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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

ついに反小沢の姿勢を出してきた

2010年02月10日 08時45分25秒 | 思考試行
枝野氏が、ついに入閣してきた。反小沢勢力を鳩山サンはいれてきた。政界は、常に流動的であり、権力の消長は、人事に当然現れる。政権交代が、大きな変化を呼び込むかどうかは、まさに、人にかかっているわけで、このタイミングで鳩山氏は、素早い行動を示した。

検察は、前政権の意向を受けて、一連の行動をとってきたのだが、自民党には、一切手をいれずに、不公平な行動を、平気で展開してきた。鳩山氏は、この検察のメチャな動きを利用して、反小沢勢力の枝野氏の入閣を実現した。したたかなものである。

検察の正義顔は、説得力がない。検察自身のウラガネ問題を、ホウカムリしたままで、何が正義かと言いたい。自民に忠義立てしてドタバタしてみせたが、鳩山氏は、自身への問題をすり抜けると、今度は、これを利用した。

この国が、ホンモノの民主主義になるには、まだまだ時間がかかるのだろう。検察、ここも、解体しなければならない構造になっているのではなかろうか。

世界は、もちろん相当の問題をかかえながら、時を過ごしている。これらが、スイスイと問題を解決して、よどんだ空気を一掃して、クリアになるのは、いつのことだろうか。まずは、手じかなところから始めるしかない。

小沢氏が、権力を握ったのは、やはり、金集めがうまいことと、人心把握に長けているからだろうが、システムとして、世界に影響を与えるためには、理念がいる。それは、何なのかは、彼からは聞こえてこない。せいぜい日本の政治構造の専門家にすぎない。

日本だけでは生きてはいけない。世界にどうからむのかが問題である。その意味では、鳩山氏は、仕事ができると思う。枝野氏起用は、彼の敏捷性をよく示した。

過渡的世の中をどう変える

2010年02月09日 10時01分47秒 | 思考試行
今は、もちろん理想的な世の中ではない。どこに問題があるか。矛盾だらけで、浅はかで、残酷無比で、不合理だらけである。

どこをどうすればいいのか。クイズのように、解決策を解いていく時期がそこまで来ている。もうあまり時間はない。環境問題もそうだし、経済にしても、食料にしても、なにより、哲学が必要である。

人間社会の理念が、いま、語られなければならない。どこへ行くのか、何を目指すのか。真剣に語られ、考えなければならない時期を迎えている。

自然に任せた競争原理だけではなく、アフガンの中村さんのように、具体的な仕事には、意味がある。それは、競争原理ではない。やらなければいけない、と思った人の強烈な理念がそこにはある。

こうした、具体的な仕事の積み重ねが、世の中を変える。そして、そのために、グランド設計も必要だろう。理念に基づいて、総合的なプランを提示しなければならない。理詰めに、合理的なものをつくれるかどうか。それは、一挙にするものではないかもしれない。

少しづつ、改変をいれながら、進行していくのかもしれない。だが、その方向性は、もうすでに、明らかである。具体化の手順の問題ではないだろうか。前後左右しても、変であればやり直せばいいのだ。焦らず、急がず、着実に不合理との闘いを続ける。

奔放な生き方がいいかどうか

2010年02月08日 08時46分01秒 | 思考試行
なかにし礼氏の「世界は俺が回してる」を読んでいる。人に勧められたのであるが、本屋でこの本に出会ったとしても、恐らくは、読むことはなかったであろう、と思うぐらいに、コチトラとは棲む世界が違う。

テレビプロデューサの伝記である。子供の頃から、ワガママでそれを武器にして、思いどおりに奔放に生きている。

派手な世界、センスとかなんとか言ってるが、要するに、遊び人の世界である。ここには、普通の世界ではない現実がある。これを万人がするわけにはいかない。むかし、この人の演出と思われる番組をみた記憶がある。

