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「高句麗の都の平壌は、今の北朝鮮の平壌ではない」という月刊「新東亜」の記事について

2013-03-11 20:43:14 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 今回のブログ記事は、1つ前の記事の続きで、漢陽大の林志弦教授の高句麗史についての見方を紹介するつもりでしたが、最近たまたま「新東亜」2013年2月号の「高句麗の平壌は北朝鮮の地ではなかった」という記事(→コチラ)を読んだので、一応「前提」としてこれについてまず書くことにしました。
  ※自動翻訳は→コチラ

 「契丹の歴史書"遼史"の驚くべき証言」という副題のこの記事の要点は次の通りです。

・"三国史記"の記述を根拠に、韓国の国史学界では長寿王の時、高句麗が北朝鮮平壌に遷都したとみている。 
・しかし"遼史"地理志には、高句麗は広開土大王の時に平壌とよばれた本来の首都遼陽に再遷都したと記されている。
 ・また、高句麗を倒した唐が高句麗の首都平壌に安東都護府を置いたことは"三国史記"等にも書かれているが、"遼史"地理志によるとその安東都護府は遼陽にあったと記されている。つまり、唐に滅ぼされた時の高句麗の首都平壌は、現在の北朝鮮の平壌ではなく、中国遼寧省の遼陽である。
 ・高句麗の平壌を北朝鮮の平壌とするのは韓民族が韓半島だけで住んでいたという「典型的な半島史観」である。それは小中華を自任した朝鮮時代に起こったもので、"三国史記"にもそれが反映されている。
 ・その延長線上で、朝鮮後期の実学者たちが高句麗と渤海史をさらに縮小し、その後日帝はこれを積極的に広めて植民史観を作った。大韓民国はそんな過去の圧迫から逃れられず、大陸史観を回復できずにいる。いまだに"遼史"のような隣接国の史料の記述よりも小さい領域を描いているのは、謙遜ではなく、愚かさに近い。これでは中国は"やった!"とばかりに東北工程を推進するだけだ。中国は万里の長城から東に、どんどんと拡張してきている。

 ・・・いやー、あいかわらずでございます。
 この高句麗の平壌は今の北朝鮮の平壌ではない、という件については、ウィキペディアの高句麗の項目の説明中に「東川王が魏軍が引き上げた後に築城された首都を平壌城というが、丸都山城の別名または集安市付近の域名であり、後の平壌城とは別のものである」とあり、また「平壌付近には当時(245年頃)は魏の楽浪郡が存在するために、平壌城築城記事について丸都城の別名と考えられている」と注記が付されているのを読むと、全然突飛な説ではないのですね。

 この「新東亜」の記事の背景にはもちろん記事中にもある例の1997年以来の<東北工程>があります。それに対抗して韓国では「朱蒙」「太王四神記」「風の国」「淵蓋蘇文」「大祚榮」等々高句麗や渤海を題材にする歴史ドラマが次々と制作されたり、2007年長春冬季アジア大会で韓国のショートトラック女子選手たちが「白頭山セレモニー」をやって問題になったり(→コチラの記事参照)してきました。
 私ヌルボ、2005年に新しく開館した韓国の国立中央博物館に行った時、歴史年表に「三国時代」の後が「統一新羅時代」ではなく「南北国時代」とあるのを初めて見て「あら!」と思ったのもその関連です。つまり韓国としては渤海も韓国史に含めてしまったということです。

 そして今、上記の「新東亜」の記事についてですが、感想としては、この高句麗の首都は遼陽だったという主張は、ヘタをすると「じゃあ高句麗の主な版図は朝鮮半島じゃなくて中国ではないか」という中国を利する根拠にもされそうに思われますが・・・。「威勢のいい」主張の方が読者受けするだろうという判断なのでしょうかねー。
 また興味深いのは北朝鮮の立場。北朝鮮の歴史学界は、平壌が故郷である金日成の家系の正統性を前に出すために古朝鮮と高句麗の首都は平壌であると主張しているとか。
 そういえば、これもウィキペディアの説明文中にありますが、北朝鮮は2000年頃から平壌市と南浦市に所在する高句麗後期の遺跡のユネスコ世界遺産登録を働きかけて、03年には登録される見込みだったが、中国も吉林省集安市を中心に分布する高句麗前期の遺跡の登録申請を行い、結局両遺跡は04年に同時登録という形で決着をみたとのことです。
 ※2011年10月の「平壌市内で高句麗時代の瞻星台(天文台)とみられる遺跡を発掘」というニュース(→コチラ)の真偽のほどはどうなんだろう? (檀君陵まで出てくるところだからなー。)

 この記事についていちばん基本的な感想は、中身は三者三様ながら「韓国も中国も、そして北朝鮮も、歴史をまさに我田引水的に解釈しているなー」という点ではとてもよく似ているということです。
 ・・・ということは、それらの国の歴史学者の多く(?)が国に奉仕する御用学者であるということ。この言葉は、韓国語でもそのまま音読して「어용학자(オヨンハクチャ)」といいます。
 このような歴史解釈・歴史叙述や、それらを唱えている御用学者たちを厳しく批判しているのが冒頭にあげた漢陽大の林志弦教授です。