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ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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今朝の「毎日新聞」 <金正銀の写真>は誤報!?

2010-04-20 11:40:18 | 北朝鮮のもろもろ
 今朝(4月20日)の「毎日新聞」の1面トップに「正銀氏 初の近影」とともに大きな写真。中央に金正日総書記、その隣に立っている人物が「最有力後継候補」の三男・金正銀氏であるとのこと。

 他の「朝日」「読売」にこのニュースはなく、どうやら「毎日新聞」の特ダネらしい。

 記事を読むと、「北朝鮮の「労働新聞」等の国営機関が3月初めに報じていたことが分かった」とありました。
 私ヌルボの最初の疑問は、「そんな前なら、なぜ今まで報道されていなかったか?」ということ。
 どうも、「労働新聞」等にはこの写真は載ったものの、この人物が金正銀氏とは書かれていなかった。それを毎日新聞が独自に韓国情報機関等の関係者から証言を得て、金正銀氏だと結論づけ、報道したということのようです。

 韓国ではどう報道されているかと思ってネット検索したところ、韓国各紙のサイト等を見ると、「毎日新聞」の記事をそのままの形で大きく伝えていましたが、午前9時半頃から「アレレ?」という内容の続報が出てきました。

 つまり、「統一部は、「この人物は金正銀と確認できない」と明らかにした」というわけです。
 さらに以下のようにその理由があげられています。
 この人物は昨年12月2日に金策製鉄連合企業所を訪ねた時も案内をした人物中の一人で、
金正銀である可能性は少ない。金正日の他の現地指導に登場していないと把握している。したがって金策製鉄連合企業所の関係者と見られる。
 また、金正銀が27歳ということを考えると、写真の人物は20代には見えないことからも、金正銀である可能性は少ないと分析される。

 ・・・ということで、韓国各メディアは、昨年6月の「テレビ朝日」の誤報と並べて、「日本の金正銀報道、また誤報」と伝えています。
 今日の「毎日新聞」の夕刊が注目されます。


※追記(4月20日19時40分)
 「毎日新聞」夕刊を見たのですが、この件については何も出てないですね。
 目下確認中なのか、明日の朝刊のお詫び&訂正記事の文言を検討中なのか、それとも韓国の情報部に対抗して、コチラが正しいという確証があるのか・・・。
 私ヌルボも、この記事をかなり早く流しはしたんですが、「テレビ朝日」とすべきところを「朝日新聞」としてしまったので、ヨソの誤報について声を大にして批判できる立場でもないんですけど・・・。(恥)

2010年10月6日の記事を参照のこと。

寸感:北朝鮮の公開処刑報道

2010-04-03 23:56:05 | 北朝鮮のもろもろ
 「FLASH」なんて見たのは何年ぶりかなあ?
 4月13号。表紙の「袋とじベスト10年史」とか、誰だかの「Hカップこぼれた!」に惹かれたわけではなく、もっと大きい字で「私は見た! 北朝鮮「恐怖の公開処刑!」とあるのが目に入ったから・・・。

 しかし、北朝鮮の公開処刑など、これまでTVでも放映されたし、各メディアでさまざまに伝えられていて、それほど衝撃的とも思われず、いまさら、といった感じではないでしょうか? まあ「袋とじ」だの「Hカップこぼれた!」も同様でしょうけど・・・。写真週刊誌の苦しい現状が察せられます。

 さて、その記事内容はと一応見てみると、最初のネタが、デノミ政策の失敗のため担当者だった朴南基(パクナムギ)党計画財政部長が処刑された可能性が高い、ということ。しかし、このネタはすでに各メディアで報じられています。ただ、これまで何十回も公開処刑を見たという脱北者・李相峯(イサンボン)氏(58)によれば、朴南基の処刑が事実だとしたら、民衆の前ではなく、党幹部だけを集めて処刑されたはずとのこと。

 また李相峯氏は、公開処刑とその前後のようすを具体的に語っています。

 公開処刑で悲惨なのは、「罪人のすぐ前には家族や親族が座らされ」ること。
 これについては、昨年10月26日の記事で紹介した「収容所で生まれた僕は愛を知らない」にも記されていました。シン・ドンヒョクの母と兄はその地域から脱出を試みて失敗し、 彼の目の前で公開処刑されました。

 現在世界で200ばかりある主権国家で、公開処刑がふつうに行われている国がどれほどあるのでしょうか?
 同じ21世紀初頭に存在する国にも、今日びあまり使われなくなっている<発展段階>論的観点からみて、かりに下記の4つの類型に分けて考えてみましょう。

①近代以前の段階にとどまっている国
②<国民国家(近代国家)>の形成に向けて内部対立・抗争の状態にある国
③機構・制度も国民の意識も<国民国家(近代国家)>の真っ只中にある国
④<国民国家(近代国家)>の力が弱まり、<国>に対して<個人>や<世界>、<地域社会>等が力をもちつつある国

 日本やEUは④です。韓国は④のちょい前の③です。中国は③です。
 で、北朝鮮は①。決定的な指標としては、近代国家の前提の、政治的権利を有する自由な市民が創出されていない、ということ。

 そして、この公開処刑自体北朝鮮が近代以前の国家であることのあらわれ。
 江戸時代、一揆の要求事項が認められた場合でも、一揆の指導者ははりつけに処せられ、またその処刑場には村人皆が行って刑の執行を見とどけなければならなかったそうです。
今の北朝鮮も同じだそうです。

 ニュースとしての衝撃はなくても、重い事実が現在も厳然としてあるということです。「Hカップこぼれた!」とかと一緒にポイ捨てしてはならない記事だと、マジで思います。

4月9日脱北帰国者との対話集会があります。

2010-03-31 12:27:08 | 北朝鮮のもろもろ
 先頃アジアプレスのイベント案内のメールが届きました。
 以前、アジアプレスのサイトを通じて、「北朝鮮内部からの通信 リムジンガン」を購入した関係です。