大人の雰囲気で、洒落た感じの番組であった。その裏側というか、この番組づくりに携わっていた人びとが、こんな連中であったとは、思いもかけない。スマートで都会的な番組は、まことに常人ではない連中の手で作られていたのである。

すさまじいまでの女道楽、道徳観、そのなかで生きている男女の生き様、これは、明かに我々の世界にはない。素晴らしいようで、安らぎの世界はない。そこには、快楽があるのだろが、この種の快楽は、破滅しかないとしか思えないのだが、ところが、そうではなくて、そこに、また深い人生があるのである。

素人にはわからない。プロの人生という表現があう。しかし、この人生は、素人でもいい。下手に、こんな人生を真似したり、羨んではいけない。本を読むだけにするのが賢明である。

放送大学科目登録手続きをおえる

2010年02月06日 09時06分41秒 | 思考試行
半年間、科目登録ができなかったために、事実上休学していた。昨日から、インターネットで手続きができることを知っていたが、今朝ようやく登録を完了した。本当に、便利な世の中になったことだ。いながらにして、情報のやりとりができる。

それで、驚いたのは、自分の学生カルテがあって、単位取得状況はもちろん、自分の過去の成績から、主な個人データーがつぶさにみえることである。暗証番号があるといえども、それさえ解れば、すべて記録されているので、スッポンポンになった気分である。恐ろしいことでもある。

ゴマカシはきかない。正々堂々と生きていくしかない。時効もきかない。一度記録されれば事実として、残るのである。記録をみれば、もう在学期間が20年に近くなってきた。少しずつ単位をとりながら、途中休み休みしながら、ここまできた。

いろんな分野に挑戦してきたが、そのことで、具体的な成果があったのかどうかはわからない。しかし、能力のない自分に贅沢をさせてやってきたという感じはある。吸収能力があれば、相当の仕事をすることができたのに、と思えることがある。

もったいない養分を、たっぷり貰っているという感じがあるのだ。それでも、小生がその位置を占めているから、誰かがはみ出ているということではない。放送大学には、競争関係はないから、その点は気楽である。

4月から、新学期が始る。いよいよ苦手にしてきた数学の基礎に挑戦する。どこまでついていけるか、まことに楽しみである。

宗教を離れたモラル価値観を

2010年02月05日 08時24分48秒 | 思考試行
信条として、信仰の立場から、非常にモラルの高い生き方をしている人は、多くいると、何となく思っている。その謙虚さや、禁欲的な生活態度は、あくまでつつましく、奉仕の姿勢で貫かれている。映画などで、出てくる修道僧や修道尼のイメージである。

当然モラル観は、信仰に裏打ちされて、すべての庶民の模範に相応しいということになっていて、真似はできないながら、尊敬する他ない、という扱いとなる。

そこで、人間にとって、宗教は、根幹となるべきものなのであろうか。非科学と結びつく、宗教は、人間にとって、その清らかなイメージとは、まるで別の、抑圧、支配、非論理、残虐の本性もある。

そして、現代社会においても、隠然たる力を持っている。表面の慎ましやかな表情と裏腹の頑迷で、残酷な価値観がその背景にある。彼らの価値観に深く立ち入るならば、必ず、何らかの病巣がある。本質的には、未開の部分があって、暗闇がある。

それをそのままにしている。暗闇であるにも関わらず、それを自覚しないこともあるかもしれない。

人間は、この宗教を離れた価値観をキチンと持たなくてはならない。でなければ、健康な社会は築けない。多様な価値観が存在することは、そのプロセスにおいては、やむを得ないが、感性の多様さとは異なる共通する人間としての価値観が必要である。

科学技術の進歩は、それを可能にしつつある。頑迷からの解放の時期は、もうそこまできていると感じるが、それは、自然にはやってこない。やはり、そこには、努力が必要であり、ツールも用意しなくてはならないと感じている。


政治家について

2010年02月04日 08時33分19秒 | 思考試行
政治家は、決められた歳費と、集められた政治資金以外には、なんの収入があるのだろうか。何か事業をやることも可能であるが、それは、本来の姿とは思えない。専業で、国民のくらしのことに、真剣に取り組むべきである。

