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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

原発に厳しい判断

2015年04月15日 10時24分53秒 | 思考試行

地裁で、原発再稼働にストップがかかった。関西電力は、判決をなんとも思っていない姿勢である。世論は、おそらく二分されているので、このような判決がでても、なんの不思議はない。世界一の基準などといっても、そんなものは、信用ならないとする明確な判決である。

関西電力は、仮処分に対して異議を申し立て、その後本訴になれば、上級審でくつがえると考えているのだろう。日本の危うさは、ドイツのような割り切りをしないままで、とりかえしのつかないような事態が起こった場合にどうするのかということを考えないところである。

福島原発の事故を、なんとも思っていない。あれだけのことがあっても、何にも学んでいないのである。恐るべき無神経さである。

自民党、公明党政権は、まさに、その道を歩んでいる。まことに危ういことである。さまざまにあった、労働者保護規定も、どんどん外し、弱者切り捨て政策がすすむ。一部、株主、資産家、など富裕層の期待にこたえた政策を連発している。

しかも、世界にでかけて「戦争だってやる」姿勢である。そんな政権を、有権者はまだまだ支持しているのだろうか。投票率が、50%をきり、支持率が20%とすれば、有権者の10人に一人しかいないことになる。

こんな数字で、国民の支持があるなどと、ふんぞり返られては、まことに困る。国民の間には、無力感と政治に対する期待感がなくなっているのか、その動きは、いささか鈍いものがある。

そうこうしているうちに、憲法を変えられて、状況が変わると、権利も奪われ、秘密保護法でがんじがらめにされてしまいかねない。そんな危惧さえもつ。


何を正しいとするか

2015年04月14日 12時47分44秒 | 思考試行

誰もが、一致するはずだと思っても、そうはいかない。昨日のBS8chの浜田さんと浜さんの、二人の経済学者の討論を聞いていて、その平行線ぶりに驚いた。

アベノミクスをめぐって、浜さんは、かつてアホのミクスといって、金融緩和政策を批判していた。今もそうである。片や、浜田さんは、金融緩和が意味があったと主張する。

景気がよくなったと実感できないとする層と、この金融緩和で恩恵を受けている層があって、その評価は、はっきり区分されている。

円高から円安になったことで、利益を受ける層とそうでない層がある。円安になって、輸出関連業者は、価格競争に有利となって、大儲けとなるが、輸入関連では、コスト高となって、苦しくなる。

庶民の給料は、上がっていないから、消費税とコスト高の物価値上げでパンチをくらっているわけだが、それでも、総体的な生活水準は、国際的にみて、先進国なみなのであろう。

だが、格差拡大がすすみ、非正規雇用者の割合がどんどん増えている。儲け本位の人類文化破壊作業が、進行してきている。肉食系の価値観が、新自由主義として蔓延してきている。

ここには、人間文化に対する浅薄な認識が明らかである。あたたかさ、思いやり、助け合いとは無縁のえげつない、なんでもありの、冷酷無残なやり口である。

これが正しいのだろうか。もとより、何が正しくて、何が正しくないかは、規定できないことである。どう選択するかという話である。仮に、助け合いを正しいとし、あるがままに、弱い者は強いものの餌食になるほかないというのは、正しくないとしてみただけのことである。


格差拡大

2015年04月13日 15時08分13秒 | 思考試行

努力したから、東大に入れた。だから、さまざまな特権があって当然だし、格差があるのは当然だと思っている。

非正規雇用で苦しんでいる者は、努力が足りなかったのだから、これも当然だ。なにか有利な扱い、条件があるのは、既得権益であれば、奪い取り、もっと努力しているものに、分配すべきだ。

株主が、会社の持ち主だから、株主こそ、もっともっと優遇されるべきで、文句のあるやつは、辞めさせろ。

てな具合に、どんどん格差は拡大していく。豊かなものは、もっと豊かに、貧乏人は、もっと貧乏にと、流れがつくられていく。そりゃ、当然テロも起こるし、世の中荒むだろう。あたりまえのことである。

