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「七十七銀行女川支店」との比較(その3)

2016-11-08 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 8日(火)11時53分30秒

続きです。

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キ G支店長は,L行員らに対して,「海の様子を見ていること」及び「ラジオを聴いていること」の2点を指示し,L行員は,屋上の手すりから海を見張っていた(乙28参照)。
また,P行員が被告女川支店に備付けのラジオを持っていたので,L行員は,その周波数を1260kHz(東北放送)に合わせ,ラジオを聞いた。その際,ラジオからは,「鮎川に3時10分に到達」,「予想される津波の高さは6m」との放送がされていた。
ク 午後3時7分頃,G支店長の指示により,Q支店長代理が,当時仙台市にいた次長(休暇中)に対し,「屋上に避難しています。」とのメールを送信した。
G支店長は,緊急連絡用の衛星電話を利用して被告本部と連絡を試みるなどし,被告女川支店の各行員らは,安否の報告や確認のために家族等に対してメールや電話をしたり,ワンセグ放送を利用してニュースを見るなどして地震に関する情報収集を行っていた。
L行員は,G支店長から,実家のある釜石市に津波が到達して平屋建ての家屋が押し流されている映像を携帯電話のワンセグ放送により見せられて怖くなり,亡Hとの間で,時間があるから病院の方へ逃げる余裕はあると話したが,被告女川支店の1階部分が浸水する程度であって,屋上まで津波が超えてくるとは予想していなかったことから,そのまま本件屋上にいた(甲4,5,L証言10頁以下)。
ケ 午後3時12分頃には,R行員が妻に対し,被告女川支店内から電話をかけて,「今から屋上へ避難する。」と告げたところ,R行員の妻から,「山に逃げて。」と言われたが,「自分は大丈夫だから,君こそ早く逃げて。」と答えた。
コ 午後3時15分頃,屋上避難後も防寒コートを取りに行くため交代で1階や2階に戻った行員らも再び全員が屋上に集まっていた。
サ 午後3時19分頃,亡Iは,その妹に対し,「地震大変でしたね。無事です。」とのメールを送信した(甲38,弁論の全趣旨)。
シ 午後3時21分頃,亡Jは,夫である原告Dに対し,「大丈夫?帰りたい。」とのメールを送信した(甲39)。
午後3時25分頃,亡Jは,原告Dに対し,「津波凄い」とのメールを送信したが,同原告には届かなかった(甲40)。
ス 最初はヒタヒタという程度であった津波が5分ほどで水嵩が増して本件屋上の半分くらいまでの高さになったことから,本件屋上に残っていた行員ら13名は,順次2階屋上にある塔屋(3階)に上った。最後にG支店長が塔屋に上り終えたときには,水嵩が2階屋上にまで達していた。
セ その後まもなく,本件屋上の塔屋にまで水嵩が達し,被告女川支店に残っていた行員ら13名全員が海抜20m程度の大津波に流された。
L行員は助かったものの,残りの被災行員ら12名(本件被災行員ら3名を含む。)は,死亡又は行方不明のままとなった。
------

本当に僅か数分の間で水嵩が急激に増した訳ですね。
なお、「屋上にある塔屋(3階)」に関しては、「二 本件において裁判所が認定した事実経過」の「(2) 被告による被告女川支店の設置等」に、

------
 被告女川支店のある本件建物は,昭和48年12月3日新築の鉄筋コンクリート造陸屋根3階建て(1階及び2階各431.15㎡,3階33.17㎡)であり(乙38),2階屋上床面までの高さが約10m,2階屋上外壁までの高さが10.95m,2階屋上の一部にある3階電気室屋上(広さ33.17㎡。2階から上る梯子が固定されている〔乙18の5〕)までの高さが13.35m,同屋上外壁最上部までの高さが13.95mであった(乙18の1~6)。
-------

とあります。
(「裁判所」サイトのPDFではp24。)

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/990/083990_hanrei.pdf
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「七十七銀行女川支店」との比較(その2)