となると、政治家を長く続けて、財産を築いたとすれば、それは、本末転倒と言わねばならない。小沢氏の場合は、土地の入手の問題であるが、巨額の金が、建設会社から流れてきたことが推定できる。それは、証拠がないということだが、政治力に対する、建設会社からの献金は、従来構造から、容易にわかることである。

自民党政治の根幹であり、その流れをくむ小沢氏の場合は、自然そのものである。証拠を残さなければ、キレイなものだといえるわけではない。

検察が不起訴とすれば、それで終わりとはなりそうにもない。この際、政治家はすべからく金との関係をスッキリさせて、まさに、国民のために、仕事をするという本来の姿を打ち立ててほしいものである。

それは、民主党政権の中に、今、芽生えつつあるように思える。明かに、従来の政治家とは違う理念の人がいる。ここに、展望がある。

権力

2010年02月02日 08時14分45秒 | 思考試行
法律ができると、そこに権力ができる。理不尽でも何でも、リクツヅケが可能となる。検察はそれを道具とする。公平さであることは、必要ではない。

自民党政権がながく続いて、庶民は常に、切り捨てられてきた。ついに、怒りが爆発して、政権交代となった。これは、革命であった。権力構造の変化であった。

権力は、地下でつながっている。検察が、いっさい自民党には手を出さず、民主だけをターゲットにした。マスコミは強い方につく。風向きをみて、行動する。自民党政権下で、時の官僚の親分が、検察の対象は、民主のみと言った。事実その通りとなった。明かに不公正であった。

それでも、政権交代は実現した。彼らのネライは失敗したのである。

だが、検察は、マスコミとの連携によって、ここまできた。本当に証拠がつかめるかどうかである。検察も傷がある。検察のウラガネ問題はどうなった。ウヤムヤのままである。問題は解決していない。本当に公平ではないと世間は知っている。ただ、あまりの不公平は信じたくないだけのことである。

権力は、学歴やら、穏当な権力構造の継承を望む。真実の背景はそんなところにあるのかもしれない。小沢氏は、まともにこの構造に挑んだきたようだ。そこで、ターゲットになった。官僚機構は、こうなると、どうしても解体しなければならない。検察にもチェック機能のメスをいれなければならない。

恣意的な動きを、どこかで、制御しながら、権力がキチント国民のために、行使されなければならない。一票の差は、一人の差である。あまりに、大きくあるのは、いけない。悪平等を目指すのではなく、公平さ、公正さをどう作るかである。

「母べえ」をみて

2010年02月01日 10時27分36秒 | 思考試行
映画館でもみたが、昨日テレビ地上波で放送されていたので、また、見ることとなった。家内がみるべく設定していたので、便乗してみたのであるが、例によって、細部どころか、筋もあらかた忘れており、さらに、見えていないことをまた発見させられる。

壇れいさんが、いたのには驚いた。武士の一分でキムタクの細君を演じていた。いわゆる山田組ということなのだろう。そういえば、映画のキャストといえば、監督が配役をするわけでそこに、カラーがでる。

山田監督のネライはいつも直截で、小生は、見る前は、いつも気が進まないのだが、観れば必ず感動する。しかし、彼のわざとらしい演出が、一応笑いはするが、上品なユーモアであったり、そういう点では、いつも何かものたりなくも思う。

怒りの気持ちが、強烈でないところも、映画に救いを与える。しかし、世の中の不合理をきちんと告発している。本当に、人間社会は、まだまだ過渡的であって、腹立たしいことが多い。

それにしても、吉永さんは、我らの憧れであり、こういう女性がいることは、まさに、日本の誇りである。良心の塊、具現化した女優さんである。

映画はやはり、最低二度は見ないと、小生の場合は、モノにならない。昨日は、寝床のなかで、映画を反芻し、平和の意味を考えていた。いい映画であった。