西宮で過ごした小学生時代の思い出。
◇ ◇ ◇
昭和60年(1985年)2月-、私が6年生だったときの思い出である。
小学校生活に別れを告げる卒業式が、いよいよ1ヵ月後に迫っていた。
2月14日のバレンタインデーの夕方、私の家の郵便受けに ひとつのチョコが届けられているのが発見された。
第一発見者が 私だったのか、うちの親だったのか、記憶が定かではない。
社宅(マンション)に住んでいたので、郵便受けは1階にあった。夕方に帰ってくるときは必ずそこを覗いて、郵便物が届いていないかを確認してから自宅の階まで上がってくることになっていた。家族内のルールである。
郵便受けに届けられていたチョコ箱は、手のひらに乗るぐらいの大きさだった。
きれいに包装され、いかにも〝プレゼント〟という体裁に整えられていた。
ただ…、肝心の「宛て名」と「差出人名」が見当たらない。バレンタインデーの贈り物だろうと察しは付くのだが、〝名無し〟では正体不明である。
包みを手に取って、上から下から横からと 注意深く見回してみると、包装紙の一隅に 当時流行っていた丸っこい文字(まんが字とも呼ばれた)で、
『6年2組の女の子より』
と書いてあった。
「6年2組って書いてあるから、これ、あんた宛てに届けてくれたんとちがうか?」と、うちの親は、私に向かって言った。
それは間違いないことと思われた。
でも、一体誰なんだろう…?
私にとっては大変光栄なことだったけれど、「6年2組の女の子より」だけじゃ、誰が届けてくれたのか分からない。
「あんた、心当たりは無いのか?」と、うちの親は言った。
心当たりって言われてもなぁ。 分からん…。
「(包装紙に書かれている)この字を見て、誰が書いた字か分からへんのか?」
と、うちの親は面白そうに言う。
なんだか、謎解きのサスペンス劇場のようになってきた。
けれど、書かれている字を見ても、私にはピンとこなかった。
当時は、みんな丸っこい字を書いていたように思うし、そもそも、クラスメートの誰がどんな字を書いているかなんて、私の関心の外であった。
(もっとも、こうした異性に対する鈍感さは、現在に至っても何ら改善されていないようである。私は昔からこんなのだったんだね…。)
チョコ箱を手にした私は、いったい誰が届けてくれたのか?と疑問に思いながらも、傍らで面白がっている親に訊いてみた。
「これ、食べても大丈夫かな?」
「大丈夫やろ。ちゃんと包装もしてあるし…」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今から25年も昔の 小学生時代のチョコの思い出を いまだに大事そうに持ち続けているとは、よほど律義か、かなり間抜けか…、その判断はお任せしたいと思うけれど、男女の恋物語とは全く別の事情から、私にとってこのチョコは「忘れられない味」として思い出に残っている。
「これ、食べても大丈夫かな?」
「大丈夫やろ。ちゃんと包装もしてあるし…」
という会話に、それは集約されている。
この年は、世間を騒がせたあの事件-「グリコ・森永事件」の真っ最中だった。
江崎グリコ社長の誘拐事件。その舞台は、まさに西宮であった。
その後、犯人が 毒入り菓子を実際に店頭に置いたりしたものだから、物騒なことこの上なかった。
道に落ちているお菓子を食べてはいけない、見知らぬ人からお菓子をもらって食べてはいけない、身に覚えのないお菓子は食べてはいけない、など…、
私たち子供らも、お菓子に関する注意事項をしつこいぐらいに聞かされていた。
そんな時期に、「6年2組の女の子」は 何も言わずにぽんと チョコを〝投函〟してくれたのである。
恐らく、面と向かって渡すのが恥ずかしかったから、郵便受けに届けて立ち去ったのだろうと思う。
そして間違いなく、私だって、面と向かって受け取るのが恥ずかしいに決まっていた。
せっかく届けてくれた、バレンタインデーのチョコ。
私の鈍感さゆえ、身に覚えのないお菓子として無慈悲な処置も有り得た、危うい贈り物だった。
私の心は、「届けてくれたのは 誰なんだろう?」というトキメキが半分、「これ、食べても大丈夫なんだろうか?」という拭い切れぬ不安が半分。
混乱する気持ち…、これじゃあ、かい人21面相の思うつぼではないのか…!