2016-11-08 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 8日(火)11時52分40秒

他の津波被災地と比較した場合、女川の特殊性は複数のRC(鉄筋コンクリート)造のビルが基礎から根こそぎ倒壊していた点で、これは陸前高田市・南三陸町など、女川同様の高い津波に襲われた地域でも見られない現象でした。
「女川交番」など、地中に打ち込んだ基礎部分の杭がむき出しになっていて、異様な光景でしたね。
検索してみたところ、『地震・防災 あなたとあなたの家族を守るために』サイト内の「女川港、女川町中心部」に倒壊ビルの写真が分かりやすく纏められています。
最初の写真の説明に「高台の女川町立病院駐車場より女川漁港、女川湾を望む」とありますが、この高台が「堀切山」です。

「女川港、女川町中心部」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/higasinihonn_daisinnsai/miyagi_onagawa_syasin.htm

津波によるRC造ビル倒壊は土木・建築関係者の間でも衝撃的だったようで、この現象の工学的説明は、例えば日経新聞の次の記事などが参考になります。

「大津波で鉄筋コンクリート造の建物が横転した理由」(日経新聞2012年1月18日)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1801T_Y2A110C1000000/

七十七銀行女川支店のビルは昭和48年(1973)建築だそうで、被災時には築38年の些か古めのビルでしたが、建物自体は非常に頑丈で津波に耐えて残りました。
さて、支店長が何故「堀切山」ではなく女川支店屋上を避難場所に選択したのかですが、裁判所が認定した当時の状況は次のようなものでした。
少し長めですが、正確を期すためにそのまま引用します。
(「裁判所」サイトのPDFではp32以下。)

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/990/083990_hanrei.pdf

-------
(7) 本件地震発生後の被告女川支店の状況(甲4,5,9,L証言,K証言)
ア 本件地震発生当時,被告女川支店のG支店長は,取引先のOを訪問中であったが,自動車で同支店に戻る途中の海沿いで引き潮になっていることや,大津波警報が発令されていることを知り,午後2時55分頃,同支店に戻った。
イ 本件地震発生時に被告女川支店にいた顧客は,G支店長が戻った頃には,いずれも自ら店外に出ていた。
ウ G支店長は,被告女川支店に自動車で戻った直後,大津波警報が出ていることを告げながら,行員らに対し,片付けは最小限にして避難するようにとの指示を強い口調でした。
エ また,G支店長は,亡H及びL行員に対し,被告女川支店入口(行員通用口を除く顧客用入口)の鍵を閉めること及び屋上の鍵を開けることを指示した。
 亡H及びL行員が,G支店長の指示に従い,被告女川支店入口(行員通用口を除く顧客用入口)の鍵を閉め,屋上の鍵を開けようとしたが,なかなか開かなかったことから,亡H,L行員及びG支店長の3人で屋上の扉を押して開けた。
 L行員らが屋上に出ると,屋内では聞こえなかったサイレンの音や「大津波警報が出ているので,高台に避難してください。」旨の防災行政無線の放送内容が聞こえた。
オ その後,G支店長が他の行員らを呼びに一旦2階へと戻ると,K(女性派遣スタッフ)が,G支店長に対し,「自宅にいる子どもが心配なので自宅に帰りたい。」旨申し出た。これに対し,G支店長は,「行きたいというなら止められないけど,潮が引いているので気を付けて行くように。」とKが自宅に戻ることを了解し,Kは被告女川支店を出て約320m離れた自動車駐車場に駐車してあった自家用自動車に乗って自宅へと戻った(甲5,甲45の1及び2,甲46)。
カ G支店長は,被告災害対策本部に対し,内線電話によって,大津波警報が出ているので,屋上へ避難する旨を報告した。
 そして,午後3時5分頃,K及び休暇中の次長を除く行員ら13名が,本件屋上に避難した。
-------

