ダンポポの種

備忘録です

京  都

2008年03月17日 15時38分38秒 | 備忘録
西宮で過ごした小学生時代の思い出。

  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

小学校の遠足の思い出。

3年生の秋(二学期)は、貸切バスで西宮市内を一周。
3年生の三学期は、歩いて西宮神社と香枦園。
4年生の秋(二学期)は、阪急電車で服部緑地公園。(→雨天のため中止)
5年生の春(一学期)は、再び、阪急電車で服部緑地公園。(リベンジ)

など…、この「備忘録」カテゴリーに投稿した記事の中にも、遠足ネタは多い。
ついでに言うと、大阪弁天町の交通科学博物館にも遠足で行った記憶がある。
4年生の春(一学期)だったと思う。

その都度、行き先を考えなくてはならない先生方は大変だっただろうが、児童のほうは気楽なもので、
「こんどの遠足は、どこへ行くのだろう?」
と、心を躍らせ、担任の先生が行き先を発表されるのを、楽しみに待ったものだった。


私が通ったT小学校では、5年生の秋以降の遠足については、その行き先が毎年固定化されていた。

5年生の秋は、奈良公園
6年生の春は、伊勢志摩(修学旅行)
6年生の秋は、京都

これは毎年決まっていて、「奈良・伊勢・京都」の三点セットは、T小の高学年児童には避けて通れぬ必修メニューだった。(いずれも、全行程を貸切バスで移動。電車利用は無し)

このうち、6年生秋の「京都遠足」には、なにか儀式めいた独特の重み(雰囲気)があった。
その雰囲気は、伊勢志摩へ行った修学旅行を上回る。少なくとも私は、そんなふうに感じていた。
清水寺・金閣寺・太秦映画村などを巡り、ごくふつうに京都見物をしただけの遠足だったけれど、私は終始、目に見えないプレッシャーに包まれているような気がしてならなかった。ひょっとすると、クラスメートたちも似たような心境だったのではないか。そのプレッシャーみたいなものを、言葉で説明するのが難しい。


6年生の秋-。
卒業というタイム・リミットが意識の中に入ってくる時期ではあった。

保護者たちの間では、
「(遠足で)京都へ行ったら、(あとは)卒業式だな」
という言い回しが、しばしば語られていた。
これは、毎年6年生の保護者たちに受け継がれている、独特の表現だった。
私にはそれが悲しく聞こえた。
「京都は最後の場所…」みたいな、寂しさを感じた。
〝きょうと〟という地名の響きが、そういうイメージに はまっている気もした。

遠足に出かける楽しさと、これが最後という寂しさ。
両方が入り混じって複雑な気持ち…。
目に見えないプレッシャーとは、そういうことだったのだろうか。
いま、その京都で暮らしながら、考えてみたりする。



コメントを投稿