自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆金沢名所めぐり~金沢城は石垣の博物館~

2023年03月03日 | ⇒ドキュメント回廊

   兼六園と道路を隔てて接する金沢城。城壁にはさまざまな石があって、緻密(ちみつ)にそしてさまざまな技法で積み上げていることが分かる。専門の業者や研究者からは、「石垣の博物館」と評されている。

   インバウンド観光のツアーのガイドが金沢城の石垣を指さして、「加賀百万石」を「カガ・ワン・ミリオン・ストーンズ」と直訳しているとこのブログでも紹介したことがある。「百万石」はコメの量を示す尺貫法なのだが、金沢城には百万個の石があると説明されると、妙に納得する。

  石垣の城郭は城をぐるりと囲むように広がる。中でも壮観なのは菱櫓(ひしやぐら)、五十間長屋(ごじっけんながや)、橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)の石垣=写真・上=だ。「打ち込みハギ積み」と呼ばれる技法で、形や大きさをそろえた割石を用いて積み上げたもの。門の入り口などの石垣は「切り込みハギ積み」と称される、石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる技法。その中に六角形の亀甲石がある=写真・中=。水に親しむカメを表現したのもので、城の防火のげん担ぎの意味を込めた石といわれている。

   石川門近くの石垣は春の桜の季節になると、絶妙なコントラストを描く=写真・下=。無機質な石垣の鋭角的なフォルムを優しく植物の桜が覆う。ただそれだけのアングルなのだが、それはそれで見方によっては美のフォルムのように思えるから不思議だ。

   金沢城の石垣の石は8㌔ほど離れた戸室山の周辺から運ばれた安山岩だ。金沢では「戸室石(とむろいし)」として知られる。赤味を帯びた石は「赤戸室」、青味を帯びたものは「青戸室」と称される。戸室山で発掘した石を運んだルートを石引(いしびき)と言い、現在でも「石引町」としてその名前は残っている。

   その石を運んだルートに「ダゴザカ」という坂道がある。漢字では「団子坂」と書く。傾斜は20度ほどだろうか、それが200㍍ほど続く。この坂を上り切るとあとはゆるやかな下りになる。加賀藩三代藩主の前田利常(1594-1658)は戸室の石切現場を見回った後、この坂で運搬の労役者たちにダンゴを振舞って労をねきらったとの言い伝えからダゴザカと名が付いた。利常は江戸の殿中で鼻毛をのばし、滑稽(こっけい)を装って「謀反の意なし」を幕府にアピールし、加賀百万石の基礎を築いた人物だった。現場感覚のある苦労人だったのかもしれない。

⇒3日(金)夜・金沢の天気    はれ

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