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林志弦漢陽大教授によるナショナリズム批判② 民族主義史観に代わるものは・・・

2013-03-14 23:51:14 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 1つ前の記事で、高句麗史をめぐる韓国・中国間の論争は、両国ともに近代国民国家の観点から過去を解釈している時代錯誤的な見方だ、と断じている林志弦漢陽大教授の所論を紹介しました。
 今回はそのインタビューのつづきです。
 彼は韓国の正統的な歴史観である民族主義史観が、政治的に見ても問題があると指摘しています。
 では、それに代わる歴史観はどんなものでしょうか?

 インタビュアーによる地の文と質問は茶色、林志弦教授の返答は青色で表示します。

   《民族主義的なアプローチこそが最も非現実的》

Q.民族国家の枠組みを古代史にあてはめようとする観点自体が学問的に間違ったものだとおっしゃいましたが、次のように反論する人もいます。「歴史を取扱う場合、学問的な正確さよりも重要なのは、それがもたらす政治的効果だ」というものです。要するに、中国という大国が「歴史侵略」攻勢を強めている現在、学問的な当否以前にまず防御の論理を構築すべきだというのです。これをどう考えますか?  
A.よく聞く話です。中国も日本もナショナリズムだから、私たちもナショナリズムで勝負しようという話ですね。おかしな話です。現実的に見てもそれで勝てますか? 人民解放軍や自衛隊と戦って勝てますか? それが「民族のためになる道」なのでしょうか?   
 "高句麗史は中国史"という中国の東北工程の論理と"高句麗史は韓国史"という論理は、表面的には敵対していますが、考え方の枠組みは共通しています。近代国家を過去に投影するという枠組みです。その枠の中で「おまえらは韓国史と主張し、われわれは中国史と主張する」、そこで終わりです。その先に何か解決策がありますか? 力の論理が残るだけです。
 私は、国史という認識の枠組みを解体することがはるかに実用的な解決策だと思います。もしわれわれがそのような国史の枠組みを破ったら、それは東北工程が基盤としている枠組みに対するより根源的な批判になるのです。実際にこれがはるかに説得力があります。
 少しでも歴史的な訓練を受けた人なら当然の見方です。中国の主張を世界の学界が認めてしまうと困るから、われわれも世界の学界で高句麗史が韓国史と認められるようにしなければならないというじゃないですか。なんという田舎者か、ということです。
 事実、世界の学界で、中国がそのような主張すれば馬鹿にされるでしょう。
 世界に向けてわれわれが主張しなければならないことは、東北工程の主張がいかに時代錯誤なのか、中国歴史学がいかに国家権力に依存しているのかを明らかにすることでなくてはなりませんよ。中国の主張に対抗して「いや、高句麗史は韓国史だ」と言うことが、そろって馬鹿にされる道だという事実を知らないのです。彼らは世界の学界に出たことがないのです。逆に「世界の学界はなぜ目を向けないのかわからない」と腹を立てるのですよ。世界の学界を知らないにもほどがあります。


 彼の声のトーンは高まっていた。「世界の学界を見たこともない田舎者」たちに対する非難を聞いていると、その「偉ぶり」に対する拒否感がするはずなのに、それよりもむしろ彼が訴える切実さに関心が向かっていた。インタビュー中"常識"という語を頻繁に使用することにも逆説的にあらわれているように、ポーランドとイギリスで西洋史を学んだこの歴史学者にとって、韓国の歴史学界はまったく彼の"常識"が常識として通じない窮屈な"町内"のようだった。