 イベントの概要は次の通りです。

    「北朝鮮であったこと、話します」
  "脱北帰国者との対話集会と、北朝鮮内部記者が撮ったミニ写真展"
   日時: 2010年4月9日 写真展17時〜 対話集会18時30分〜21時
※→詳細はコチラ

 可能であれば私ヌルボもこの集会に行ってみようかなと思っているのですが、それは日本在住脱北帰国者の話が聞ける、というのが一番の理由です。

 拉致被害者とその家族のことはさまざまに報道されていますが、脱北帰国者については多くが支援を必要とする状況にあっても、あまり関心を向けられていないようです。<右寄り>の人からも<左寄り>の人からも・・・。

 北朝鮮に渡ったものの監視や差別・抑圧の対象とされた在日朝鮮人も、日本に帰国できないままの日本人妻も、拉致被害者とその家族も、また現在の北朝鮮の住民の多くも人権被害者、国家犯罪被害者です。
 まず彼らの状況について知ることが手をさしのべる方策を考え行動する前提になると思います。

 この集会の出演者の一人、アジアプレスの石丸次郎さんは「93年と94年7月、11月に中国の朝鮮国境1400キロを踏破。北朝鮮取材は国内に3回、朝中国境地帯にはおよそ50回。これまで北朝鮮難民とのインタビューは500人を超える」という人で、「リムジンガン」の創刊・編集に携わり、また「サンデー毎日」連載の「朝鮮半島」の執筆者の一人でもあります。

 辛淑玉さんはTVとか本でおなじみの人で、<嫌韓派>の人たち等からの批判が絶えない人です。北朝鮮関係では「鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)」という本があります。帰国事業で北朝鮮に渡った叔父がそこで死んだと聞いたとき、「正直ホッとした」と思った等の事実をも告白し、また脱北者からのインタビューを通じて、「日帝時代よりひどい」という<楽園>の実態を記しています。
 アマゾンのレビューでは、好意的評価と非難が2:8くらいの比率ですが、私ヌルボは概して北朝鮮住民への関心が薄い人が多い<進歩派>の中では、積極的な発言をしている人だと思います。
※否定的な8割の中にも、
 「しかし、本書は、朝鮮学校・帰国事業の体験談、中朝国境での聞き取りなど貴重な材料が含まれており、この意味のみにおいて、意義深いものといえる。」
・・・のようにきちんと読んでいる人もいれば、
 「辛淑玉は国際指名手配犯であり犯罪者である。・・・彼は工作員であり北朝鮮の狗にすぎず 果たして「事実であるか?」と云う疑問は拭い去る事は出来ない。この本は国際指名手配犯の思考として読むのが一番かもしれない。いや、北朝鮮の宣伝用書物と考えるべきだろう。」
・・・のようにトンチンカンな(辛淑玉が女性ということすら知らない?) レビューもあります。さらに107 人中、84人の方が、「このレビューが参考になった」と投票していますが、それって<嫌韓派>のレベルを知る上で参考になったってこと? 

★私ヌルボは、昨年8月30日の記事に少し記したように、最初の外国旅行先が1991年の北朝鮮でした。
 また2004年8月には中国・北朝鮮国境の町の図們から豆満江越しに北朝鮮を見てきましたが、その際のかなり細かな記録(文章と写真)がありますので、いずれ何回かに分けて記事にしようと考えています。

  
        【図們大橋の向こうが北朝鮮。2004年8月4日撮影。】

生きている言葉=「搾取」 アメリカと北朝鮮の場合

2010-03-14 23:22:54 | 北朝鮮のもろもろ
 「搾取」という言葉を聞くと、団塊の世代までの年配者の場合、懐かしさとか、はずかしさとか、いろんな感情が喚び起こされる人も多いのでは? もしかしたら、「オーッ」という年のわりに力強い声を発し、最近は見せたこともないようなマジな顔つきになって、正義感とか闘争精神の残り火をかき集めて胸を熱くする人もそれなりにいらっしゃるでしょう。

 私ヌルボにとっても久しく縁遠くなっていたこの「搾取」という言葉を今日は2回も想起してしまいました。

 その1は今朝(3月14日)の「毎日新聞」の<今週の本棚>。
 堤未果「ルポ 貧困大国アメリカⅡ」についての伊東光晴先生の書評です。

 この本の4つの主題のうちの最初がアメリカの大学生たちの学費ローンの話。以前堤さんの講演会に行った時も多くの大学生が多額の借金を抱えて苦しんでいるということを聞きましたが、この書評ではさらに<サリーメイ>とよばれる学生ローン協会のことが取り上げられています。1995年に完全民営化されたサリーメイの取り立て方法は「日本のサラ金と同じ」ですさまじく、学生は借金地獄に落ちていくそうです。
 一方、このサリーメイの最高経営責任者の年俸は4億5千万ドル(約405億円)
 えっっっ! 1日1億円以上!! 想像もつきませんがな・・・。ヌルボの場合、1日10万円の収入があればそれ以上はいりまへん。(お金の話になるとなぜか関西弁ぽくなりまんなー。) それ以上もろても、使い道がわかりまへん・・・。
 400億円、これを搾取といわずして何を搾取というのか!?

