ダンポポの種

備忘録です

伯父さんありがとう

2022年04月09日 19時26分00秒 | 備忘録
去る4月1日に、兵庫県高砂で暮らす伯父が亡くなりました。行年90才。
通夜・告別式はもう済みました。

昨年12月17日に両親と私の三人で高砂へ行ったときに、伯父の家も訪ねました。
晩年の伯父はすっかり腰も曲がってしまい、動作もゆっくりになっていたけれど、自分のことは自分でできる体力と気力は維持していました。その日も、訪ねた私たちを歓迎してくれて、いつもと変わらない口調で話しかけてくれました。その様子を見て私も「齢は進んだけど、この人は元気だなぁ」と思ったものです。

同居している従兄によれば、伯父は亡くなる二日前までは家で普段通りに過ごしていたそう。夜半に自宅で急に体調が変わってしんどくなり、救急車で搬送されて、病院でほぼ1日を経て、4月1日の朝方に亡くなったとのことです。経過だけを聞けば、なんとも、あっけないことですね。
「わしは、100(才)まで生きようと思っとうからな!」
と、常々、伯父は言っておりました。
事実、伯父はずっと元気に過ごしていましたから、100才という目標も「有り得るな…」と私も思っていました。この結末からは、やっぱり、本当に100まで到達するのは容易ではないっていうことやね。

私が大人になって今の人生(職業)を歩むようになったのは、伯父のおかげです。
人生の分岐点は今から30年ちかく前-。伯父が私に言いました。
「お前もな、D家の一族に生まれたひとりだし、いっぺん、修行だけでも受けておいたらどうや?」…と。
もし、そのとき、伯父の提案を断っていたとしたら、私の人生はどうなっていただろうか…
私は伯父に弟子入りして〝この業界〟の一員に加えていただきました。京都ヘッドに出入りするようになったのも、そのときからです。私が大学生のときでした。

その後、私は京都S華町の業務施設へ移ることになり、業務上立場としては伯父のもとを離れて、別の新しい師匠のもとで業務に励むことになりました。

でも、そののちも、伯父はいつも私のことも心配してくれていました。
「あのな、お前が京都で頑張ってしっかり励んでいるっていう良い噂をな、わしも聞いてるさかいな。人からそんなふうに言うてもらえたらな、わしも嬉しいし、誇りに思っとるからな…」
そんな噂が本当にあったのか不明ですが、伯父はいつも優しい言葉で私を励ましてくれました。
喋りはじめに、つぶやくように「あのな…」と言うのが、伯父のしゃべり方だったな。
「あのな、これ少ないけどな、またな、何かに使うたらええわ」
と言って、そっとお小遣いを手渡してくれるパターンも多かったです。おおきに~

伯父からもらったものは、とても多いです。
私はそのうちのどれほどを伯父にお返しできただろう。ご恩に報いることができただろうか
反省とともに、これからは伯父に安心してもらえるように励まねばならないと思います。

伯父さん、お世話になりました。本当にありがとうございました。
よかったら、お浄土から、私のこともちょこっと見守ってもらえたらいいなぁと思います。
m(__)mよろしくお願いします。

「出た こういうときだけ、どうか見守ってください!とかって、お願いしたがるんよね」
「ま、確かに…。ちょっと図々しいお願いかな、やっぱり
「分かりましたよ。見守りますよ! 見守ればいいんでしょ、見守れば!」
「おまえ誰やねん
ちゃんちゃん

合掌





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