Q.民族主義史学について相当に批判的ですね。
A.おかしいですよ。最小限の現実感覚さえ持っていません。民族主義は、常に自分自身の力量に対する誇大妄想症があります。  
 例えば第2次大戦の時、ナチスドイツとソ連がポーランドを分割占領した後、ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連を攻撃しました。するとポーランドのリアリストたちは「しょうがない。ドイツがより危険な敵なので、とりあえず連合軍側についているソ連との関係を回復してドイツと戦わなければならない」と言いました。ところが民族主義者は「いや、ポーランドの主権を守るためには2つの戦線を展開してソ連とドイツ双方に同時に対抗しなければならない」と言いました。後者についてわれわれはただ笑うしかないでしょう。
 いわゆる「北東アジアの中心国家論」がおかしいのと同じですよ。韓国が北東アジアの中心国家だといえば、日本や中国は同調してくれますか? リアリズムの観点から見ても常識的ではないのです。結局こういう発想は中国や日本向けではなく、あくまでも国内用というものです。「やはりわれわれは偉大な民族。金メダルを10個も取る民族」、まあこんな自己満足的な情緒を広めようとするのです。絶えることなく人々を民族主義によって規律するための手段というのみでしょうか。


   《韓国の民族主義が日本の極右派の立場を強めてやっている》

Q.しかし、それがなんで悪いのかという反論もあります。「われわれ」同士誇りを持って生きられるなら、それ自体たんに良いものといえるのではないかというのですが・・・。
A.世界は1人で生きるものではないでしょう。そしてより重要なことは、韓国の民族主義が強まると相手国の極右派(民族主義)もまた強まることです。私はこれを「敵対的共犯関係」と規定します。  
 たとえば、私の日本の友人たちの中に、日の丸・君が代の強制に反対する人がいます。その友人は日本の右傾化や再武装に反対するウェブサイトを開いていますが、以前SOSメールが来たことがありました。「死にそうだ」というのです。
 自分たちのウェブサイトには韓国のナショナリストたちが入って来て、「日本のヤツらは悪いヤツら、独島はわれらの領土」「君が代を歌うヤツは悪いヤツ、太極旗は良いものだ」というふうにめちゃくちゃに荒らしまわるというのです。すると次には日本のナショナリストたちが入って来て同じことをするというのです。「そら見ろ。おまえらが日の丸や君が代に反対した結果は韓国の民族主義を助長するだけだ。おまえらは日本を売り飛ばす売国奴のようなやつらだ」というようにね。
 このような場合、韓国のナショナリストたちは日本のナショナリストたちを打ち破ったのでしょうか? 全然違います。ウェブサイトを運営する友人の立場を弱くしてしまっただけなんですよ。逆の場合も同様です。日本の新しい歴史教科書や中国の東北工程のようなものが私のような人の立地を狭くし、韓国の民族主義を強化させています。両国の民族主義者たちは、実はお互いがお互いを必要とする共犯関係にあります。そういう意味で「敵対的共犯関係」というのです。この輪を壊さなければなりません。


★[ヌルボの付記] この「私が知っている日本の友だち」というのは小森陽一東大教授かな? ウェブサイトを運営というと「子どもと教科書全国ネット21」の俵義文事務局長あたりかもしれませんが・・・。

 「敵対的共犯関係」。少なからぬ感情的反発や論議をよび起こした表現ということは知っている。ここに浴びせられた数多くの非難に対して彼はどのように考えているか。

Q.「日本の民族主義と韓国の民族主義を同一に見ることはできない」という批判が多く提起されています。いわゆる「抵抗的民族主義」を大きく評価し、膨張的民族主義と同等に見ることは行き過ぎだというものです。
A.それについて歴史的非対称性という表現を使うことができると思います。帝国の経験を持った国の民族主義と植民地の経験を持った国の民族主義は、歴史的経験が対称的ではないですね。「レベル」が違うのです。その非対称性は十分に認めますが、問題は、抵抗的民族主義という名の非対称性が権力言説として、あるいは支配イデオロギーとしての民族言説の姿を隠蔽する機能をずっと果たしてきたということです。  
 韓日関係でも、日本のいわゆる良心的知識人たちは日本の民族主義に対しては強く批判しても、韓国の民族主義にはむしろ支持するような発言をするんですよ。それでどんな結果がもたらされたのかといえば、日本の左派が韓国の民族主義を強化させ正当化させることにより、そのブーメラン効果で日本の民族主義が再び強化されるのです。「敵対的共犯関係」にむしろ寄与することになるわけです。


