言抜けは、誤魔化したり、テクニックでできる。だが、真相は本人も知っているだろうし、気持ちの悪い思いをしていることだろう。そんなことを続けていると、ご本人の精神衛生上問題ではないかと心配する。
ウソをついたり、誤魔化したり、言い逃れのテクニックが身に付いた人というのは、本当には幸せとは言えないはずだが、どうやら、自分自身も誤魔化してしまっているようだ。
平気で論理的にガタガタでも、平然としておれるのは、これは、人間的に失格していることを意味する。正義を語れず、逃げ回るばかりである。そのあげくは、国民を監視しようとしたり、自分に歯向かう相手には、相手の弱点を探しまくり、そして、子飼いのマスコミに流す。
文科省の元次官が、怪しげな店に出入りしていたと、読売新聞が報道したのは驚きである。元次官は、そのことを、決して恥じていたりしない。彼の論理で、その店に出入りしていたことを述べている。けっしてスキャンダルではないのである。
官邸も血迷ったものである。怪文書とまで、罵っておきながら、いまさら追加調査するという。聞いて呆れる。どうやるつもりなのか、どう誤魔化すかに躍起となっている姿が目に浮かぶ。