自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★備忘録・トキと猿回し

2010年12月30日 | ⇒キャンパス見聞
 奥能登・珠洲市の旧家で、江戸時代から伝わるという「猿回しの翁(おきな)」の置き物=写真=を見せていただいたことがある。チョンマゲの翁は太鼓を抱えて切り株に座り、その左肩に子ザルがのっている。陶器でできていて、なかなか味わい深い。古来からサルは水の神の使いとされ、農村では歓迎された。能登もため池による水田稲作が盛んで、猿使いたちの巡り先だった。猿使いたちは神社の境内などで演じ、老若男女の笑いや好奇心を誘ったことだろう。代々床の間に飾られるこの猿回しの翁の置き物は、その時代の農村の風景を彷彿(ほうふつ)させる。

 以下は、ことし金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムで講義(5月29日)いただいた村崎修二さんから聞いた話である。村崎さんは途絶えていた周防の猿回し芸を1982年に復活させた人である。かつて猿回し師たちが根拠としていた周防高森(現・山口県岩国市周東町)に居を構え、息子で跡継ぎの耕平さんと全国を旅する。村崎さんの芸は「本仕込み」と呼ばれるもの。サルと仲間的関係になって芸を行わせる手法で、仕込んだサルは「花猿(はなざる)」と呼ばれる。毛並みにつやがある。同じ猿回し芸でも、芸能のプロに徹してサルを調教する手法とは一線を画し、「里めぐり」という伝統的な猿回し芸にこだわっている。

 村崎さんは、民俗学者の宮本常一(故人)に師事し、また京都大学霊長類研究所を設立した今西錦司(同)と知遇を得て、1978年から10年の間、霊長類研究所の研究員として猿回しに関する調査活動も行っている。講義の中で、意外な話が飛び出した。「江戸時代から連綿と続いた周防の猿回しが途絶えたのは昭和42年(1967)でした。佐々木組という一座がいて、最後に演じた場所が能登半島の輪島市大西山町です。ここで解散し、途絶えたのです」と。ではなぜ能登が終焉の地となったのか。「かつて、猿回しの旅の一座を無料で泊めてくれる家を善根宿(ぜんこんやど)と呼んでいました。泊める方の家も、泊めるとご利益があると思っていたようです。しかし、戦後の高度成長期、そのような善根宿は全国的に少なくなった。時代は変わったのです。でも能登は猿回しの旅芸人を快く迎えてくれ、最後まで残ったのだと思います」と。

 ことし8月、その輪島市西山町大西山=写真=を訪ねた。山間地の斜面に古民家が点在する、『日本昔話』のような里山だ。能登で有名な猿鬼伝説の発祥の地でもある。曲がりくねった路上で老婆と会うと、向こうから会釈する。能登も随分と様変わりしつつあるが、この地は原風景のままという感じがした。

 直接関連はないが、能登に生息した本州最後の一羽のトキ(愛称「能里=のり、オス」)が捕獲されたのは昭和45年(1970)だ。佐渡のトキ保護センターに繁殖のため送られ、翌年死んで、本州のトキは絶滅した。解剖された能里からは有機水銀が検出され、繁殖障害を起こしていたとされる。昭和40年代というのは、芸にとっても、種にとっても一つの転換期だったのだろうか。それにしても、猿回しの解散と本州最後のトキが能登というのも偶然だろうか。

⇒30日(木)朝・金沢の天気  くもり
コメント (4)
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