ここでいったん切ります。
「L行員」が唯一奇跡的に生存した人で、判決文ではもちろん本名ですが、「裁判所」サイトではプライバシーを考慮して関係者は全て仮名となっており、『判例時報』でも同様です。
また、『判例時報』では煩雑を避けるため「(甲5,甲45の1及び2,甲46)」といった証拠表示を省略しているのですが、「裁判所」サイトでは全部出ていて有難いですね。
午後2時46分の地震発生時、支店長は得意先回りのために外出していましたが、10分足らずで支店に戻り、その間に引き潮を自分の目でみています。
また、「七十七スタッフサービス株式会社」からの女性派遣スタッフ1人(K)が帰宅を希望したのに対し、支店長はそれを了解していますが、この点は地震発生後の労働関係の性質、安全配慮義務の内容を考える上でひとつのポイントになるのではないかと思います。
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「七十七銀行女川支店」との比較(その1)

2016-11-06 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 6日(日)21時13分0秒

社会科学関係の調べものをするときにはいつも利用させてもらっている大学図書館が暫く利用できないため、仙台高裁の判決文を未だに入手できていないのですが、大川小学校との比較には仙台地裁判決で充分なので、とりあえず進めたいと思います。
このケースも広くマスコミ報道がなされましたが、法律的観点を加味した整理はやはり『判例時報』編集者によるものが正確かつ簡明なので、まずこれを紹介します。(2217号、74p以下)

------
▽東日本大震災の津波により銀行支店の屋上に避難していた行員等が死亡する等した場合について、銀行の安全配慮義務違反が認められなかった事例
〔損害賠償事件、仙台地裁平二四(ワ)一一一八号、平26・2・25民一部判決、棄却(控訴)〕

 本件は、銀行の支店従業員が東日本大震災の津波の際に支店屋上に避難し、被災した事故について、銀行の安全配慮義務違反による債務不履行、不法行為の成否が問題になった事案である。
 平成二三年三月一一日、東北地方太平洋沖地震(被災は東日本大震災)による津波が東北地方の太平洋沿岸を襲い、宮城県牡鹿郡女川町にも及んだ。地方銀行であるY株式会社は、女川町に女川支店を設置し、Y女川支店には本件地震当時、G支店長ほかの行員ら、人材派遣業を営む甲株式会社から派遣されたスタッフら合計一四名が勤務していた。本件地震は女川町の最大震度が六弱であったが、本件地震後、一名の派遣スタッフが自宅に帰宅したほか、津波の警報を受け、Gの指示により、予め津波対策として避難場所に指定されていたY女川支店(高さは二階屋上まで約一〇m、三階の塔屋まで約一三・三五m)の屋上に避難した。本件地震による津波がY女川支店も襲い、前記一三名が流され、一二名の行員らが死亡し、あるいは行方不明になった。死亡したH、Iの各相続人ら、行方不明のJの相続人らが安全配慮義務違反等を主張し、Yに対して債務不履行、不法行為に基づき損害賠償を請求した。
------

いったんここで切ります。
大川小学校・常磐山元自動車学校のケースは周辺住民に津波の歴史的記憶がなく、また公的機関のガイドラインでも津波による浸水が全く予想されていない場所での被災でしたが、七十七銀行女川支店は海岸から僅か100mの地点に位置し、近い過去に周辺の津波浸水もあって、津波自体は誰もが予想している場所での被災でした。
そして、約20mの高さの津波に襲われて13人が流されながら、内1人が奇跡的に生存し、裁判でも貴重な証人となって大地震発生後の女川支店内の状況が極めて詳細に再現されることになったのですが、大川小学校の場合は教員1人がやはり奇跡的に生存したにも拘らず、この人は被災直後の石巻市教育委員会の聞き取り調査には若干の協力をしたものの、後に石巻市が設けた「大川小学校事故検証委員会」では病気を理由に調査に応じず、更に仙台地方裁判所においても証人とならず、結局、地震発生後に「三角地帯」へ移動を開始するまでの経緯が極めて不明瞭のまま審理が終わってしまいました。
さて、引用を続けます。