大阪市をなくして二重行政をなくすというが、貧乏ではあるが、優雅に暮らしている公務員を減らして、貧乏人の目標をもっと下げさせる効果もある。

減らした儲けで、どうするのか、カジノを作り、富裕層の楽しみをふやし、人でなしを作り、思いやりとか、助けあいとか、その内、死語になってしまいそうである。

 


戦争をしないためには

2015年04月12日 13時15分13秒 | 思考試行

戦争をしないことを宣言する。そこが、まず出発である。憲法9条は、それを宣言している。戦力も持たないとしている。そこには、自衛という文言もない。したがって、相手が遮二無二攻めてきた場合はどうするのかといえば、打つ手がないのである。

日本はそういう宣言をしているのである。これほど、戦争をしないことを鮮明にしている国はないのではないか。尖閣といわず、どこだって、自国の領土を守る術はないのである。まさに、各国の信義に頼っているのである。

戦争で、すべてを失い、アメリカの属国になり、お妾となり、金儲けだけはしてきた。だが、肝腎の誇りを失っている。だいたい、こういう理解でいいのではないか。憲法を変えたいという方々の考え方は。

それで、これではいかんと、ではどうするのか、結局は、自分で自分のことを守れるようにしなければならんと、で、自分の国だけでは、到底自分の国は守れない、となれば、集団で、信頼できる他国と協力して自国の権利を守ろうとなる。

そこで、集団的自衛権が登場する。アメリカの言うとおり、どこでも行こうか、ということになる。これは、まことに危うい道である。彼らが、何をしてきたのか、先住民の文化、富、そして命をうばい、彼らは権益を確保してきた歴史を持つ相手である。

そのために、彼等は、自分に都合のいいルールを押し付けてくる。こんな相手を付き合わなくてはならない。油断できない相手である。武器をもたず、にいけば、簡単に裏切ってくる可能性がある。武器をもつにしても、相手を凌駕してしまうようなものは持てない。

いつでも、もてる状態にして、ある日突然、とんでもない武器をもったとしたら、彼らはどうするだろうか。どの国も黙ってしまうような、画期的な武器を手にしたとしたら、どうなるのだろうか。

人間が作れたものなら、いずれ、どの国も持つことが可能だろう。かくて、人類社会は、滅びるよりほかない運命となる。その方向を根本的に変えるためには、最初にもどって、私は戦争しない、やるならやれ、というほかないのかもしれない。


資産格差拡大、労働基準の破壊

2015年04月10日 12時37分42秒 | 思考試行

これが、進んでいくとどうなるのか。安倍政権は戦争をする国へとすすめるだけではなく、大金持ちに、さらに儲けさせ、貧乏人を増やそうとしているとしか思えない。非正規雇用をさらに、拡大し、労働時間では、残業代を支払わない制度の導入を考えている。

これだけ、真面目にはたらく人々、実際に働いている人々に対して、攻撃を加えているのに、支持率は、なお高いという。いったいどうなっているのだろうか。もう、民衆は諦めたのだろうか。

安倍政権は、憲法解釈を変えて、アメリカの言うとおりに、地球のどこにでも、くっついて闘うつもりである。自衛隊が、殺し殺されに行く。こんなことを許していいのだろうか。

天皇がパラオを訪問、新聞記事をみると、かつての戦争のひどさを知らせるきっかけとなっている。今や、誰も知らないような、かつての悲劇の事実が明らかにされている。天皇の強い希望で、この訪問が実現したとされるが、安倍政権はどう考えているのだろうか。天皇の祈りによる意思表示にみえる。

かつて天皇の名において戦争を行いながら、その実際は、天皇をないがしろにしていた。天皇の意思ならば、それは、独裁政権であるが、実態はそうではない。支配のいわば、道具化である。