本当に、いったい誰なんだろう?
クラスメートの楽しげな顔を、ぶわーっと思い浮かべてみる。
ハッと気が付くと、その背後で〝かい人21面相〟が不敵な笑みを浮かべているようで。(←勝手に、怪人二十面相のイメージ)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その後、卒業式までの残り1ヵ月を、私は普段通りに過ごした。
あのチョコが 誰からの贈り物だったのか分からないままだったが、クラスの女子に「届けてくれたのは、あなたか?」と問うて回るわけにもいかず、
時間だけが過ぎていった。
失意のうちに「ホワイトデー」も過ぎてしまい、そのまま小学校最後の日を迎えることになった。
卒業式の日は、青空が広がるとても良い天気だった。
明るい春の陽ざしに包まれながら小学校を卒業した-という思い出は、今もしっかりと記憶に残っている。
そして…、ホワイトデーの返礼が無かったことに業を煮やしたのか、この日、チョコの当人が私の前へ 名乗り出た。
「いいこと教えてあげよか。6年2組の女の子って、私やで」
そんな言い方だったと思う。
唐突だったが、これは本人しか知り得ない情報だ…。間違いない。
そして、案の定、そう言われた私は、言葉に詰まっていた。
「名前ぐらい、書いとけや!」
と、精一杯強がってみたものの、しどろもどろであった。
「ホワイトデーに何もくれへんかったやろー。何かちょうだいやー!」
と、向こうはたたみかけてくる。
「そんなん…、名前書いてへんから、分からへんやろ!」
↑それはさっき言うたやん。
かくして、名無しチョコの一件は 解決することになった。
これ以降の後日談は、存在しない。
バレンタインデーにまつわる思い出が一向に更新されない中、間抜けな私の心に今も残っている、子供時代の思い出である。
◇ ◇ ◇
昭和60年(1985年)2月-、私が6年生だったときの思い出である。
小学校生活に別れを告げる卒業式が、いよいよ1ヵ月後に迫っていた。
2月14日のバレンタインデーの夕方、私の家の郵便受けに ひとつのチョコが届けられているのが発見された。
第一発見者が 私だったのか、うちの親だったのか、記憶が定かではない。
社宅(マンション)に住んでいたので、郵便受けは1階にあった。夕方に帰ってくるときは必ずそこを覗いて、郵便物が届いていないかを確認してから自宅の階まで上がってくることになっていた。家族内のルールである。
郵便受けに届けられていたチョコ箱は、手のひらに乗るぐらいの大きさだった。
きれいに包装され、いかにも〝プレゼント〟という体裁に整えられていた。
ただ…、肝心の「宛て名」と「差出人名」が見当たらない。バレンタインデーの贈り物だろうと察しは付くのだが、〝名無し〟では正体不明である。
包みを手に取って、上から下から横からと 注意深く見回してみると、包装紙の一隅に 当時流行っていた丸っこい文字(まんが字とも呼ばれた)で、
『6年2組の女の子より』
と書いてあった。
「6年2組って書いてあるから、これ、あんた宛てに届けてくれたんとちがうか?」と、うちの親は、私に向かって言った。
それは間違いないことと思われた。
でも、一体誰なんだろう…?