★[ヌルボの付記] 3月10日の記事「ナショナリズムを批判する韓国の少数派学者たち」で、近年日本の「左翼的」な歴史学者等が、林志弦教授や朴裕河教授のような「反民族主義的」な学者と組んでシンポジウム等を開いたり、本を出したりしていると書きました。その契機として、上述のような韓国側からの指摘を受けて、韓国のナショナリズムに批判的な目を向けるようになった日本の学者が増えてきたということがあるようです。

Q.現実的に存在する力の不均衡というのは考慮しなければならないのではないでしょうか? 冷静に考えて、韓国の民族主義というものが中国や日本に実質的な脅威になるとみるのはむずかしいでしょう。
A.少なくとも自分の側を強化させる口実には十分になるでしょう。東北工程に対抗して、キム・ウォンウン国会議員が数年前国会で満州修復という演説をしたじゃないですか。こんな人たちが進歩的な国会議員とよばれて、あるラジオ放送では大統領選挙候補にまで挙げられましたが、あきれたことです。   
 中国の側から韓国を見たら、故地修復が国会でまで話され、陸軍士官学校の校長室に行ったら満州も韓国の地として塗った地図があって中国の将官が驚いたとか・・・。そんなことで中国は東北工程を正当化するでしょう。


   《高句麗史、「辺境史」の観点からアプローチしなければ》

Q.高句麗に一国史の枠組みでアプローチするのが適切でないとすると、どのようにアプローチすることが望ましいと思いますか?
A.私が提案するのは、辺境史(border history)です。研究対象をひとつの国民や民族国家の単位に包摂するのではなく、そこを多様な文化がお互いに出会って交流する場とみる観点です。そこで文化的緊張が生じ、躍動性も生まれる。しかし、実際には200年の間近代歴史学というものが国史の枠組みで組まれてきたため、一朝一夕に完璧な代案が出てくることはないと思います。今はその端緒になるであろう方法をひとつ提示できるだけですね。  
 例えばボーダー・ヒストリーとかフェミニスト・ヒストリーのようなもの。その中でも、高句麗史の研究方法論としては辺境史的観点が適切だと思います。参考までに李成市先生(早稲田大教授)は渤海も辺境史とみています。キム・ハンギュ先生は遼東史というコンセプトで高句麗を見ようとするのです。韓国史でもなく中国史でもなく。


Q.辺境史について、もっと詳しい説明をしていただけますか?
A.まず国家間の境界ということから考えてみましょう。私たちがよくする勘違いで、普通の自然的な境界(山脈や川など)に基づいた現代国家の国境線だけ見て、国民国家の境界とは、とても自然にできるものと思いますが、実際にはそうではないということです。
 境界というものは、近代になって国境線が地図上で確定されるまでは、線として確実に引かれたものではありませんでした。大まかに「あそこまでがわれわれの土地だ」というようなものでした。だから辺境という地域はこちらにもあちらにも属したりしたと見ることができるわけです。
 例えば、満州~韓半島北部地域は、韓半島や満州の騎馬民族や大陸の文化がお互いに出会って交流して融合したりもしながら、独自の文化が生まれたりしているのですよ。まさにそこについての研究を「辺境史」といいます。
 これがひとつの学際学問として座を得て20年にもなりません。1984年度に「ジャーナル・オブ・ボーダースタディーズ」というのが初めて出たのです。「ボーダー・アイデンティティ」(1998年)のような書籍は全部最近出てきたものです。これはもともとヨーロッパで注目され始め学問的傾向なのです。なぜかというとヨーロッパでは領土紛争がひどかったんですよ。
 元来ヨーロッパは地理的な境界が流動的じゃないですか。国境がずっと絶え間なく変化するのです。19世紀のヨーロッパでは領土争いが熾烈でした。ここは元々私の土地である、ここは元々私たちの歴史だというふうに。ところが、そんなような争いは全く歴史的とは言えず、解決もできないだけでなく、政治的に見れば結局は国家権力が大衆を民族主義的宣伝により動員するために利用するに過ぎなかったんですよ。だから辺境史のような方法論が登場することになったんです。
 例をあげると、フランスのノルマンディー地方の場合、ノルマンディー公はイギリス王の家臣でもあったじゃないですか。スペインとフランスの境界に位置するバスク地方も代表的な事例です。バスクはスペインでもなく、フランスでもないというところじゃないですか。
 そして日本の対馬。徳川幕府の家臣であり、また朝鮮王の臣下が正式名称だったじゃないですか。そうすると、日本史の一部とみなされるものについて問題提起をすることができるでしょう。もちろん、だからといって韓国史であると主張しようというのではなく。