 ・・・とめずらしく義憤にとらわれて少しばかり高くなった血圧が、さらに上がるようなニュースが3月10日付の「東亜日報」の中にあったのです。
「北朝鮮の伐木作業者2人、ウラジオストクの韓国領事館に駆け込み」(→日本語版)というのがその見出し。

 シベリアの森林で伐採工として働いている北朝鮮労働者の悲惨な状況や、彼らの脱走事件等については、このブログの昨年12月24日の記事でもふれました。

 そこでは<悪質派遣会社になっている北朝鮮政府>という見出しをつけましたが、<手配師>の方がいいかもしれません。
 その記事中に、「ポーランドの造船所で働く男性労働者の場合、給与は北朝鮮の国営会社に直接振り込まれ、労働者の手取りは全額の3~4割」と記しましたが、今回の2人の場合は、1人が「国家=40%、現地の北朝鮮連合企業所=20%、伐木場事業所=15%、本人=25%」で、もう1人は「国家=48%、現地の北朝鮮連合企業所=20%、伐木場事業所=15%、本人=17%」。

 現代型の搾取と、前近代型の搾取。どっちもひどいとしか言いようがありません。
 <搾取>という言葉を懐かしがったりしているオジサンたち(ヌルボも含めて)、ノーテンキなもんです。

韓国・中高生対象の意識調査結果  70%が「統一は必要」

2010-02-04 21:14:14 | 北朝鮮のもろもろ
 今日2月4日の「毎日新聞」で「北朝鮮デノミ2ヵ月」という記事がありました。
 食料価格高騰 闇両替が横行>、<不満封じ込め? 市民を銃殺刑>という見出しが並んでいます。
 政策の失敗の果てに、被害者の側の市民を処刑するとは・・・。これが北朝鮮の出来事なので「さもありなん」と受けとめてしまう人は非常に多いのでは? <慣れ>とはこわいものです。
 記事の紹介は「毎日新聞」のサイトで・・・。
 この他にも、別のサイトで<餓死者続出>という記事もありました。

 昨夜韓国KBSラジオを聴いていると、韓国の中高生を対象とした北韓についての意識調査の結果を伝えていました。
 その後、聯合通信のサイトなどに詳しい記事があったので、要点を紹介します。

 韓国政府統一部(統一省)の傘下の統一教育院は、統一教育協議会がリサーチ&リサーチに依頼して2009年11~12月全国の中高生1083人を対象に実施した「青少年統一意識調査」の結果を2月3日発表した。
 各設問と、その回答結果は次の通り。

◎統一の必要性
「統一は必要」 70.3%
「必要なし」 29.3%
※「必要」が例年より5~10%高い水準。

◎統一が必要な理由
「国力強化」 28.4%
「離散家族問題解決」 24.7%
「同じ民族だから」 24.6%
「戦争の脅威解消」 20.3%
「分断の費用軽減」「就業機会の増大」等の利益関連項目 16.1%

※協議会の分析では、「成人たちが主に<ひとつの民族>意識、<戦争の脅威解消>のような古典的当為性の観点から統一問題を眺めるのと違って、青少年はより実利的・具体的な必要性と利益の観点から統一問題を眺めている」とのこと。

◎統一問題について
「関心がある」 52.6%
「関心がない」 47.4%
※とくに女子生徒は過半数の52.2%が「統一問題に関心がない」と回答。

◎北朝鮮に対する好感度
「肯定的」 33.3%
「否定的」 66.7%

◎北朝鮮住民に対する好感度
「肯定的」 48.6%
「否定的」 51.4%

◎朝鮮戦争の勃発年度(1950年)の認知度
「知っている」 73.2%
「知らない」 26.8%

※2008年行政安全部調査では「知っている」が43.2%だった。

◎統一教育満足度
「満足」 22.3%
「普通」 59.9%
「不満足」17.8%

◎<統一>や<北朝鮮>の情報獲得手段
「言論メディア(TV、ラジオ、新聞、雑誌等)」 36.2%
「学校の授業」 33.9%
「インターネット」 23.7%

★私ヌルボの感想
 「統一は必要」と答えた生徒が70%というのは、<本気で統一を願っている人たち>から見ればずいぶん低いレベルだと思います。危機的と言っても過言ではないかもしれません。
 70%中の相当部分はタテマエ的に答えていることは十分予測されるし、経済面等のリスクを負ってでも「統一は必要」というほど強く統一を望んでいる中高生は5割を大きく割り込むのではないでしょうか? 「統一が必要な理由」にも「より実利的・具体的な必要性と利益の観点」を重視しているようだし・・・。(推測は十分つきますが・・・。)
 その他の結果についても、とりたてて意外なものはありません。おそらく、韓国の大人、とくに年配者の中には、この結果を見て嘆く向きもあろうかと思いますが、それも厳しくいえば自業自得。むしろ大人の世界の反映でしょう。
 個人的には、次のような質問も入れてほしかったです。それは「統一を阻んでいるものは何ですか?」というもの。
 大体韓国政府にしてからが<本気で統一を願っている人たち>の中には入っていないようだし・・・。北朝鮮政府についてはいうまでもありませんが。
 それから「統一を阻んでいるものは何ですか?」の選択肢の中には「韓国民自身」というのも入れなければなりませんよ。

悪質派遣会社になっている北朝鮮政府  ロシアで出稼ぎ労働者12人亡命

2009-12-24 21:51:46 | 北朝鮮のもろもろ


 12月21日の「毎日新聞」に、タイで大量の北朝鮮製武器が押収されたという記事がありました。

 今日24日の同紙の北朝鮮関係の記事も気が重くなります。
 内容は、「ロシアのアムール州に出稼ぎ労働などで滞在していた北朝鮮の男性計12人が今年9月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の支援で韓国に亡命していたことが23日分かった」というもので、「北朝鮮労働者らの集団亡命が起きたのは初めて」とのことです。

 しかし、シベリアの森林伐採所への北朝鮮労働者の派遣は30年も前からで、日本でも「北朝鮮労働者のシベリア脱出記」(三一書房.1994)という本も刊行されています。その内容紹介には「本当にこんなことがあるのか。この地球で最も悲惨な人々―それは、シベリアの北朝鮮労働者であり、かつそこから脱出し、シベリアの大地を這いまわる人々だ」とあります。

 また、<北朝鮮を分析してみよう>というブログの9月1日の記事では、イギリスのBBC放送がシベリアの伐採所で働く北朝鮮労働者たちについて取材・報道した内容を紹介しています。

 それによると、北朝鮮の伐採労働者は過酷な自然環境の中で「獣のように働く。彼らの休日は1年に僅か2日、金日成と金正日の誕生日だけである」。また「零下30度まで下がるシベリアの酷寒の中で、数え切れないくらい怪我をしたり死んで行く」としながら、「これに耐え切れなくて、過去20数年間に数千人が伐採所から脱出して、ロシアに隠れて住んでいる」とのことです。

