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えっ、金素月の「つつじの花」も抵抗詩!? <金素雲・藤間生大の論争>再考②

2010-07-12 23:50:00 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 7月10日の記事で、日帝時代の朝鮮詩をめぐる<金素雲・藤間生大の論争>を紹介しました。
 私ヌルボとしては、藤間生大の唯物史観を念頭においた(?)思い込み的(独善的)解釈に半ば呆れたのですが、だからといってポイ捨てして終わりというテーマとも考えません。
 詩人がどんな詩を作り、訳者がそれをどう訳し、また人々がそれをどのように読むかは、その時代を如実に反映しています。この論争は、まさにその好例といえるでしょう。

 (うーむ。これから先、ヘタすると大学生のレポートみたいになってしまいそうで不安が心配になってきました・・・。)

 日帝時代の朝鮮詩の問題について、便宜上次の5つの時期に分けてみます。

①1920年代~40年頃 朝鮮の詩人が作品を書いた時期
②1940~43年頃 朝鮮詩集・乳色の雲」(1940)など、金素雲が訳述を行った時期
③1954~56年 岩波文庫版「朝鮮詩集」が刊行され、<金素雲・藤間生大の論争>が展開された時期
④1971年 梶井陟が「朝鮮文学」で<金素雲・藤間生大の論争>を紹介
 ⑤現代 

 まずの時期。そもそも、当の詩人が、どんな思いで詩を作ったか? 分類すると・・・
(A)植民地支配に対する抵抗の意志を持ち、その思いを明確に書いた抵抗詩。
(B)抵抗の意志はあったが、厳しい状況の中で、直接的な弾圧を避けるため、隠喩等を駆使して書いた作品。
 (C)自覚的な抵抗の意志はなく書かれた抒情詩等。

 むずかしいことは後回しにするという私ヌルボの処世法にしたがって、めんどうな(B)は次回以降にして、とりあえず(C)から。

 そもそも、金素雲は藤間生太が(C)を抵抗詩と誤解したり、「(自覚的な抵抗の意志はなくとも)日本帝国主義の圧政を自ずと表わしている」と曲解していると批判しています。

 藤間のこのような解釈は、上記の時期に主流となっていた唯物史観の影響といえるでしょう。
 ところが、そのような誤解・曲解は今もあるようです。
 (B)(C)の見分けはむずかしいですが、たとえば現在の韓国でも人気№1の詩人金素月の代表作「つつじの花(진달래꽃)」は、ふつうに考えて(C)に属する詩だと思うのですが・・・。

  진달래꽃              (金素雲訳) 岩つゝじ

 나 보기가 역겨워           どうで別れの
 가실 때에는               日が来たら
 말없이 고이 보내 드리우리다.    なんにもいはずと 送りましよ。

 寧邊에 藥山               寧邊薬山
 진달래꽃                岩つゝじ
 아름 따다 가실 길에 뿌리우리다. 摘んで お道に敷きませう。

 기시는 걸음걸음           歩み歩みに
 놓인 그 곷을              そのつゝじ
 사뿐히 즈려밟고 가시옵소서.   そつと踏まへて お行きなさい。

 나 보기가 역겨워           どうで別れの
 가실 때에는              日が来たら
 죽어도 아니 눈물 흘리우리다.  死んでも涙は見せませぬ。

  金素月の他の詩をみても、やるせない心情が、民謡風の(大正歌謡風の(?))七五調で詠われている、それが多くの人の心を捉えてきたのではないでしょうか?
  ところが、朝鮮総聯の機関紙「朝鮮新報」のサイト中の<文学散策>で、金学烈という朝鮮大学校・早稲田大学講師の方の書いている<失恋の歌か?それとも…>という一文を読んで驚きました。

  「1922年、金素月が20歳の時に作ったこの詩は、一見失恋歌の形をとっているが、実は3・1独立万歳事件(1919年)直後の、民衆への深い悲しみを暗にうたったレジスタンス(抵抗)のうたであるとういうのが通説である」とあります。えっ、<通説>だって!? 
  さらに「詩の結びに「死んでも涙は見せませぬ」とあるが、「死ぬともわが祖国を取り戻さん」という、死を決した強烈な思いが込められていると言えよう」とあります。・・・・。
  さらにさらに、ヌルボも感動した詩「招魂」についても、「表面上は失恋のうたとなっているが、うちに秘められた真意は、痛恨の亡国の情と独立への願望のうただといえる」と解説しています。(なんなんだ~!)

 他のサイトや、関連書籍を見てみたら、決して<通説>ではないようですが・・・。とくに朝鮮総聯の立場からはこのように解釈されるということなんでしょうか?

 ここまでいかなくても、金素月の詩に漂う哀しさの背景を、「祖国を失った者」という観点から理解するという分析もどこかで見ました。

  わりとわかりやすいと思われた金素月の詩の解釈からしてこんな感じですから、(B)に属する作品の場合はホントにややこしいです。

 ※上記の金素雲の訳について、林容澤は、「金素雲『朝鮮詩集』の世界」(中公新書)「原詩のアイロニーとパラドックスによる錯綜した「恨」の心理は、金素雲訳「岩つゝじ」からは読みとれない」と評し、自らの訳を別に載せています。ここらへんもビミョーですねー。

コメント (1)
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