★[私ヌルボの注記] 「対馬の領主は・・・朝鮮王の臣下が正式名称だった」とは、ほとんどの日本人にとっては「初耳」でしょう。これについて、ネット内での韓国側の記事にある「史実」を拾ってみました。
・14世紀後半の対馬島主・宗成職は朝鮮礼曹にあてて自己を「東藩」と称した。
・1420年宗貞盛の使者が世宗のもとを訪れ、朝鮮の州郡の例に倣って対馬の州名を定め、印信を賜ることを請願した。
・これを受けて世宗は対馬を朝鮮の属州とすることを決定し、翌1421年には宗貞盛の使者に印信を授けた。(これは朝鮮の外臣になったことを意味する。) 以後、対馬からの使者は敬差官と呼ばれる。(敬差官とは辺境地域に派遣される駐在官。)
・1474年宗貞国は特送宗茂勝を遣わし、対馬が朝鮮に属し、臣下であると述べた。
  ・・・これらの「史実」は一部で<対馬は韓国領>論の根拠とされたりもしているようですが、私ヌルボは未検証につきノーコメント。


 このような観点から済州島も扱うことができるでしょう。沖縄音楽を研究している人の話を聞いてみると、沖縄の音楽が済州島に驚くほど似ているというんです。ここから沖縄と済州の関連性を研究してみることもできるでしょう。
 笑い話でこんな話があるが、済州分離運動、あるいは済州分離党が必要になることもあるでしょう。済州島では外地人が所有する土地の割合が90%を超えたんですよ。だから分離党のようなものを作って、沖縄・済州連合を構成して本土の人々の土地をすべて奪って、久しい間の被支配状況から脱しなければならないというんですよ。済州島は当然私たちの土地?それはいったい誰の立場なのかというのです。
 このように見ると、長期的に見て中国史か韓国史かという式の争いはなくなってしまいます。その根拠を底から根こそぎ覆すのだから。日本の国史に対しても、北海道•沖縄・対馬・九州、一つひとつ辺境として分けてしまった時、日本の国史も順調に解体することができるのです。


★[私ヌルボの感想] 戦前の国史の授業で、教師が坂上田村麻呂の蝦夷征伐の話をしていたら、涙を流していた生徒がいた。教師がなぜ泣くのか訊くと、「坂上田村麻呂の偉大さはよくわかりましたが、私たちアイヌの先祖は征伐された側の蝦夷なんです」と答えた。・・・という話を本で読んだことがあります。

 辺境史。わかるようなわからないような・・・。

Q.辺境史が国史を解体した次の代案であると?
A.必ずしも辺境史だけはありません。教育のような場合にはローカル・ヒストリーですね。私が通っていた忠清道燕岐(ヨンギ)中学校だとすると、燕岐郡の歴史を書くのです。過去のローカル・ヒストリーはすべて中央政府の関連の中でのみ扱われてきました。忠清道に観察使がいつ来たというようにです。そうじゃなくて燕岐郡に住んでいた住民の立場から歴史を再構成するのです。自分が住んでいる地域で、東学農民軍の時官軍が来てどうなったとか、朝鮮戦争の時に国防軍あるいは人民軍が来てどうしたとか、口述史のような方法論で・・・。このようなことが可能なら入試が変わらなければならないね(笑)。今のように1つの解釈だけを教えて覚えさせているような入試制度の下では難しい話です。
 むしろこういう話に最も反発するのが全教組の歴史教師の会などです。今の歴史教師たちがすべてこのような枠組みで勉強したからです。私の本を発行したヒューマニスト出版社の社長は死にそうだと言ってますよ。全教組の歴史教師たちが作った代案教科書も出した会社に、教師たちが私の本(「国史の神話を超えて」)を出したと抗議をするのです。「なんで"こんな本"を出せるのか? 関係を切るぞ」と言って・・・。