私にとっては大変光栄なことだったけれど、「6年2組の女の子より」だけじゃ、誰が届けてくれたのか分からない。
「あんた、心当たりは無いのか?」と、うちの親は言った。
心当たりって言われてもなぁ。 分からん…。
「(包装紙に書かれている)この字を見て、誰が書いた字か分からへんのか?」
と、うちの親は面白そうに言う。
なんだか、謎解きのサスペンス劇場のようになってきた。
けれど、書かれている字を見ても、私にはピンとこなかった。
当時は、みんな丸っこい字を書いていたように思うし、そもそも、クラスメートの誰がどんな字を書いているかなんて、私の関心の外であった。
(もっとも、こうした異性に対する鈍感さは、現在に至っても何ら改善されていないようである。私は昔からこんなのだったんだね…。)
チョコ箱を手にした私は、いったい誰が届けてくれたのか?と疑問に思いながらも、傍らで面白がっている親に訊いてみた。
「これ、食べても大丈夫かな?」
「大丈夫やろ。ちゃんと包装もしてあるし…」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今から25年も昔の 小学生時代のチョコの思い出を いまだに大事そうに持ち続けているとは、よほど律義か、かなり間抜けか…、その判断はお任せしたいと思うけれど、男女の恋物語とは全く別の事情から、私にとってこのチョコは「忘れられない味」として思い出に残っている。
「これ、食べても大丈夫かな?」
「大丈夫やろ。ちゃんと包装もしてあるし…」
という会話に、それは集約されている。
この年は、世間を騒がせたあの事件-「グリコ・森永事件」の真っ最中だった。
江崎グリコ社長の誘拐事件。その舞台は、まさに西宮であった。
その後、犯人が 毒入り菓子を実際に店頭に置いたりしたものだから、物騒なことこの上なかった。
道に落ちているお菓子を食べてはいけない、見知らぬ人からお菓子をもらって食べてはいけない、身に覚えのないお菓子は食べてはいけない、など…、
私たち子供らも、お菓子に関する注意事項をしつこいぐらいに聞かされていた。
そんな時期に、「6年2組の女の子」は 何も言わずにぽんと チョコを〝投函〟してくれたのである。
恐らく、面と向かって渡すのが恥ずかしかったから、郵便受けに届けて立ち去ったのだろうと思う。
そして間違いなく、私だって、面と向かって受け取るのが恥ずかしいに決まっていた。
せっかく届けてくれた、バレンタインデーのチョコ。
私の鈍感さゆえ、身に覚えのないお菓子として無慈悲な処置も有り得た、危うい贈り物だった。
私の心は、「届けてくれたのは 誰なんだろう?」というトキメキが半分、「これ、食べても大丈夫なんだろうか?」という拭い切れぬ不安が半分。
混乱する気持ち…、これじゃあ、かい人21面相の思うつぼではないのか…!
本当に、いったい誰なんだろう?
クラスメートの楽しげな顔を、ぶわーっと思い浮かべてみる。
ハッと気が付くと、その背後で〝かい人21面相〟が不敵な笑みを浮かべているようで。(←勝手に、怪人二十面相のイメージ)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その後、卒業式までの残り1ヵ月を、私は普段通りに過ごした。
あのチョコが 誰からの贈り物だったのか分からないままだったが、クラスの女子に「届けてくれたのは、あなたか?」と問うて回るわけにもいかず、
時間だけが過ぎていった。
失意のうちに「ホワイトデー」も過ぎてしまい、そのまま小学校最後の日を迎えることになった。
卒業式の日は、青空が広がるとても良い天気だった。
明るい春の陽ざしに包まれながら小学校を卒業した-という思い出は、今もしっかりと記憶に残っている。
そして…、ホワイトデーの返礼が無かったことに業を煮やしたのか、この日、チョコの当人が私の前へ 名乗り出た。
「いいこと教えてあげよか。6年2組の女の子って、私やで」
そんな言い方だったと思う。
唐突だったが、これは本人しか知り得ない情報だ…。間違いない。
そして、案の定、そう言われた私は、言葉に詰まっていた。
「名前ぐらい、書いとけや!」
と、精一杯強がってみたものの、しどろもどろであった。
「ホワイトデーに何もくれへんかったやろー。何かちょうだいやー!」
と、向こうはたたみかけてくる。
「そんなん…、名前書いてへんから、分からへんやろ!」
↑それはさっき言うたやん。
かくして、名無しチョコの一件は 解決することになった。
これ以降の後日談は、存在しない。
バレンタインデーにまつわる思い出が一向に更新されない中、間抜けな私の心に今も残っている、子供時代の思い出である。
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