------
 本件では、安全配慮義務違反として具体的に主張された安全教育や避難訓練等が不十分であり、Yの作成に係る災害等緊急時対応プランに支店屋上を避難場所に追加したこと、Gが支店屋上に避難する誤った指示、判断をしたこと、屋上に避難した後、より高所である近くの山に避難場所を変更しなかったことについて安全配慮義務違反が認められるかが主として争点となった。
 本判決は、宮城県における津波対策ガイドライン、女川町における過去の津波の高さ、内閣府の津波避難ビルガイドライン、女川町地域防災計画、女川町の指定避難場所等、Yにおける防災対応プラン、災害訓練等の実施、行内広報誌での防災啓発、本件地震発生後の経過、気象庁の大津波警報等の発表、地元での災害情報の伝達、本件地震発生後におけるY女川支店の状況等の事実関係を認定し、Yが行員、派遣スタッフの生命及び健康等が地震や津波といった自然災害の危険からも保護されるよう配慮すべき義務を負っていたとした上、原告らの主張に係る個別具体的な安全配慮義務違反につき検討し、Gの避難指示が不適切であったとはいえない等とし、立地の特殊性に合せた店舗の設計義務違反、安全教育を施した管理責任者とする配置義務違反、避難訓練実施義務違反、支店屋上を避難場所に追加した誤り、情報収集義務違反、町指定の避難場所である山に避難すべき義務違反、屋上避難の黙認に関する各主張を排斥し、結局、請求を棄却した。
------

途中ですが、ここで切ります。
「より高所である近くの山」は地元では「堀切山」と呼ばれていて、女川支店との位置関係については「七十七銀行女川支店被災者家族会有志」サイトの写真が参考になります。

https://www.facebook.com/77onagawa/

女川支店屋上と堀切山の二つの避難先があった点は大川小学校のケースと似ていますね。
そして女川支店のケースでの最大の謎は、何故、支店長は徒歩約3分で行ける絶対安全な堀切山ではなく支店屋上を避難先として選択したのかですが、これはテレビ・ラジオによって提供された津波情報の内容を時系列に従って詳細に整理して行くことで明らかにされています。
結論として裁判所は支店長の判断が合理的であり過失はないと判断したのですが、その詳細は次の投稿で紹介します。
なお、判決全文は「裁判所」サイトでも閲覧可能ですが、ネットだと若干読みづらいですね。

http://www.courts.go.jp/
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/990/083990_hanrei.pdf
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「法律家共同体」と「歴史研究者共同体」

2016-11-06 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 6日(日)19時23分44秒

浅羽祐樹・横大道聡・清水真人氏の鼎談<憲法論議を「法律家共同体」から取り戻せ――武器としての『「憲法改正」の比較政治学』>は、樋口陽一氏を総大将とする「立憲主義」一揆をシニカルに眺めていた私にとっては肯ける点が多いのですが、内閣法制局長官人事を巡る浅羽氏と清水氏の指摘には特に賛同できて、百回くらい肯きたくなります。

-----
浅羽 日本でも安倍政権の下で内閣法制局の長官人事が問題になったわけですが、率直に言って、これまでも別に手を突っ込もうと思えばいくらでもできたのにそれをしなかっただけで、今さら何を驚いているんだ、という話です。そもそも(事実上)内閣(総理大臣個人)は最高裁判事を任意に任命できるわけで、すでに9名が自民党の政権復帰以降の任命で、総理総裁の任期延長が実現するとそのうち15名全員が安倍内閣による任命ということになります。それが国会承認マターですらないわけで、気にするんだったらそっちだろうと。
【中略】
清水 幸か不幸かとおっしゃいましたがまさにその通りで、こうした「司法政治」という視点は最近になって私も初めて知ったという状況です。政治ジャーナリズムではほとんどなじみがないでしょう。つまり、司法というのは政治からは非常に遠いものだ、という思い込みで今までずっと来ていると思うんです。
実は、そこは安倍首相自身もそうじゃないかなと思っています。というのは、安倍首相は2013年に法制局長官を代えたんですけれども、あの時、その前任者(山本庸幸元長官)を最高裁判事に任命しました。あれは左遷なのか栄転なのか何だかよくわからない話だったわけですけれども、あの瞬間は法制局長官を代えることのほうが大事だったわけですよね。我々もそこばかり注目しました。でも前任者は最高裁判事になっているんだから、実は気が付いてみたら、安倍さんにとって厄介な憲法解釈などを展開するかもしれない、なのにそこは手綱を放してしまったという、非常に面白い現象だったと思うんです。