 また今年、チェコの縫製工場で働く北朝鮮の女性労働者についてのニュースが流されました。
 90人の労働者には北朝鮮の監視員がついて回り、稼いだ金のほとんどは北朝鮮に送金しなければならないことから、欧州のマスコミは彼女たちを<21世紀の奴隷>と報じ、チェコ政府は結局ビザ発給を中断して帰国させたとのことでした。

 これも同様の報道はすでに2006年にもありました。あるブログによると、「労働者たちの生活は、宿舎と工場の行き来のみで、外部との接触はほとんどなく、給料はチェコの労働者の半分ほどの月400ドル程度だという。しかし、最近になってチェコ政府は、労働者の給料の大部分が北朝鮮政府に入金されていることを確認し、北朝鮮労働者に対する新規ビザの発給を全面的に中断しているという」ということでした。

 同じく2006年、別のブログでは「毎日新聞」の記事を紹介していて、それによると、「欧州議会によると、北朝鮮からの派遣労働者はチェコ、ポーランドで確認されているほか、中東やアフリカ、ロシアも含めると全世界で1万~1万5千人に上ると推定されている。・・・ポーランドの造船所で働く男性労働者の場合、給与は北朝鮮の国営会社に直接振り込まれ、労働者の手取りは全額の3~4割である」とあります。
 
 ウィキペディアによると、この他にモンゴル、リビア、サウジアラビアなどに労働者を派遣しているとか・・・。やはり「労働者の給料の大半は北朝鮮当局に支払われており、労働者は北朝鮮の監視を受け生活圏外への移動の自由もない」とあります。

 以前12月5日の記事で少し記した冷麺レストランの従業員、あるいは私ヌルボが長白山(白頭山)に行った時に泊ったホテル内の北朝鮮レストランの従業員たちもおおよそ同じ状況にあるとみて間違いはなさそう・・・。

 資本家・地主の搾取からの解放を旗印にしていたはずの社会主義の理念は、建前さえもとっくに失われてしまっている・・・そればかりか、特権階級が党と国家の名で搾取している、という悲惨な構図になっているようです。


北朝鮮の飢餓にも人権にも無関心に? 韓国民の状況

2009-12-05 23:57:42 | 北朝鮮のもろもろ
 12月10日は世界人権デー、つまり1948年世界人権宣言が国連で採択された日ということで、この日と前後して各地でさまざまな催しが開かれます。

 神奈川県でも例年この時期に横浜駅東口そごう前で<人権メッセージ展>という催しをやっています。

 なにをかくそう私ヌルボは10年来のアムネスティ会員ということで、今回は<児童労働>の問題をテーマに準備をして、今日メンバーたちと現地で展示とか呼びかけとかやってきましたよ。

 アムネスティというのは1961年イギリスで始められた国際的人権団体で、国際法に則って、政治的意図により不当に拘束されている<良心の囚人>の開放等の人権擁護、死刑の廃止、難民救済などの活動を続けてきており、1977年にはノーベル平和賞を受賞しています。
 ただ、世界レベルでの認知度&評価に比べて日本の場合はどちらもイマイチで、誤解もけっこうあるようです。
 ウィキの記述にあるようにいろいろと批判はあります。誤解も含めて、ヌルボは一定程度はアムネスティ自身にも反省すべき点はあると思っています。が、極力特定の政治勢力と距離を置こうとしている姿勢は維持していると思います。

 アムネスティに特にはがゆさを感じてきたのは北朝鮮の人権についてです。
 今でも残念でならないのは2006年4月のアムネスティ日本支部総会で「北朝鮮の人権・拉致問題への積極的な取り組みを求める」決議案が否決されてしまったこと。賛成が反対を上回ってはいたのですが、保留が多かったため過半数に達しなかったというわけです。
 このような論議になると、<進歩的>、<良心的>な人から<日本が過去朝鮮に対して犯したもろもろについての罪責>が語られるのです。

 今の世界で、広範な人権侵害(それも生存権レベル)が現出している国の代表格こそ北朝鮮ではないですか。
 現実に上に瀕している人々、移動の自由、思想良心の自由さえない人々にとって、政治的・思想的立場とか過去の罪責とか言ってる場合じゃないでしょう?

 今、ビルマの政権に対してアウンサン・スーチーさんの自由を求める時の<確信>に比べて、北朝鮮政府に北朝鮮住民の生存権や数々の基本的人権の保障を求めるのに<何らかのためらい>があるとしたら、それは一体何なのでしょうか?

 ホントに、名前をあげるのは心苦しいですが、姜尚中先生や、一昨日の記事で触れた佐高信さんにしっかりして!と声をかけたい気持ちで一杯です。

 やっと今年2月になって、アムネスティは「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の人権問題」に対するアクションを開始しました。まあ、それで状況がすぐ好転するわけでもないでしょうが、とりあえずは一歩前進。

「ネパールの玉流館の従業員女性」についてのコラムに共感

2009-12-05 23:57:42 | 北朝鮮のもろもろ
 10月だったか、「朝鮮日報」の日本語版で「ネパール空港で会った北朝鮮女性たち」()というコラムがありました。
 筆者のチェ・ボシク記者がネパールのカトマンズ空港に到着して外に出ると、白いスカート姿の北朝鮮女性たちが「ぜひ一度お立ち寄りください。とてもおいしいです」と声をかけながら平壌の有名な食堂・玉流館のビラを手渡したというのです。
 チェ記者の感想はこうです。「体制存続のための外貨稼ぎに駆り出され、・・・わずか数千ウォン(日本円で数百円)の食事でこのような立派な公演まで行う。自分の娘が同じようなことをやらされているとしたら、耐えられるだろうか。・・・・(彼女たちが)エリートならば、選ばれなかった住民たちは、どれだけ悲惨な生活を送っているのだろうか。このような体制を、いつまでわたしたちは傍観しなければならないのか」。