かつての戦争が、どのようにして起こったのか、テレビに石原慎太郎氏、西部邁氏が登場して、かなり詳しく事情が話されている。かれらは、今の憲法は、アメリカに押し付けられたもので、敗戦後の日本は「お妾」状態であり、奴隷国家であるとみているようだ。

日本は、明治維新ころ、さらにその以降、欧米列強のアジアでの振る舞いをみて、それこそ自衛の必要を痛感し、そこからの流れから、先の大戦につながると考えているようだ。小生も同感する。ただし、行き過ぎがあり、他国に加害を与えたこともあるのも事実だろう。

アメリカは、ベトナムで何をしたのか。ありもしない事件を口実にベトナムに侵略していった。国土を破壊し、化学兵器の後遺症は今もある。アメリカも傷ついたが、その反省はどこまであるのだろうか。欧米列強が何をしてきたのかも問われなければならない。

紛争の問題の根本には、なにがあるのだろう。資産家は、もっと資産をほしがり、少しでも、失うことを恐れる。問題の根本には、不公平な富の分配が、底流にある。ほとんどすべての原因だろう。貧しいところに、もっと手をのばすべきである。地球規模での問題解決の手法が考察されなければならない。それがいつのことになるのか。いつかは、なされなければならないことである。


人を大事にすること

2015年04月09日 11時06分17秒 | 思考試行

人間社会なんだから、当然、人を大事にすることは第一義に考えられるはずであるが、そうはいかない。人間でも、身内であるとか、特別のつながりがあるからとか、扱いに差があって、儲けのためなら、手段をえらばないという手合いもいる。

損保会社の申し込み書に「署名」を要求するようになったのは、明らかに、外国の習慣を持ち込んでいることだから、その背景には、外資がいて、彼等のさしがねであることは、容易に想像がつく。代理店手数料を、滅茶苦茶に下げ、社員を減らし、顧客サービス低下なんてことも、その内、もっと顕著になるだろう。

保険料そのものは、どんどん上げながら、軽費については、バサバサ切っている。儲けは、外資がもっていくという算段であり、彼らが多数を占めて、企業支配ができると、商慣習に関係なく、彼等の言い分を通してくる。いやなら、代理店をヤメたら、と平気で言い放つ。

代理店が、一応生活できるようになるまでには、多くの個人資産(有形、無形のものがある。)を費やしてきており、辞めるとなれば、それらは、全部、めしとられてしまうのだから、従前のしきたりでは、そんなことは、決して口にしないことであった。

いつでも、お互い独立商人ということならば、いつでも打ち切りということになるなら、こんな商売にはつくべきではなかったということになる。騙されたようなものである。彼らはそれを平気でやるのである。

西欧の白人社会は、東洋人とは違うメンタリティーをもつ。彼等のやってきたことは、争いの連続であり、人種差別、宗教差別、力による支配、破壊、自分勝手な論理を平気で押し付けてくる。有色人種には、抜がたい差別意識もある。

人を大事にする考えなんて、毛頭ないと考えてもいいかもしれない。まだまだ地球社会は、発展途上であり、目をおおいたくなる事象が、当分続くとみなければならないだろう。

その意味では、大阪市の解体の話などは、住民サービスの切り捨てであり、無駄の切り捨てと称しながら、権力集中をもくろみ、儲け専一亡者のための策略とみる。こんなものを通してはならない。


たまるゴミ

2015年04月07日 11時46分38秒 | 思考試行

この対策は、捨てるしかない。こまめに、その都度捨てていく。要するに、ファイルしない。その場で判断して不要なものは、直ちに、捨てる。

そして、たまった会報誌なども、いかしようがない。捨ててもいいが、それこそ、個人情報が満載されていて、安易に捨てるわけにもいかない。処置にこまる。

そこへ目をつけた処理業者もいる。宣伝広告で、ダンボール箱で、廃棄するという。資源の浪費を目の当たりにするようで、この活かし方についてのことは、広告にはない。単純に秘密書類を引き取り、秘密保持をうたっている。

