ダンポポの種

備忘録です

20年経っても、思い出す

2015年01月17日 23時57分10秒 | 備忘録
きょう、阪神・淡路大震災から〝20年〟となりました。


今から20年前の1月17日。
当時、私は大学生。
京都の親元を離れて、山口県下関で、単身の学生生活を送っていました。
学生の本分を忘れ、ひとり暮らしをいいことに、ぐうたらな 怠けた生活を送っていた時期でもありました
夜更かしは当たり前!? 思いっきり夜遅くに寝て、朝は起きられずに、そのまま昼ごろまで寝てる っていう、ダメダメ生活です。
20年前の1月17日、私は、まさに そういう生活状態の中にありました

あさ5時46分に地震発生。
神戸から遠く離れた下関では、震度2ぐらいの揺れが観測されたそうです。
夜更かしして眠りについたばかり私は爆睡中で、震度2では、到底気が付きません
結局、そのまま(=何も知らぬまま)、お昼ごろまで 思いっきり寝続けた…、というのが正直なところです。

当日、昼頃にようやく起き出した私は、部屋(自室)の片隅に置いてある電話機の留守電ランプが点滅していることに気づきました。
『おやっ? (寝ている間に) 電話が掛かってきていたのか
爆睡中だったんだと思うけど…、このころの私は、寝ているときに電話が鳴っても、まったく気が付かないタイプでした。

寝ぼけ眼をこすりながら、留守電ボタンを押して、メッセージを再生しました。
朝方に掛かってきていた電話で、大学の友人(同級生)からのものでした。神戸出身で、私と同じように下関へやって来て単身生活をしている子でした。
「さっき、関西で大きな地震があったようだ。神戸はかなり被害が出ているみたいだ…。京都は大丈夫か? 実家と連絡ついたか…?」
というふうなメッセージが ふきこまれていました。
神戸出身であるその友人は、私が京都出身であることを知ったうえで、電話をかけてきてくれたようでした。

『へっ? 地震…? 何のことや
この期に及んでも、まだ事態が分かっていない私です。

「そんなに大きな地震ならば…」と思って すぐに自室のテレビをつけてみました。
そして、テレビ画面に映し出された光景に、言葉を失いました。
私が、この大地震を知ったのは、このときでした。

◇          ◇          ◇          ◇          ◇

現在、私は、京都で暮らす毎日です。
言うまでもなく、地元・関西の人たちとお話をする機会が多いです。
毎年1月17日が巡ってくると、うちの近所のみなさんも、改めて当時を思い出されるようです。
「あのときの地震の揺れは きつかったなぁ…」って。
京都南部の人々にも、それは強烈な印象で残っているのですね。

だけど、私は…、阪神・淡路大震災について振り返るとき、いつも、こういう 自身の〝間抜けな生活ぶり〟を思い返さねばならぬのです
取り返しのつかないことですが、20年経っても、情けないことであります



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