 続いて北朝鮮の人権問題について記しています。
 左派政権が続いた10年の間、政府や運動圏出身者たちは「北朝鮮の人権問題に口を閉ざしていた」し、「北朝鮮の人権問題に口出しすれば、南北和解のムードに水をさす」「内政干渉になる」などと主張していたが、それでも「一部の良心的な勢力」は「北朝鮮の人権問題を取り上げ、社会問題化していた」。しかし「現政権では忘れ去られたようなものだ」。
 「拷問や公開処刑、強制収容所などについての証言にも、今や取り立てて関心を示すこともなく、人身売買の標的となった脱北女性の涙にも、われわれは憤りを感じなくなった。現在、北朝鮮住民の3分の1が飢えに苦しんでいる。しかし今やこうした話を聞いても、われわれは特に何も感じない」とのことです。

 韓国一の発行部数を誇る「朝鮮日報」は韓国の代表的保守言論で、とくに1980年代軍事政権と結びついて急速に成長した新聞社です。今も問題は多々ある新聞ですが、それでもこのコラムの結びの文章には私ヌルボ、深く共感した次第です。

 「政府高官たちが関心を示さないのに、日々の生活に忙しい一般庶民にとっては、当然のことながら関心の対象にはならない。だが、いつの日か残酷な苦痛から抜け出した彼らは、われわれの目の前に現れたとき、「あの時、なぜあなたたちはわたしたちの悲惨な状況に口を閉ざしていたのか」と、間違いなく問いかけることだろう」。

 その日が訪れた時、韓国の多くの人たちは「私たちの生活の質を下げたくなかったから」と答えるのでしょうか?
 そして、<何らかのためらい>が引っかかっている<進歩的>、<良心的>な人たちは・・・?。

※私ヌルボは北朝鮮の人権問題を政治的に利用したり、北朝鮮の人権抑圧の現実に対して差別的意識が透けて見えるような嘲笑的言辞を流しているような人とは無縁でありたいと思います。

※ネパールの玉流館などのような北朝鮮の外貨稼ぎ関係の問題についてはいずれテーマとしてとりあげます。

※今回はヌルボとしてはかなりマジに政治的(?)見解を披歴してしまいました。先日の梁英姫監督の国家から全く自由なピュアな感覚と、「朝鮮日報」のコラムに触発されて、つい・・・。

「ディア・ピョンヤン」の梁英姫監督の本 「北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ」

2009-12-02 23:05:47 | 北朝鮮のもろもろ
     

 8月29日の記事で梁英姫監督のドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を「ぜひ観て!」と書き、また8月30日8月31日にも関連記事を載せました。
    
 梁英姫監督のその後の情報はとくに追ってなかったのですが、「北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ」(七つ森書館)という本が11月11日付で発行されているのを一昨日たまたま見つけ、さっそく読みました。

 北朝鮮に<帰国>した梁英姫さんの3人の兄の一番上のコノさんが最近亡くなったことをはじめ、映画のことや北朝鮮のこと、在日のこと等を聴き手の佐高信氏を相手に語った対談形式の本です。

 この本のタイトルを見て、私ヌルボが心の中で「よもや」と思ったのは、梁英姫さんが「ディア・ピョンヤン」を作って発表したことと、オッパが亡くなったことと何らかの関係があるのか、ということでした。
 読んでみるとそういうわけではなく、直接的には心筋梗塞で亡くなったということですが、コノさんを長く苦しめていたというひどい躁鬱病の原因は明らかに北朝鮮の体制です。
 「それがなければ生きていけないくらいクラシック音楽が好きだった」彼は、1971年に北朝鮮に渡った時オープンリールのデッキを持っていったのです。しかしそれを見たこともない北朝鮮の人は、「日本から、資本主義を知った青年が、ヘンな探査機のような機械をもってきた」ということで「個人攻撃でつるし上げられ、自己批判を求められた」とのこと。そして忠誠心を誓うことを繰り返すうちに、本当におかしくなってしまったとか・・・。

 梁英姫さんが昨年から北朝鮮への入国が禁止されていることもこの本を読むまで知りませんでした。
 「ディア・ピョンヤン」の素材となった映像は出国の時「一秒残らず、早送りでチェック」を受けたものだとのことですが、それで映画を作るという許可はとっていなかったとか。

 英姫さん自身は「私は、ピョンヤンにいるあいだは、本当にいい子ですよ」とのことで、「何をするんですか? そんなにいっぱい撮って」と聞かれたら、「これは、私の絵日記で、老後に見るのが楽しみなんです。・・・」と案内の人を撮ってあげたりしてますが、やっぱり北朝鮮当局は許さないですね。
 英姫さんはたしかに直接接する人たちにはとても上手く接していますが、政治的な観点からはずいぶんピュアな人だなあと思ってしまいます。
 たとえば、「私が撮った映像は、北朝鮮に住んでいる人のホーム・ビデオです。・・・ごく普通の家族の営みです。・・・私としては、「こんなものがあってどうしていけないんですか? 家族の話をしちゃいけないんですか?」という感じです」とあります。
 しかし、朝鮮総聯の幹部だったアボジ(父)が(息子たちを北朝鮮に)「行かせなくてもよかったかもしれん・・・」などともらしている素顔を出して許されるわけはないでしょう。
 また「私としては、政府の許可をいただいて作品をつくるなんて冗談じゃないですよ! 本来なら、アーティストが自由な作品づくりができるようサポートするのが国や行政の仕事でしょう」とも・・・。
 こんな正論が通じない国々の代表例が北朝鮮なのに・・・。しかし、ことほどさようにピュアだからこそ「ディア・ピョンヤン」という佳作が作られたともいえるでしょう。

 その他、彼女がこれまで接してきた中での日本人の<韓国籍>と<朝鮮籍>についての無知とか、本名と通名についての意識の話は興味深かったです。
 <朝鮮籍>だからといって北朝鮮支持者とかではないのに・・・。