http://synodos.jp/politics/18397/4

「7月クーデター」の石川健治氏は山本庸幸氏の最高裁判事就任も「左遷」と呼んでいましたが、大げさな表現はその時点で政治的運動を盛り上げるのには役だっても、平穏な時間が経過するとともに本人にとっても些か気恥ずかしいものになりそうですね。
九州大学教授・南野森氏あたりも、浅羽・清水氏の発言と比較しつつ自分の過去の表現を振り返った場合、果たしてどんな気持ちになるのか。

阪田雅裕著『「法の番人」内閣法制局の矜持』(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5cb89e925c8d6173477ca63285cbd6e5

>筆綾丸さん
>櫻井よしこ氏
個人的な趣味としては櫻井氏の話し方はけっこう好きだったのですが、ちょっと硬直化しすぎてしまいましたね。

>「外交」
まあ、戦国大名の「外交」には文化の香りが乏しいですから、「外交」と言いたがる人も少し気恥ずかしい気持ちがあるのでしょうね。
仮に村井章介氏がラウンド君あたりの強い影響を受けてコッカ・コッカと言い始めたとしても、ラウンド君の表現と類似の表現を用いる場合には必ずラウンド君の論文・著書を引用しなければならないというような、「歴史研究者共同体」において何らかの独占権を主張できるような理論的業績がラウンド君にあるのかどうかが最初に問題になりそうですね。
私はラウンド君の著書としては『戦国大名武田氏の権力構造』(思文閣出版、2011)とラウンド君が押し売りに来た『戦国大名の「外交」』(講談社メチエ、2013)しか読んでいませんが、少なくとも両書にはそのような理論的業績はないし、そもそもラウンド君は理論家タイプではないですからねー。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

メディア世界の革命と「 」の意味 2016/11/05(土) 22:11:54
小太郎さん
いえいえ。
同書の「はじめに」に、バルトロメウ・ヴェーリョ作「世界図」(1561年)の一部として日本の図が載っていて、こんな記述があります(なお、BANDOV=坂東)。
--------------
 BANDOV以下六つの地域は、明瞭な境界線でくぎられ、その支配者をポルトガル人は「国王(rei)」とよんだ。この王国はみずからの意思で領土・人民の支配を実現しており、「地域国家」という概念がふさわしい。そのいっぽうでポルトガル人は、IAPAMというまとまりが存在することも知っていた。分裂が極に達した時点での「地域国家」とIAPAMの併存。そこに天下統一へと流れが転じる秘密が隠されているのではないか。(?頁~)
--------------
一般向けの薄い新書に多くを求めるのは野暮なことですが、村井氏は当時のポルトガル人が作成した世界図を絵解きして「地域国家」という概念をかなり強引に導き出します。そして、前回引用した「中近世ドイツの「領邦国家」」が何の説明もなく突然出て来るので(後で説明されることもなく)、ポルトガル人のいう「国王(rei)」とドイツの「領邦国家」にどんな関係があるのか、さっぱりわからず、独りよがりの推論としか思えませんでした。また、当時のポルトガル人がそう呼んでいるのだから国家なのだ、という理屈は丸島説と同工異曲で、私には不毛だと思われました。

また、武田氏の虎印判状を引用して、以下のような記述があります。
---------------
 以上の諸点に、同一の日付で多数の画一的な文書が発給されたり、大名家の代替わりがあっても同一の印章が印判状に継続使用されたり、という現象も加えて考えると、戦国大名の領国支配は当主個人を離れて非人格化し、超越的な国家権力へと上昇をとげつつあったといえよう。(16頁)
---------------
言葉尻を捉えるようですが、「超越的な国家権力」とは意味が曖昧で、不用意な表現としか思えません。まるでドイツ観念論のようです。

