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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

絆が注目され始めている

2010年02月12日 10時08分38秒 | 思考試行
鳩山政権が発足して、鵜の目鷹の目で、ボロを探し続けた自民、公明党、旧支配勢力は、自らの問題は頬かむりしたままで、鉄面皮な追求を続けている。

利権の追求、資本の論理、勝ち組と負け組みを作り、その態勢の維持に狂奔してきた彼らの本質は、いよいよ明確になりつつある。

まさに、彼らの「政治資金追求」の画策は、その醜さを露わにすることとなった。弱者を作り出し、それを踏み台にして、大儲けをする。こんな連中が、謳歌していたときの空気を目一杯出してきている。今もなお、状況は基本的には変わっていない。

これから、彼らに、鉄槌を振り下ろす大仕事が始る。それには、庶民の怒りが背景になくてはならない。政権の動きと、これに抵抗する彼らの動きを注視しなければならない。

そうした中で、新政権は友愛を理念としてもち、絆を重視している。これは、良しである。戦後の変遷のなかで、アメリカのポチとなって、アメリカ流の弱肉強食態勢をもちこんだ小泉の、犯罪的改革によって、若者達はまことにヒドイ状態に叩き込まれた。

かつては、若者達は、エネルギーに満ち溢れ、改革の先頭に立ってきた。若さを奪い、気概を奪い、草食系といわれるような若者達にしてしまった。道具として、若者を扱う。こんな仕打ちを受け続ければ、生きるエネルギーさえ奪われてしまう。

それを、あろうことか、自らの責任であるかのように思い込ませる。何という悪辣さ。怒りに堪えない。この怒りをどこへ向けるか。原因を探り、オオモトを炙り出す、そのためにはこの「絆」が大事なのである。

弱者が、成り立つ生活を実現しなければ、世の中は良くはならない。いい絆を、実現しなければならない。絆を重視する気運から、世直しは、始る。周辺はもちろん、ひろく世界にその視野は広げられなければならない。


希望と現実

2010年02月12日 00時45分39秒 | 思考試行
希望は常に実現するとは限らない。従って、無理ということも出てくる。自分の希望を通すことが、他者の希望の実現を阻むこともあるだろう。そのせめぎあいの中で、どのように進路を決めていくのか。

力関係もある。論理、倫理、筋、いろんな都合がある。どう決断するのか。手順や運や、他の要素もあるかもしれない。ともかく、希望は、必ずかなえられるとは限らない。堂々とそれを選択できるのかどうか。その渦中にあっては、希望を断念するのは、大問題のように見える。

だが、結局は、大した問題ではない、とも言えるのではないか。後になって考えると、何故あんなに悩んだのだろうかと思うのではないか。大抵のことがそうなのだろうと思う。

ある程度、年齢を重ねてきた結果、自分の場合、すべては、それほどの重要な問題とは思えなくなってきた。

なんでもあり、でもあり、特段、いろいろ制限して考えなくともいいような気さえしている。大胆に、思い通りにやるのもよし、それで、苦しむことがあれば、受け入れればいいのであって、それで、たとえ命を落とすようなことがあっても本望と思えるならば、そうすればいいのである。いずれ、人間は死ぬ。恐れたら死なないというわけではない。できれば、堂々とやりたいことを実行するのが、生まれてきたことを喜べる王道だろう。

だが、こらえこらえての人生を選択したとしても、その結果が、単なるガマンに終わるのではなく、なんでもよい、少しでも、成果として、思えることがあれば、それもよし、である。

何にもならず、最終の場面で、悔いが残るとすれば、それは、残念と思うのだろうか。それでも死ぬときは、寝るに等しいと思われるから、それでもいいのである。目覚めたらやる気で寝たものの、目覚めなかっただけのこと、残念もクソもない。結局、恐れることは何もないのである。