 この本の大きな不満は聞き手の佐高信氏が全然日頃の(?)厳しさ・鋭さを欠いていること。「マスコミは、北朝鮮に暮らす市井の人々のことを、知ろうという努力をしなさすぎます」って、それがいかに大変なことかわかっているのでしょうか? また北朝鮮当局がいかに「市井の人々のことを知らせまい」とどれだけ努力してきたかを・・・。

 梁英姫さんがピョンヤンで暮らす姪を主人公にしたドキュメンタリー「ソナ、もうひとりの私」が10月に開かれた釜山映画祭で上映され、さらに2010年2月ベルリン映画祭に正式招待されたとのことです。いずれ日本で公開されることを期待したいと思います。小さい時から英姫さんの話を訪問の度に聞きたがってきたソナさんは今18歳の大学生で、英姫さんの感化を受けて英語を勉強しているようです。映画やこの本等で注目されて、ソナさんや他の英姫さんの兄たちの家族に災いが及ばないことを願います。

北朝鮮 150人に1人は政治犯収容所に・・・・

2009-10-26 23:32:25 | 北朝鮮のもろもろ
 先週、韓国政府発表による北朝鮮政治犯収容所の実態が報じられていました。
 当然ながら、韓国紙や「統一日報」(←在日による保守系日本語紙。統一教会とは関係ナシ)では詳しく伝えています。
 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>のサイトにもかなり詳しく載っていました。

 これらによると、北朝鮮には6ヵ所の収容所に総計政治犯約15万4000人が収容されているとのことです。
 これは北朝鮮住民のおよそ150人に1人が収容されている計算になります。

 6ヵ所の収容所の内訳は以下の通りです。

①14管理所=平安南道价川(1万5000人)
②15管理所=咸鏡南道耀徳(5万人)
③16管理所=咸鏡北道化城(1万5000人)
④18管理所=平安南道北倉(1万9000人)
⑤22管理所=咸鏡北道会寧(5万人)
⑥25管理所=咸鏡北道清津(5000人)

 これらの収容所は、北朝鮮では<管理所>とよばれていて、国家保衛部が管理しています。
 上記の中で、②15管理所=耀徳収容所は、一定期間を経て審査が通れば出所できる<革命化区域>ですが、その他の5ヵ所はすべて<完全統制区域>すなわち死ぬまで収容される終身収容所です。
(2014年2月11日の補足。現在ウィキペディアを見ると、「2013年、革命化区域がなくなり完全統制区域のみになったという証言あり」とある。)
※2000年まであった11管理所=平安南道天摩、21管理所=咸鏡南道端川、23管理所=咸鏡南道徳城、21管理所=慈江道東新の4ヵ所はその後閉鎖されたとのことです。

 北朝鮮の収容所の実態については、これまでハンナラ党が情報公開を要求してきましたが、金大中・盧武鉉政権は「南北関係を悪化させる」として拒否してきました。
 李明博政権になって、この16日、国会提出の報告書「北韓の政治収容所現況」として公表するに至ったというわけです。

 報告書によると、収容者は主に失脚した幹部や脱北者などで、また金日成・金正日を批判したり、政治批判の失言をした一般住民も多く含まれています。
 収容者は1日10時間以上の強制労働を課せられ、医療はまったく受けられず、食事も1日平均100~200グラムが配給されるだけ。食糧配給制を実施する北朝鮮の0~4歳の配給基準が234グラムであることを考えれば、生存そのものが危ぶまれる水準です。

 私ヌルボも、これまで何冊もの北朝鮮脱出者の手記を読みました。
 昨年刊行された申東赫(シン・ドンヒョク)「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(KKベストセラーズ)はとくに衝撃的でした。
 著者略歴は以下の通りです。
 1982年11月19日、价川(ケチョン)14号管理所で収容者夫婦の息子として生まれ、囚人生活を始める。1996年11月、母と兄が脱出を企て失敗、公開処刑される。2005年2月、中国に脱北。2006年8月、韓国入国。

     

 この本に記された収容所の実態も、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>のサイトにくわしく載っています。

 日本でも、拉致問題に対して、安倍晋三元首相のような右翼的な政治勢力の声ばかりが大きく、逆に他の場面では<人権擁護>を訴えてきたはずの革新勢力の多くは「北朝鮮との国交正常化」の方を優先しているようですが、これは韓国内と同じ図式ですね。
 上記の<北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>サイト内の記事も雑誌「正論」に掲載されたものとのことだし・・・・。

 李明博政権の場合も、このところ、進歩的メディアや労組等の反対勢力に対する露骨な弾圧を進めている一方で北朝鮮に対しては人権を語っているわけですから・・・・。

 自らの地位・権力活維持が大事の北朝鮮の権力層、「性急に統一を求めず、北朝鮮の経済水準が一定程度まで上昇するまで待つ」という韓国・李明博政権、朝鮮半島の現状を維持したい中国、朝鮮半島の政治的混乱はもちろん望まない日本・・・・。
 そんな中で、多くの北朝鮮の人たちは文字通り生存権でさえも持ちえず、今後も希望が見えない状況です。

 日本の保守勢力や、韓国の保守派の人たちとは別の観点から、つまり<国家>とか<国益>とか<安保>とかとは対極の、本来的な個々人の人権の観点から、何か新しい動きが出てきてほしい、と思うんですが・・・、と言ってるだけでは変わらないって?

