ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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2004年8月1~6日 「中国東北部と中朝国境の旅」全記録 ⑤3日目午前:延吉・長白山(白頭山)へ

2014-11-09 23:53:02 | 2004年8月・中国東北部と中朝国境の旅
※参考図書からの引用は、次のような略号で記した。
 「中国歴史散歩 1」(山川出版社.1993)=[歴]
 「地球の歩き方03~04 大連と中国東北地方」(ダイヤモンド社.2002)=[地]
 谷崎光「北京の愉しみ」(角川春樹事務所.2004)=[北]
 岡田和裕「満州辺境紀行」(光人社.2003)=[満]

◎3日目:8月3日(火)
 6:00~7:36 白山大厦・6:00前起床。6:30朝食。バイキングだが、いかにも朝鮮料理という料理多し。蒸しパン。ミルクは昔懐かし脱脂粉乳のような・・・。BGMは、これも聴いたような・・・、あ、20年前の欽ちゃんの番組でやってたわらべの「もしも明日が・・・」ではないか。
・テレビはNHKはなかったが韓国のSBSが視られる。
・フロントの女性2人のうち1人はチマチョゴリだった。


【表通りから見た白山大厦】

【ホテル玄関の白山大厦の字は江沢民の書とある。】

【ホテル前の道路。やはり自転車の人が目につく。】

【道路を挟んでホテルの真向かいは延辺朝鮮族自治州委員会。】

・上のような古い建物(とくに官公署等)は旧満洲国の日本風建築の特徴である屋根付きの煉瓦造。
 また、この地の看板は、どれも中国語と朝鮮語が各1枚か、あるいは1枚に併記されている。(右のマイクロバスの表示も同様。)
 7:36~8:37 (バス)※以下緑字の「 」は現地ガイド沈さん、緑字は沈さん、青字は北京からのガイド申さんの話。
・「長白山の一番高い峰は2749mだが、これは北朝鮮側。天池を囲む山の3分の2は北朝鮮の側。中国側の最高峰は2670m。2500m以上の峰は北朝鮮側に7つ、中国側に6つある。長白瀑布は落差68m。」
・沈さんは以前東京水道橋の経理専門学校に留学。高円寺に住み吉祥寺の寿司屋で皿洗いのアルバイト。日本で学んだのは「信用は命」ということ。
・朝の延吉はそれなりに多く車が走る。市街地を出ると後は信号なし。相当飛ばすが対向車もけっこう多く、少し怖い。
・琿春行きのバスとすれ違う。
・「5年前は観光バスにエアコンはなかった。」
・途中の店(右写真)で沈さんが購入した水をもらう。
・「延辺の農業は立体的。下は水田、その上はトウモロコシやマメ、一番上は果樹園。特産はリンゴとナシをミックスした사과배(サグァ・ペー)。」 沿道で地元民がモモを直売している所が続くが、儲けになるのだろうか?
・途中何度か鉄道線路を横切る。
 8:37~8:47 (五虎峰トンネル手前の休憩所)
 (店⑤)
・トイレ休憩だが、う~む、というトイレ。赤レンガに白ペンキで<男 남>と書いてある。
  
・朝鮮人参等を売っている。
 8:47~10:00 (バス)・「東京のトイレはきれいな上に無料だからいい。コチラではキレイなのは有料で1回1元。」
 ・「北朝鮮の人はボールペン等を欲しがる。食糧難は制度がよくないのと、土がよくないため。」

・9:07頃明月湖ダム横を通る。
  
・「安図県。朝鮮族自治州から出るとハングル表記がなくなる。」
・「金持ちか否かがわかるのはケータイとタバコ。」
・「ここの酒は朝陽が有名。」
・「1970年から火葬になった。」
 ・「延辺では3人目の子供にはボーナスが支給される。少数民族は一人っ子政策の例外。」

