一つ言えること。アメリカにもかつてテレビ事業者には「フェアネス・ドクトリン」(公平原則)と呼ばれる原則があった。だが、あらゆる規制緩和を目指した共和党のレーガン政権時代の1987年に廃止した。言論の自由の権利を定めたアメリカ憲法修正第1条に抵触する、とされたためだ。政治的公平であらねばならないという原則こそ、報道の自由を阻害するものだ、との結論だった。いま議論すべきはこのテーマではないだろうか。

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