※韓国の民間団体がやった、風船にビラと1ドル紙幣を結びつけて北朝鮮に飛ばすという作戦はかなり効果があったようですね。

[2014年2月11日の補足]
 以下は本ブログ中の関連記事です。
 →北朝鮮の強制収容所についてのアムネスティのアクション(上)
 →北朝鮮の強制収容所についてのアムネスティのアクション(下)
 →北朝鮮の地獄のような強制収容所から脱出したシン・ドンヒョクさんの話を聞きに行く

映画「ディア・ピョンヤン」にみる北朝鮮(その2) 国外にも知られる冷麺の店・玉流館

2009-08-31 17:01:56 | 北朝鮮のもろもろ
 映画「ディア・ピョンヤン」を観て、北朝鮮や在日関係についてわかること、わかったこと。(その1)の続きです。

①梁英姫監督がお父さんに、「お父さんのお墓は北朝鮮に? それとも(故郷の)済州島?」とたずねると、「いや日本で・・・。統国寺。」との答え。この統国寺のことをヌルボは知りませんでした。
大阪にある、在日と密接な結びつきのあるお寺なんですね。サイトを見るとな~るほど、です。
 境内に在日の信徒が祖国統一を願って1998年喜捨したという「ベルリンの壁」があるとのことです。

②父親がゴキゲンで歌っていた歌は「島の村の先生(섬마을 선생님)」(1967年)。「椿娘」とともに李美子の代表曲。この歌を愛唱している人はけっこう多いようです。 以前読んだ「母の思い出の歌(?)」とかいう本(韓国語)で、韓国各界の人が母にまつわる歌をいろいろ挙げていましたが、その中で多かったのが「皇城旧跡(황성 옛터.ファンソンイェット)とこの「島の村の先生」でした。

③一家の部屋に金日成・金正日の<御神影>が掲げられています。以前テレビで見た、中国の田舎の貧しい農家の部屋に毛沢東の写真が飾られていたのを思い出しました。まあ今の日本でもないことはないけど・・・。
 書斎には金日成全集が揃えられていました。

④お母さんは30年間せっと平壌の息子たちへ仕送りを続けています。ボールペンや消しゴムが喜ばれる、というのはちょっと意味ありかも。薬類の不足はつとに知られている、かな?

⑤平壌市内の、冷麺で韓国等にも広く知られている店が玉流館。その2階で父親の誕生会。私ヌルボがこの店に行った時も2階でした。1階は現地の人たちで一杯! 2階は観光客とか、地元の人以外用なんでしょう。
※北朝鮮観光客に対する受け入れ側の<鉄則>は、「北朝鮮の一般人との接触をさせないこと」です。
 ヌルボが1991年行った時、平壌→開城の列車での移動があったのですが、駅の近くの高麗ホテルからなのにわれわれをバスに乗せ、そのバスがそのままプラットフォームに入っていったのは驚きました。われわれが下車したのはブラットホフォーム前方で、一般市民は後方。きっちり区分されていました。

 ヌルボが冷麺を初めて食べたのがその平壌の玉流館だったのです。そんなに美味しいとも思わなかったのですが(不味くはなかった)、帰国後大阪鶴橋で食べた冷麺はとても美味しかった!
※北朝鮮旅行者のブログに、それぞれの感想や現地の写真が載っています。たとえば、<トンガリキさんの旅行ブログ>。

⑥平壌から帰る監督と、兄たちとの別れの時に交わす「がんばって!」の言葉には、第三者のヌルボにもその重みがずっしりと感じられました。
 生き抜くためには、何をおいても<がんばる>という強い意志と体力を要する<北>と、ヌルボも含めてお気楽な日本人の「がんばってネ」とのなんという落差!

★「ディア・ピョンヤン」に映し出される映像、ずっと以前なら<お宝映像>の部類だったかもしれませんが、パンフによると「税関ですべてチェック済み」とありました。北朝鮮当局には不都合と思われるシーンとかもあるんですが、チェックがいいかげんになってきてるのか、そんなに気にしていないのか、そんな重大なものとは考えていないということなのか・・・・

「ディア・ピョンヤン」にみる北朝鮮(その1) あれ?景色がゆがんで見える!

2009-08-30 09:10:20 | 北朝鮮のもろもろ
 別の記事に記したように、梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督のドキュメント映画「ディア・ピョンヤン」はいい映画です。その映画自体の評価とは別に、私ヌルボ、その画面から読み取ったピョンヤンの実情(の一端)その他をメモしました。

①映画の最初の方で映されていた平壌の街並み。と見ると、波状のゆがみが上下に動いているのに気付きました。
 私ヌルボが思い出したのは、1991年北朝鮮に行った時のこと。団体バスで元山から平壌に向かう途中の休憩所で、なんとなく外を眺めると、なんかヘン。景色がゆがんで見えるのです。
 つまり、窓ガラスが均質でないため、そう見えるんですね。
 日本ならふつうの、平らで均質なガラスを作るということが、国によっては必ずしも当り前ではないんだな、と思ったものです。湯呑み茶碗をテーブルに置いても、底が真っ平らになっていないので、少しぐらぐらするし・・・。またこれは北朝鮮だけでなく韓国や中国でも思ったのですが、扇子の要があまりしっかりしていない等々。
 技術レベルの問題だけでなく、国民性といったものとも関わりがあるのかもしれませんが・・・。

②新潟港を出た万景峰号が着くのは元山(ウォンサン)港。「20年間変わっていない」とナレーション。
 ・・・ということは、私ヌルボが行った1991年も同じだったということ。たしかに、迎える側の人々の姿、ブラスバンドの曲(ミーミ/ミッミミレド/レッミレドミ/レッソソッソ/ラーラ/ソッソミレド/レッミレドラ/ドッドド  (/と/の間は2拍)、映画に映っていたそのままです。
 着岸前、甲板から元山の街を見て、私はその人通りの少ない、何かどろーんと停滞しているような雰囲気に、まったく違った世界、まったく違った時代に来てしまったような感覚にとらわれました。
 1959年以降、帰国船でこの元山や清津に下り立った人たちのかなり多くが、その時点で自らが選択を間違ったと悟ったということです。ヌルボの場合は「私は旅行者だから日本に帰れるのだ」ということを頭の中で確認して少しほっとしたのですが、彼らの気持ちを推し量ると、心が痛みます。

③元山の丘の中腹等に、大きくスローガンの板が掲げられているのもヌルボが見たまま。
 その文字は「速度戦」「電撃戦」「殲滅戦」のハングル表記。元山だけでなく、いろんな所に同様のものがありました。(そのように鼓舞しないと働く気にならない?)