・こんなイナカに<基督教会>があった。途中アヒルの行列の道路横断でバス止まる。時おり放牧の牛が目に入る。
 10:00~10:33 万景台展示館(休憩所)
 (店⑥)
・付近の観光用地図看板には、<長白山の稀少な薬用植物育成基地>というようなことが中国語で書かれていた。
・この休憩所は万景台展示館>、つまり金日成の生地を看板にしているので当然北朝鮮系。ハングルで大きく<各国から来られた同胞の皆様を熱烈に歓迎致します>と掲げている。やはり薬草主体に販売。桑黄キノコというのがあった。帰国後調べると相当に高価なモノ。「あのアガリクスをしのぐ注目のキノコ」なんだそうな。鹿胎膏というのは女性用。
・申さん「北朝鮮では100ウォン札を折ると金日成の肖像が折れるからよくない。」
 10:33~11:48 (バス)・沈さん、北朝鮮の制度批判。「援助米の行方が・・・。中国は米1㎏が高くても5元。以前は延辺より北朝鮮の方が暮らしやすかったが今は逆。小平の時代から変わった。」
・「天池に5年前100匹くらい魚を放したが2回失敗した。」
 ・「この辺の人の生活は牛や羊を飼うとか蜂蜜。」

・申さんの話。「高校の頃電気や?で魚を取った。動物も人も北に行くほど背が高い。後ろから見るとお嬢さんだが実はおばさん、ということも。」
 ・「さっきの売店の北朝鮮女性は3ヵ月延辺で働いたら帰る、と言っていた。」

・沈さんは延吉在住。「新居を15万元で買いました。96㎡。」とのこと。
・11:10頃高木がなくなり高原らしくなってくる。トウモロコシ畑は相変わらず。沿道の集落の食堂には客の行列も。
・敦化行きのバスとすれ違う。
 11:48~13:00 蘭興休閑山荘
 (昼食)
・<兰兴>休閑山荘というのは読めないぞ。(帰国後調べたら<蘭興>だった。)
・意外とキレイな店。女性従業員のユニフォームは雲南(?)のものと言っていたそうだが、そーかしら?
・キューリその他大きな生ヤサイ。トーモロコシ+肉。蒸しパン。キノコ。トマト+玉子+香菜のスープ等。
  
【最初でかい野菜がそのまま出てきた(左)ので少しあせる。】
・トイレが、大き目の個室(?)内に便器が2つ。申さんの話では「<連れション>どころか<大>もつきあうことで友情が深まるとか。


【10年後の付記】
 私ヌルボ、けっこうメモ魔ではありますが、こんな分刻みの旅行記録(報告書)はこの時だけです。明確な理由あってのことですが、その件についてはこのシリーズの最後に書くことになると思います。

 オリジナルの報告書は、ページ数の関係で写真は少なくせざるをえませんでした。今回は(とくに延辺自治州内)は写真を増やしました。文章はほとんどそのままです。

 ホテルの真向かいの延辺朝鮮族自治州委員会の建物の来歴を今になって探ってみたところ、鄭銀淑「中国東北部の「昭和」を歩く」(2011.東洋経済新報社)に次のような記述がありました。
 間島省公署が置かれた場所は、今の延辺州庁舎の隣りで、正門を入って正面である。1939 年に完成した 3 階建ての間島省公署は、延辺朝鮮族自治州が成立した後、 2006 年7月まで延辺州政府庁舎として使われていた。2006年9月、隣りに新しく建てられた今の延辺州庁舎に自らの役割を譲り、歴史の中に消えていった。すなわち撤去されたのだ。延辺大学歴史学部のイ・ホンソク教授によると、延吉は「開発・再開発ラッシュ」のまっただ中にあり、新しいビルが次々と建てられて、近代の建築物は消えつつあるという。氏の勤務先である延辺大学の敷地内にも満州時代の建物があったが、それも数年前に撤去された。その際、建物があまりに頑丈だったため壊すのに苦労したという噂が流れたという。
 えっ、ということは、写真の建物は元は間島省公署で、2006 年7月まで延辺州政府庁舎だったのが、新庁舎ができて撤去されちゃったということか! なんか残念だなー。

 最後の写真の「2連便器」については→コチラの過去記事で書きました。
 次回はいよいよ長白山登頂です。

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