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群馬・碓氷第三橋梁(めがね橋)の秋

 昨日に続いて・・・

「碓氷湖」で紅葉を見て、旧国道R18の峠道を更に上って、車  を走らせました

「碓氷湖」から、ほんの一分足らずのところで、通称「めがね橋」として親しまれている煉瓦アーチ橋があります・・・(➝横川からバイパスではなく、旧R18道を軽井沢に向け進み、カーブ33個目(C33)の地点、右手です)

       旧道R18から見上げた「めがね橋」 ・・・ 紅葉も間もなく終わりに近づいているようです

「めがね橋」は、旧JR信越本線の横川・軽井沢間につくられた正式名称・「碓氷第三橋梁」といわれる径間数4、長さ91m、川底からの高さ31mあり、わが国最大の煉瓦づくりアーチ橋です

峠越えのためのアプト式鉄道を支えるため1892年(明治25年)に完成したものですが、碓氷川に架かる芸術と技術が融合した美しい4連のレンガ造りアーチ橋です

建設に使用したレンガは約200万個に及ぶそうですが、どこから持ってきたのでしょう・・・私的には性分でインフラが気になります  

電化が進むにあたり、1963年に新線が開通され、アプト式鉄道が廃止となりました

その後平成5年に我が国初の重要文化財に指定され、平成13年廃線跡を利用した 遊歩道「アプトの道(=横川駅~熊ノ平駅の間の約6kmを遊歩道)」 として整備され、現在は橋上をも歩くことができるようになっています

尚、「アプトの道」は、国の重要文化財である旧丸山変電所 をはじめ4つの橋梁と10の隧道があり、「めがね橋」を代表する鉄道煉瓦構造物群などの碓氷峠鉄道遺産にふれることができます 

     橋梁下で見上げる   ・・・レンガの重量感にすごい威圧感がありました

晩秋の陽ざしの中で、碓氷川の渓谷に古色のくすむ赤色レンガ橋梁が描くアーチはとても素敵な景観でした

一昔前、春夏秋冬、この自然豊かな中を煙を吐きながら通ったであろう蒸気機関車の姿を想像すると、胸が高まる感じがします

  

   「めがね橋」上から、横川側トンネルを見る                   橋梁下にあった「めがね橋」 説明看板 

当アプト式鉄道は、1882年に鉄道作業局技師長としてイギリスから日本に招聘されたイギリス人技師のパウナルと古川晴一の設計だそうですが、当時では世界でも山岳鉄道の最先端技術として脚光を浴びたそうです

尚、アプト式の技術はスイスのロマン・アプトが発明し、ドイツで実用化されていました

この方式は中央に敷いたラックレールと呼ぶギアと、機関車に取り付けたピニオンギアを噛(か)みあわせて進む方式で、急坂地の鉄道向けに考えられたものですが、部品製造も大変な技術が必要です

当線は1891(明治24)年6月に着工し、重機もない時代、約1万5000人もの工夫を動員する人海戦術で、区間にある26のトンネルと18の橋をわずか1年半で完成させたというから、すごい速さです

建設費は200万円、横川駅近くに500人の殉職者を供養する招魂碑が建っているそうですが、国を興すという事は鳥肌の立つ思いです

碓氷線の開通によって太平洋側と日本海側が鉄路で結ばれ、最大の輸出品であった生糸などの物資輸送が容易になり、おおきな経済効果を生みました

ふとこの話から、日本列島改造論を唱え、高速道路を推進した昭和の首相「田中角栄」を思い出しました

 

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