石川健治氏がフジテレビに出演するのは、櫻井よしこ氏がテレビ朝日に出演するのと同じくらい、メディアの世界では「革命的」なことなのでしょうね。

追記
室町幕府と明の関係は外交(2頁)、大内氏と朝鮮の関係は外交(13頁)、細川氏と明との関係は外交(13頁)大内氏と明との関係は外交(13頁)、室町幕府と琉球の関係は外交(30頁)、島津氏と琉球の関係は外交(40頁)で、地域国家間の関係は「外交」となっていますが、この留保のような躊躇のような括弧は何を意味しているのか、何の説明もありません。外交と「外交」の相違は如何、大内氏と細川氏の関係は外交か「外交」か・・・。
「 」は謂わば精妙な「史的感覚」とも称すべきものなんだよ、わからんかね、君。

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村井章介氏の「地域国家」論のことなど。

2016-11-04 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 4日(金)20時09分35秒

明日は最高裁で原告敗訴が確定した「七十七銀行女川支店」のケースを紹介したいと思いますが、控訴審の仙台高裁の判決文をまだ入手していないので、少し遅れるかもしれません。

朝日新聞2016年2月19日
「津波被害、遺族側の敗訴確定 七十七銀行女川支店など」
http://www.asahi.com/articles/ASJ2M00RWJ2LUTIL05T.html

>筆綾丸さん
>華麗な文体とは裏腹に、普通の地味な人なんですね。

憲法学界もここ数年の「立憲主義」の空騒ぎを経て、世代交代が急速に進みそうですね。
『シノドス』の浅羽祐樹(新潟県立大学教授、政治学)・横大道聡(慶應義塾大学准教授、憲法学)・清水真人(日本経済新聞編集委員)氏による鼎談を読むと、そんな気配を如実に感じます。
憲法考古学者の石川健治氏は既に過去の人かもしれません。

-------
憲法論議を「法律家共同体」から取り戻せ――武器としての『「憲法改正」の比較政治学』
http://synodos.jp/politics/18397

石川健治教授の「憲法考古学」もしくは「憲法郷土史」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cf4f5a44c409b736631232d49b35e0f1

>参考文献に丸島和洋氏の著作はないものの、殆ど定説になったような塩梅ですね。

村井氏の『分裂から天下統一へ』は未読ですが、村井氏が国家論のような基礎理論の分野で丸島氏の影響を受けて自説を変更するようなことはありえないですよ。
もしそうなら村井氏は必ず参考文献に丸島氏の著作を挙げるはずです。
私が「門前の小僧」(by ラウンド君)なりに垣間見た範囲でも、歴史研究者の世界ではその種のルールは非常に厳しく、みんな敏感です。
村井氏の「中近世ドイツの「領邦国家」になぞらえて「地域国家」と呼ぶことができよう」との表現は、村井氏がドイツの歴史研究者の影響を直接受けて理論構成したことを示しているはずですね。

丸島和洋氏のご意見
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a13b5bb5ba75b6b580fb6381da91abfb
ラウンド君の教訓
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8304076f3ff25df843015e68cedd5389

※追記(2016.11.5)

>筆綾丸さん
読まずに決めつけるのもまずかったですね。
後で『分裂から天下統一へ』を確認してみます。
ただ、今はどうも中世史には集中できそうもないので、少し後になります。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