④平壌の街で、路上で練炭を干している光景が映されていました。家々の中は暗く、電力不足は慢性的なんでしょうね。
 山に緑が乏しく、ヌルボは最初緯度とか気候の関係かなと思いましたが、燃料用に木を切ってしまった結果だとある本で読みました。
 5年前に、中国東北地方の、北朝鮮との国境近くに行ったのですが、そちら方面の山は木々がふつうに生い茂っていました。

⑤映画を見ていてこれも同じだったなあと思ったのは、土埃で霞んだ平壌の空気。 ヌルボが行ったのは夏で乾燥していたためか・・・。バスの車窓から見ると、工事現場がかなりの土埃の発生源のようでした。(季節にもよるが中国からの黄砂の関係があるかも。) 重機類は全然と言っていいほど見られず、大きな立方体のコンクリート塊をほとんど人力で積み重ねているような建築現場でした。

⑥高級アパートに見えても、実際はいろいろ問題が・・・。
 パンフレットによると、「映画で見ると兄貴たちはいい部屋に暮らしているように見えますが、実際は床に空いた穴をカーペットで隠しています。兄たちの家族の一ヵ月の生活費は日本円で約3万円なんですが、これは兄貴たちが内職して生活を切り詰めて1日3回ご飯を食べられるレベルです。北朝鮮では上の中くらいの水準でしょうか」とあります。
 ※ヌルボが払った約30万円がいかに<大金>であったことか・・・
 高層アパートも、エレベーターが稼働していなくて階段を上り下りしなければならなかったり、④で書いたように日常的に停電の時間帯が設定されるようなこともあったりして、日本のモノサシで考えると不便なことがたくさんあるようです。それでも北朝鮮では平壌に住んでいること自体が恵まれている証しですが・・・。

⑦芸術やスポーツ等の隠れた名手はいるかも・・・。
 兄の息子、つまり梁監督の甥は、1995年の訪問時点で平壌音楽舞踊大学付属小学校。2001年の訪問時にはリストとか弾いていました。上手いです。(パンフには「学校でトップ3に入る名手」とありました。) ショパンの「革命」も。<この曲>が<ここ>で<このような少年>によって弾かれるというのは、相当にスケールの大きな、一種の皮肉である、と思いました。これらの楽譜は、日本から送られた物です。
 このような学校に通えて、自宅にもピアノがあって、というのはやはり<上流階級>なんでしょう。
※平壌音楽舞踊大学は日本でいえば東京芸術大学、といったところ。

ウメギの思い出

2009-08-23 22:13:27 | 北朝鮮のもろもろ
 ウメギ(우메기)もふつうの辞書には載っていない言葉です。

 私ヌルボの初めての外国旅行の行く先はどこだったかというと・・・
 ヒントは、「新潟から船に乗って行きました」。
 すると、「韓国」「中国」「ロシア」等々、けっこういろんな答えが返ってきます。「フィリピン」とかもありました。「ロシア」は、実際に新潟から船が出ているので、当たらずといえども遠からず。最近、束草(ソクチョ)~新潟~トロイツァ(中国・吉林省の琿春(フンチュン)に近いロシアの町)という航路が開かれたとのことです。
※「国際定期航路INTERNATIONAL LINES」のサイトはおすすめ。

 ・・・・で、正解は北朝鮮なんですね。このサイトの訪問者の皆さんは正答の方が多いのではと思います。

 パスポートの北朝鮮例外条項がなくなった1991年だから、もう18年経ちました。金日成の時代に終止符(마침표.マッチムピョ)が打たれる前に見ておきたいと思い、ぬわんと、8日間で約30万円(!)という代金を支払って(涙)行ってきたというわけです。

 もうずいぶん前のことになりましたが、今でもいろんなことが印象に残っています。今後、小分けにして紹介していこうと思います。

 まず食べ物の話。先日、ある在日の人に「1991年に<共和国>に行ったんですよ」と言ったら、「経済的に厳しい時に行かれたんですねえ」とのこと。※北朝鮮及び「北」系の人は北朝鮮のことを<共和国>と言います。私ヌルボは迎合的に相手により使い分けてる。
 飢餓の状況が深刻化したのはもっと後だったのでは?とも思いますが、たしかに食料事情の厳しさは(アチラの基準では)大名旅行のわれわれの料理からもうかがわれました。

  ***  カレーライスの味も忘れがたいが・・・・  ***
 
 高麗時代の古都開城(ケソン)に行った時出されたカレーライスは忘れられません。「日本の方はカレーライスがお好きだと聞いたので作りました」というその味は、なんというか、キョーレツで・・・。特にご飯は色からしてネズミ色。カビ臭いというか・・・。一匙でやめるのも失礼と思い、二匙目まではなんとか食べたのですが、それが限度でした。
 ただ救いは食後の菓子。(当時は知らなかった)伝統菓子の薬菓(ヤックァ)の一種なんでしょう。けっこう美味しくて、「イゴッ、ムオラゴハムニッカ?(これ、何といいますか?)」とたどたどしく聞いたら、食堂のアガシがニッコリ微笑みながら「<ウメギ>ラゴハムニダ」と教えてくれました。
 平壌に戻って、ディナーの時に隣の人(政府関係者?)にウメギの話をしたら彼はウメギを知らず、ウェイターを呼んで「ウメギを知ってるか?」と尋ねたところ、「魚じゃないか、と言ってる」などとトンチンカンなやりとりが続きました。
     

 冒頭で「ふつうの辞書には載っていない言葉」と書きましたが、韓国語でネット検索すると、韓国の料理サイト中などにはちゃんと紹介されていました。
 そればかりか、日本語の「ウメギ」でもヒットするではないですか!
 NHK-BSで2008年放送した「アジア・クロスロード」という番組では、その作り方も紹介してるんですねえ。(韓国のサイトでは焼酎を用いているが、コチラはマッコリです。)
 あの当時、平壌の人も知らなかったウメギを、今NHKで、ねえ・・・・