秘密秘密といいながら、あちこちで、大量の情報が漏れている。その結末がどうなったのか。どんな不具合がでているのか、具体的な情報を知らないから、実感がない。

ただ、一度犯罪を犯せば、なかなか就職できず、ついには、また、大半の人が、犯罪を犯すことになるという。こういう情報については、どうにも消すことができないようだ。

その点、昔は、居住地を変え、名前を変え、こころを入れ替えて、真面目になることもできたようだ。本当に反省した人間をゴミ扱いしているようでは、日本社会は、まだまだ不備だらけである。


統一地方選挙でも

2015年04月06日 11時32分19秒 | 思考試行

選挙となれば、どんな選挙であろうと、政治勢力の伸長を目指す機会となる。また、現政権にとっては、政権の評価につながるから、単に地方選挙であるから、地方の課題だけとは思ってはいない。

だが、それは、まともに政権交代にはつながらないし、時に使い分けて、政権がやろうとしていることとは、関わりないという顔をするかもしれない。

本質は、政権評価であるから、これに騙されてはいけない。地方選挙は、まさに、地元の顔見知りが立候補するわけで、身近であるだけに、選挙運動の形態もかなり変わる。

今も、表通りを数人の人々が、ナマの声をあわせて候補者の名前を連呼しながら、通り過ぎていった。これは、だいたいどの党であるかの予測はつくのだが、これが、地元選挙の特徴を色濃く示している。

地方選挙といえども、国政につながっているのであり、ここでも、自民党・公明党・維新に打撃を与えて、戦争をできる国への流れを止めていこう。その貴重な機会とみて、戦争反対の野党勢力を伸ばさねばならない。


戦争をしないためには

2015年04月05日 17時44分40秒 | 思考試行

戦争が如何に、無慈悲なものであるかについて、戦争経験のないものには、本当には解らない。だが、予想はつくし、地震や津波で大災害にあった国民が、想像できないはずがないだろう。

天災か人災かの違いはあっても、多くの人命が失われ、人間の作った破壊道具で、何もかも破壊するのだから、どう考えたって、戦争なんてするものではないことは、明らかなはずなのに、今、尖閣や沖縄、北朝鮮、慰安婦問題、中国の覇権主義的傾向・・・アメリカの意向・・・などなど、戦争への道が、せまってきている感じがする。

特定秘密保護法を作り、国の機密を破ったという口実で、罰する道を準備した。マスコミ、公務員を萎縮させ、国民は、どんどん政治的関心を失い、キャンペーンにのっかって、戦争をやろうかという勢力に多数を与えてしまった。

いや、それも本当の多数ではない。低い投票率、得票率で、議席数だけ多いという、まやかしの多数である。正直に解らない、といいつつ、安易に、お任せで生きていると、いつの間にかこの体たらくである。


戦争する国へ本当になるのか

2015年04月04日 10時53分01秒 | 思考試行

自衛隊が発足するときは、軍隊ではない、といって始まった。それは、まさに、憲法9条があるからであり、軍隊とは、絶対に言うことはできなかった。ところが、国家として、まったく防備がないとは、どうなのかという現実的な問題があるとして、なしくずしに自衛隊が増強されてきた。

そして、いまや、自衛隊が軍隊であるといっても、それほどの反発は国民のあいだにはなさそうである。そして、その行動範囲は、日本周辺と言っていたのが、自民党が議席を獲得したことによって、憲法解釈の変更にふみこみ、集団的自衛権の名の元、もはや、制約がないかの如くである。

戦争は、侵略を目指して始まることはない。いつも、防備の必要からということであり、自衛のためという口実で戦争は、始まっている。侵略のために、というのは、そうとう昔の話である。だが、本音のところは、領土拡大、権益拡大のために、虎視眈々というのは実態であろう。

