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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

筋ワルの安倍内閣は退陣すべきだ・・・大新聞の役割

2017年06月07日 10時10分57秒 | 思考試行

ここへ来て、菅官房長官も感情的になって、大新聞読売まで巻き込んだが、その効果はどうだろうか。前川前文部事務次官を貶める作戦は、みごとに天に唾する形となった。ここに安倍政権の本質をみたりという感想である。

ないと言われていたメールもいっぱいでてくる。文部大臣は何を調査したのか、何も調査していないし、逆に、必死になって、押さえ込むのに懸命だ。安倍一強政権の実態を顕にしている。

何かことがあったときに、組織も人もその真価が発揮されたり、ボロを出したりする。安倍政権は、この現有勢力のうちに、憲法改悪をするという決意を固めている。共謀法もゴリ押しするつもりである。

この政権は、あとになって、あの時に、と言わなくてはならない政権になりそうである。ここでくいとめられるかどうか、日本の将来に大きな禍根を残すことになるかもしれない。

あちこちで行動している人々がいる。だが、天下の読売新聞も政権の片棒を担ぐし、朝日新聞には、デカデカと公明党関係、出版社の広告が掲載されている。信者たちの「寄付」が、こんな形で、朝日の筆を鈍らせるために使われている。

おそらく、大新聞に対する「攻撃」は、今までもあったし、今後もあるだろうが、日本が本当に平和国家として、国民を大事にし、世界の人類のために生きていく真っ当な、国になるために、大新聞の役割は大きい。新聞が、そういう立場にたちきることが出来るかどうかが極めて大事である。


さすがに気がつき始めたか

2017年06月06日 12時37分14秒 | 思考試行

安倍政権の本質というか、何をやろうとしているか、その考え方の傾向がようやく解ってきたということか、支持率が急落したという。だが、そうなると、自民党内で、忠告者がでてきて、なにやら新陳代謝が始まる気配もある。

自民党はこうして、全体として権力を維持してきた。党内野党の存在である。だが、その本質は、普通の国になることだとしたら、国民にとって、危険なことは変わりがない。油断できないのである。

およそ、権力が変わると、不変のものと思いがちな価値観が大替わりする可能性がある。最近は、ことにその傾向がある。トランプなどは論外と思えるほどだが、そんな大統領が登場してしまう。アメリカの場合は、安倍一強のような現象は起きず、機能が働いて、簡単に無茶苦茶路線が暴走できないようだが、それでも、相当な危うさがある。

日本の場合は、強いものになびく習性があって、こいつが問題である。だが、高級官僚の一隅から、反撃らしきものがでてきたことはいいことである。追い詰められて、「窮鼠猫を噛む」ということだろうか。

国民が主人公として、自覚をもち、政治家や官僚に舐められているようではいけない。国民はややこしい宗教や、デマやウソや、あれやこれやに騙されがちである。子々孫々がしっかりと生き抜いていけるようにまずは、その頭をしっかりと鍛えなければならない。


真実はどこに・・・森友、加計問題

2017年06月05日 10時57分43秒 | 思考試行

前文部次官まで登場してきた。官邸の動き、役所の内部文書、そして行政への官邸の意向の伝達など、そして忖度が問題となっている。

まさに、権力を持てばどうなるかの、実証でもある。お友達のために、権力を持つ者は、どうしてもえこひいきをするという実例である。

内閣が高級官僚の人事権を把握したところから、高級官僚の忖度が始まっている。力の強いものに官僚はなびいていく。彼ら自身が人事権を有していたときは、大臣はお飾りにすぎず、省益に徹していた。

政界も、官僚の意向をくみとり、自らの選挙区への利益誘導を図っていた。官僚は、強い力を持っていた。政治家などは、かれらの意向を実現する道具の一部に過ぎなかったのかもしれない。

だが、人事権を取られてしまえば、官僚の力は、相当削減されたと思われる。そこで、安倍一強政治が実現した。あるものをないといい、やりたい放題にやっている。強権の発揮が、いよいよ顕になってきた。

ここへきて、高級官僚も黙ってはいられなくなってということだろうが、自民党も高級官僚も、もともと、国民のためにということに、本気だったかどうかは疑問符がつく。主役交代となっただけかもしれない。

いまの状況は、人事権を振り回して、官僚を意のままに操り、憲法解釈を変更し、戦争可能な国へとまっしぐらに歩む安倍政権、危険極まりない。


俳句をはじめて

2017年06月02日 11時07分26秒 | 思考試行

今、自分が停滞していることがよくわかる。これは、人の作品を素直に味わうと、直ちに、その感想が導きだされる。

いい作品には、そこには、抽象的ではなく、具体化された切り口や、言葉の選び方や、感性も、もちろん関係するが、人生に対する姿勢も問われていて、いちいち納得せざるを得ない日々である。

これは、短い詩型だからこその特徴だと思えるが、もう駄目だ、自分には無理だ、などとは思わないことだ。要するに、ダメージが大きくないのである。

いつかは、自分にもできそうな気になるのである。だが、なかなか出来そうで出来ない現実に直面することによって、簡単ではないことを思い知らされる。

センスを磨いて、いい作品ができるようになることを夢みながら、日々、人生を味わいつつ、俳句とつきあっていきたいと思っている。

とにかく、どんどん作りまくって、駄作であろうが、なんであろうが、気にせずに、表現して、批判や忠告を素直に受け入れて、力をつけていきたいものである。


隣から、木のクレーム

2017年06月01日 11時02分29秒 | 思考試行

仕事場にして以来、午前中に来るようにしているが、だんだん無人感が出てきて、庭の木が繁茂している様が目立つようになってきた。こうなると、剪定しないと、隣はますます不安になるだろうし、放置はできない。

今朝始めて直接に、木のことについて、隣からクレームがあった。

荷物もかなり移動したが、もはやスペースは限られており、移転先は、ほぼ限界となってきた。ということは、現在残っているものは、すべて不用品ということになる。この片付けも大きな課題である。

もはや、年齢のこともあるし、本当に手仕舞いの時期を迎えているのだろう。実感として、現実の生活の変貌を思う。

世の中すべて思い通りにはいかない。それでも、何がしかの思いがなければ、生活が成り立たない。その具体的計画が、合理的なものであれば、それは有効であるが、全然的外れとなれば、悲しい思いをしなければならないし、そのあたりの予想が生活に影響を与える。

着実に、課題をこなして、人生を楽しんでいこう。