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将棋の道を究めた「羽生善治」棋士に学ぶ

最近囲碁の腕前がちっとも上がりません                                                                                                         好きこそ物の上手なれのはずですが、一歩が踏み出せません                                                  そんな事を思っていましたら、将棋の「羽生善治」棋士の勝負中の取り組みを書いた記事を見かけました                                                                                天才と鈍才の差はどうしようもないのですが、それ以上に不足するものがあるかもと、考えてみました

羽生天才棋士は25歳で将棋界始まって以来の「七冠」を達成して以降、タイトル奪取を積み重ね、41歳の今年5月には棋聖位のタイトル防衛によって、前人未到とも言われた大山康晴15世名人のタイトル獲得80を抜いて、30年ぶりに通算81のタイトル記録を更新しました

将棋と囲碁はルールこそ違え、古来から楽しまれてきたゲームで、ゲームの面白さからいつしか芸道ともいえる境地の世界が作られています

即ち誰からも認められる一芸といえる世界に、囲碁・将棋はある訳で、「羽生」棋士はまさに将棋という道を究めた人といえるようです

道を究めた人の言葉には、一言一言に味わい深いものがあると思えます                                                       (素人は誠に困ったものだとわらわないでくださいね!!)

私のような素人が知りたいのは、単純に、「どうしたら強くなれるのですか?」とか、「どうやって強くなったのですか?」、そしてついには、「天才プロ棋士は何手先まで読むのか?」とか、「勝負をしている時はどんな風に考えるのか?」…と、聞く事は大体決まってきます

そしてそれを聞いて出来ないなのだけど、ちょっとでもまねてみたいと思って、羽生棋士が話したという自分の将棋感を書いた記事を見つけたので、以下脈絡無く書いてみます

  ● 「(読む手数は)直線で30~40手。枝葉に分かれて300~400手。」

  ● 「わからないからこそ勝負どころ。僕(羽生棋士)の場合、読みより勘で決める。」

  ● 「将棋と人生は別物。『遊びは芸の肥やし』は遊ぶための口実に過ぎない。『将棋は技術』と割り切っている。」

  ● 「今の情報化社会では知識や計算は簡単に手に入る、出来る物。だからもうあまりそれらに意味はない。これからの時代の人間にとって大事なのは決断する事だと思います。」

  ● 「勝つのは、1目差でいい。5目も10目も大差をつけて勝つ必要はない。常にギリギリの勝ちを目指す方がむしろ確実性が高くなる。」・・・碁に喩えました(本当は「目」でなく「点」と書かれていました)

色々羽生発言があるようですが、私流にまとめると羽生棋士の勝負に際して考えるのは、まずは『直感』、そしてその先を『読む』、そして生じた選択肢を『大局感』で選ぶという事のようです

即ち「羽生」棋士が運ぶ手筋には、一手一手それまで集積されてきた知恵と経験を与えられた時間の中で、決断するという事のようです

勝負の時は、遊ぶ気持ちはあるはずが無く、真剣にそして集中しかないのですね

能力も無いのに、集積した知恵も経験もないのに、『読み』もしないで、ただ何となく打つのではつよくなりようがないですね

今日は、これから県の囲碁大会に参加 です

今更ですが、せめて手拍子だけは避けて、盤面に集中し、少ない勘を極力働かせ、大局感を考えるよう打って見よう

悔いなく打てるよう頑張ってきます

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