自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆備忘録・猿鬼の伝説

2010年12月31日 | ⇒トピック往来
 前回のコラムで紹介した輪島市西山町大西山は能登町柳田(旧・柳田村)は互いに山を背にした隣の集落地域である。ここにサルにまつわる有名な伝説がある。能登では知られる「猿鬼伝説」である。集落における、人々の関係性、精神的な相克が見えて興味深い。以下、伝説の概略である。

 昔々、大西山に善重郎というその名の通り善良なサルがいた。善重郎は大西山のサルたちの頭領だったが、配下に一匹の荒くれ者のサルがいた。そのサルは善重郎の目を盗み、近辺の民家に悪さをしていた。ある日それが善重郎の知るところとなり、大西山を追い出された。あわてて逃げたサルが踏みつけた岩が三つに割れた。現在その岩は、「三つ岩」と呼ばれている。

 大西山を逃げ出したサルは、柳田の岩井戸という在所の岩穴をねぐらとするようになり、何時しか化け物になっていく。それから配下のサルたちをひきつれて、能登の農作物や馬や牛を食い荒らし、人をさらうなどして、人々に「猿鬼」と呼ばれ、恐れられるようになった。耐え切れなくなった村人たちは、大幡神社の杉神姫に助けを求めた。杉神姫は願いを聞き入れ、弓矢を準備しつつ、猿鬼たちの隙をうかがっていた。

 ある日、猿鬼が病にかかったという噂を聞いた杉神姫は、岩井戸の岩穴の近くで猿鬼の様子をうかがっていた。岩穴からは猿鬼のうめき声が聞こえてきた。そのうち岩穴から病身の猿鬼が出てきたので、杉神姫は猿鬼に向かって矢を放ったが、なぜか命中しない。さらに杉神姫は剣で猿鬼に切りつけたが、剣は真二つに折れてしまった。仕方なく杉神姫は大幡神社に逃げ帰り、神無月に出雲へ行った際に他の神々に相談しようと思いました。

 神無月となり、出雲で猿鬼退治の話し合いがなされた。その中で能登羽咋(はくい)の気多大社の祭神、気多大明神を将軍、杉神姫を副将軍として、能登の神々で協力し猿鬼を退治することが決まった。作戦会議をする中で、村人が猿鬼に矢が当たらない理由として、猿鬼が自分の体毛に漆を塗りつけていることを神々に知らせまた。それを聞いた杉神姫は、矢に毒を塗り、漆を塗っていない猿鬼の目を狙うことを思いつきました。村人たちは毒草を集め、それを煮詰めて毒を抽出し、矢に塗りつけた。そしてその矢を携え、気多大明神をはじめとする神々は猿鬼の住む岩井戸の岩穴に向かった。

 岩穴から猿鬼たちをおびき出すため、杉神姫は、村人が作った白い布を身にまとい、神々が囲むなかで踊りった。この挑発にのって猿鬼が配下のサルたちを従え岩穴から出てきた。神々と猿鬼たちの戦いが始まり、神々が一斉に毒矢を猿鬼たちに向けて放った。しかし、猿鬼は矢をはたき落とし、なかなか目に命中しなかった。少し離れた所から猿鬼を狙っていた杉神姫が、猿鬼の目に狙いを定め、矢を放つと、見事、猿鬼の目を射抜いた。猿鬼は叫び声をあげて逃げ出しました。それを神々が追いかけた。そして杉神姫がもつ名刀・鬼切丸によって猿鬼の首は切られた。ドス黒い血が近くの川を流れ、川は黒々と汚れた。以来この川を黒川(くろがわ)と呼ぶようになった。退治された猿鬼は神々によって葬られ、現在その地は鬼塚と呼ばれている。その塚を荒らすと大雨が降るといういわれがある。猿鬼退治の軍を興した気多大明神は猿鬼が根城とした岩穴の前に祀られ、岩井戸神社と呼ばれている=写真=。

 この猿鬼伝説と、大西山が猿回しの終焉の地であることと直接は関係性はない。が、何か因縁めいて面白い。この話は、『妖怪・神様に出会える異界(ところ)』(水木しげる著・PHP研究所)にも掲載されている。

⇒31日(金)夜・金沢の天気  くもり
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