 ちょっと適当というか・・・考えは違うと言っても、こんな排他性まで見せる必要はないのに。これまで多く指摘されてきた話をまた確認するようでちょっと苦々しい。開放性や寛容のような徳目と"進歩"というレッテルの間には必然的相関関係があまりないということか。

Q.それらのことからも明らかになりように、ナショナリズムに立脚した国史が強くて社会のヘゲモニーを握っているのが現実です。国史解体という主張が果たして韓国で可能性があるのかという懐疑論もありますが・・・。
A.ヨーロッパの場合を見れば可能だと思います。今、ヨーロッパではこれ以上の国史(national history)を主張する集団が主流ではないでしょう。ところが、それは政治状況とちょっとかみ合っていることもありますよね。欧州連合(EU)と呼ばれる新しい単一システムが席を占めていく過程だからです。見方によっては国史の枠組みをヨーロッパに拡大したと見られる面もあります。そのような限界に対する認識が必要でしょう。
 ところが、200年権力に奉仕してきた国史の枠組みが1日で崩れるでしょうか? 今挑戦が始まったのです。しかしそのような歴史学がどのように機能してきたかを認識し始めたという意味は明白にあるのです。これからはそれに対し絶えず批判的視角を持って代案を模索することが残っています。今少なくとも橋頭堡は確保されたわけですから・・・。東アジアの次元ではそんな橋頭堡さえ確保されていないのが問題なので、今後解決して行かなければならない問題です。


 二時間にわたるインタビューはこう締めくくられた。
 世界史的な観点から見た時、韓国は民族主義がかつてないほど強力な国の一つだ。ワールドカップが開かれると皆が「赤い悪魔」に急変する国は多くない。普段は関心もなかったスポーツ種目であっても、五輪が開かれると"太極戦士"たちの成績が焦眉の関心事になって、彼らが金メダルを "奪った"とかすると、それが大きな関心事となる。独島妄言や米軍装甲車事件のような"民族的自尊心"がかかった問題には驚くほどの政治的団結を見せ、IMF事態のような問題が発生すると、革命が起こるのではなく、ベルトを締めて "国を生かす"ために金を集める。
 悲しいほどのこの強力なナショナリズムの国で、林志弦教授は時宜を得た話だけ選んでしていた。中国の東北工程も韓国の"歴史防衛"も時代錯誤であることは同じであり、日本のナショナリストと韓国のナショナリストは"敵対的共犯"であり、済州島が当然私たちの土地というのは果たして誰の立場なのかと問い返す林志弦教授。彼はまるでゴリアテの前のダビデを連想させた。投石器の代わりに研究結果と論理という武器を手にして、彼は"常識"の種を蒔く闘争をしていた。彼の "常識"が"見慣れぬもの"ないしは "ふらちだ"とされるこの地で。
 トインビーは歴史発展する原因を、いわゆる創造的少数者(creative minority)に求めた。既存のものに対する彼らの新しい発想と行動こそが、歴史の車輪を動かす原動力だということだ。もちろん議論の余地の多い見解だ。はたして"創造的少数"だけが歴史を進めて行くのか、またその"創造的少数"とは、はたして誰なのかも曖昧だからだ。しかしトインビーの見解に傾聴に値するポイントが1つあるとすると、それは"反逆"としか見えない転覆的な声が時としては次の社会の端緒となることもあるという事実だ。そういう意味で、誰もが"イエス"と叫ぶ時、ただ1人で"ノー"を叫ぶ者は、その事実自体だけでも1度は大衆の関心を受ける資格があるだろう。時宜はすでに十分整っているから。


 インタビュアーが、「時宜はすでに十分整っている」と状況を把握した時点が2004年でした。それから9年経った今の韓国社会はどう変わっているでしょうか?
 日本にいて、また政治・社会・学問というとっつきにくいジャンルで、さらには私ヌルボの韓国語レベルの問題(!)もあって、なかなか正確に理解することが難しい面が多々ありますが、今後も継続して「観察」していきたいと思います。
コメント (8)
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