プライムニュース 2016/11/04(金) 16:51:57
小太郎さん
http://www.bsfuji.tv/primenews/schedule/
関連のない話で恐縮ながら、昨日のプライムニュースに石川健治氏が出演していたのですが、華麗な文体とは裏腹に、普通の地味な人なんですね。

https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-431582-7
以下の記述を読むと(村井章介氏『分裂から天下統一へ』26頁~)、参考文献に丸島和洋氏の著作はないものの、殆ど定説になったような塩梅ですね。
----------------
 この国家は、将軍や天皇のもとにゆるやかに統合されながらも、領内統治においては上位者の掣肘をなんら受けない自立性をもち、大名当主は、ポルトガル人が諸大名をそうよんだように、「国王(rei)」の呼称がふさわしい存在だった。国内史料でも、永禄十二年(一五六九)武田信玄によって駿河を追われた今川氏真をかくまった北条氏政は、「駿国の儀、氏真、縁者の筋目を以て、名跡国王に相渡され候」といっている(「垪和氏古文書」)。この「国王」は氏政の嫡子でこのとき氏真の猶子となった氏直をさす。
 この国家及び国王が、自己完結的な発給文書体系と国法・法度をもち、独自の土地文書=検地によって年貢収納と知行制度を実現し、有事には領内の全住民を動員しうる名分(「大途」の語で表現される)と体制を備えていたことは、すでに述べた。これを、中近世ドイツの「領邦国家」になぞらえて「地域国家」と呼ぶことができよう。
 以上のようにとらえたとき、大名間の通信や交渉や戦争は地域国家間の「外交」として把握しうる。
----------------

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E9%82%A6
戦国大名の「国家」がドイツ語訳されれば、「Territorialstaat」になるのでしょうね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%AA%E5%92%8C%E6%B0%8F
文中の「垪和」には「はなわ」のふりがながあるのですが、私はずっと「はが」と読むものと思っていました。
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「日和幼稚園」との比較

2016-11-04 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 4日(金)10時56分9秒

東日本大震災の津波避難に関して訴訟になった事例の中で一番最初に判決が出たのは「日和幼稚園」事件(仙台地判平成25・9・17)で、原告勝訴の点でも最初でしたが、これは過失が極めて明瞭なケースでした。
マスコミでも広く報道されましたが、「記憶の部屋・東日本大震災」サイトで各種新聞記事を見ると、若干感情移入が強すぎて法的な問題点が分かりにくいものが多いですね。

「日和幼稚園送迎バスの悲劇・石巻市門脇町」
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_hiyori.html

そこで、一審判決の全文を掲載している『判例時報』2204号から、編集者が判決の要旨を簡潔にまとめた部分の前半を借用して、同事件の概要を紹介してみます。(p57以下)

------
▽東日本大震災の津波に幼稚園児が園の送迎バスとともに巻き込まれ死亡した事故につき、園長に津波に対する情報収集の懈怠があったとして、同園の運営法人及び園長に対する遺族からの損害賠償請求が認容された事例
〔損害賠償請求事件、仙台地裁平二三(ワ)一二七四号、平25・9・17民一部判決、一部認容、一部棄却(控訴)〕

 本件は、東日本大震災の際に、Y1学院が設置するA幼稚園の園長Y2が園児らを同園の送迎用バスに乗車させ、同バスが高台の園舎より低い海側の地帯を進行中に発生した津波に流され横転し、津波に巻き込まれて園児五名が死亡した事故につき、被災園児のうち四名の両親X1~X8が、園長Y2らが、津波に対する情報収集を懈怠して、送迎バスを出発させ、避難にかかる指示・判断を誤ったことにより発生したものであると主張して、Y1学院に対しては安全配慮義務違反の債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、また、Y2に対しては不法行為による損害賠償請求権に基づき、それぞれの損害金及び遅延損害金の連帯支払を求めた事案である。
 これに対して裁判所はXらの請求のいずれについてもその一部を認容したものである。その理由によると、A幼稚園は、市の標高二三メートルの高台にあり、園児送迎用の大型バスと小型バスが朝夕二回、園児の送迎を行なっていたこと、平成二三年三月一一日午後二時四六分頃、宮城県沖を震源とするマグニチュード9・0の地震が発生し(本件東日本大震災)、当日はA幼稚園では約一〇〇名の園児が登園したが、本件地震発生時刻には、園には五五名が残っていたこと、本件地震が発生した時、Y2は園児を机の下に入らせる等園児の安全確保に務め、揺れが収まると園児らを本件幼稚園の南側の園庭に避難させたこと、その後、Y2は、保護者の迎えのある園児は保護者に引き渡し、午後三時に教諭らに園児らをバスで帰宅させることを命じたこと、この指示に基づき教諭らは、海側コースを運行する小型バスに本件被災園児五名(本来は山側コースをとるバスに乗車すべき者)を含めて一二名を載せ高台の園を出発させ、途中B小学校の校庭ほかで、迎えにきた保護者に園児七名を引き渡したこと、その段階ではじめて大津波警報が出ていることを知ったY2は、職員を介してバス運転手に「バスを戻せ」と伝え、運転手は、これに従って園に引き返す途中で渋滞に巻き込まれ、この海岸から約七〇〇メートルの地点で小型バスは津波に巻き込まれ、車に残っていた被災園児五名が死亡するに至ったこと【後略】
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ということで、この事件は石巻市中心部で僅かに津波被害を免れた高台にあった幼稚園の園長が、津波の可能性を繰り返し放送するラジオを聞かず、サイレン音の後に大津波警報の発令と津波避難を呼びかける防災行政無線の放送内容にも注意を払わず、標高23mの高台からわざわざ沿岸部に送迎バスを出発させたという事例です。
判決本文を引用すると、