それこそ、宇宙的視点にたつならば、くだらないことであって、当然ながら、人類は、共生を目指すのが、あたりまえであるが、そのあたりまえがなかなかできない。そのなかで、安倍政権は、それなりの支持率を維持している。このままでは、戦争をする国へまっしぐらであるが、どうしようもないのであろうか。

地方選挙が展開中であるが、この機会もまたこの方向を変えるためのチャンスである。ここで、共産党など、戦争反対勢力を伸長させることは効果的であると思う。


時効

2015年04月03日 14時04分30秒 | 思考試行

殺人の場合、時効がなくなった。そうなら、凶悪事案についても、同様の扱いにすればいいと思う。やったことは間違いないが、もう時効だから、問題にしないとか、もう時効になっているから、その犯罪があったか、なかったかについて、調べることもしない。そんな事件がある。

婦女暴行事件で、訴えの事件が、既に時効にかかっているから、事件そのもののあったのか、なかったのかについても、問題にしないという裁判があった。まったく理不尽に思える。事実を隠蔽し、時効で逃げ切るという卑劣さである。

それが、平和をポーズとしながら、政権与党の一角を占めている、政党に関係深い宗教団体の創立者である。婦女暴行事件で裁判になったが、時効ということで、事実問題には立ち入らず、それでおしまいとなっている。

この宗教団体は、大阪でいえば、各区に〇〇文化会館と銘打って立派な建物を持ち、選挙になるや、一斉に信者が動く。家々にはポスターが張り出される。見事な組織的行動である。

電話による宣伝行動、日頃付き合いがなくとも、支持の訴えに行動する。どこから、その行動力が生まれてくるのか、だれかが、指示すれば一斉に行動をする。この体質がおそろしい。すっきりしない現状である。


朝日新聞の中国「官僚主義」のコラムについて

2015年04月02日 11時06分22秒 | 思考試行

力作、というかコンパクトに今の中国の状況が、理解できた。同時に日本の状況にも当然関係してくる。ストライキなんて、今の日本ではほとんどみられないが、中国では、結構今あるとか、官僚資本とのたたかいのことなど、興味深い。

最近は、新聞に対して、そんなに期待をしなくなっていたが、この記事をみて、社会をどないかせんと、と思っている存在をしって、新聞の役割の重要性を感じる。

論議をふかめて、日本のエセ労働運動や、おかしいところをビシバシと明らかにし、オピニオンリーダーにきちんとなってほしいとおもう。

民主党政権の末期のときの朝日はひどかったが、その後の誤報問題などで、かなり社の体質は変わったのだろうか。この記事を出せるということは、その存在には、まだまだ価値があるということだと思う。

日本の労働団体とも、交流があるとアウさんがいっているが、どこの労働団体だろうか、それが気になるが。


やりたいことをやる

2015年04月01日 10時19分13秒 | 思考試行

それを実行出来る人は、かなり稀であり、その結果、破綻が起きないとすれば、それこそ達人である。だが、大抵はそうではない。そのやりたいことをやれば、どうなるのか、少し考えれば、いろんな障害が目に見え、とても踏み切れないはずである。

そこを、カッとなってやってしまえば、そこで悲劇が誕生する。多くの事件は、そのようにして起きているのかもしれない。

だが、欲求を締め上げ、なにもかも、自己規制してしまうことが可能かどうかであるが、それが出来たとしてもそんな人生は、つまらなくみえる。そのあたりが難しい。どうすればいいのか、という話になる。

そうしたなかで、生き生きと、ハツラツとして人生を過ごしている人もいるはずである。あるいは、多くの人々は、日々の生活において、あまり、深くは考えないが、結果的には、易易と過ごしている方もいる。

結局は、どうもそれが正解であり、その持ち場、仕事、やるべきことを、淡々とやりながら、時により気分転換をはかり、娯楽にも関わって、いければ、それはそれでいいことではないかとも思える。

大望を抱こうと、そんなものとは無関係であっても、日々のなかで、探り探りしながら生きていくことになるのだが、それで、立派な人生といえる、と考えたい。