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 眼下に海が間近に見える高台に位置する本件幼稚園に勤める被告園長としては、午後三時二分過ぎ頃に本件小さいバスを高台から出発させるに当たり、たとえ本件地震発生時までにはいわゆる千年に一度の巨大地震の発生を予想し得なかったとしても、約三分間にわたって続いた最大震度6弱の巨大地震を実際に体感したのであるから、本件小さいバスを海沿いの低地帯に向けて発車させて走行させれば、その途中で津波により被災する危険性があることを考慮し、ラジオ放送(ラジカセと予備の乾電池は職員室にあった。)によりどこが震源地であって、津波警報が発令されているかどうかなどの情報を積極的に収集し、サイレン音の後に繰り返される防災行政無線の放送内容にもよく耳を傾けてその内容を正確に把握すべき注意義務があったというべきである。
 そうであるのに、被告園長は、巨大地震の発生を体感した後にも津波の発生を心配せず、ラジオや防災行政無線により津波警報等の情報を積極的に収集しようともせず、保護者らに対する日頃の送迎ルートの説明に反して、本来は海側ルートに行くはずのない本件小さいバスの三便目の陸側ルートを送迎される本件被災園児ら五名を二便目の海側ルートを送迎する同バスに乗車させ、海岸堤防から約二〇〇ないし六〇〇mの範囲内付近に広がる標高〇ないし三mの低地帯である門脇町・南浜町地区に向けて同バスを高台から発車させるよう指示したというのであるから、被告園長には情報収集義務の懈怠があったというべきである。
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ということで(p83)、まあ、当然の判決ですね。
担当したのは裁判長裁判官・斎木教朗、裁判官・荒谷謙介、同・遠藤安希歩の三氏で、荒谷謙介・遠藤安希歩氏は常磐山元自動車学校事件(裁判長裁判官、高宮健二氏)も担当されていますね。
なお、一部棄却というのは請求金額に若干の減額があっただけの話で、内容的には原告の完全勝利です。
控訴されましたが、仙台高裁での訴訟上の和解においては、異例なことに「当裁判所は、私立日和幼稚園側が被災園児らの死亡について、地裁判決で認められた内容の法的責任を負うことは免れ難いと考える」という法的判断が示されています。

『リスク対策.com』サイト内
「日和幼稚園事件控訴審和解について」(中野明安弁護士)
http://www.risktaisaku.com/articles/-/993

大川小学校・常磐山元自動車学校事件判決に批判的な立場の人でも、さすがにこの判決を批判する人はいないようですね。
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「常盤山元自動車学校」との比較

2016-11-02 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 2日(水)11時33分3秒

私は原告勝訴を予想していましたが、これは大川小学校周辺の地形をそれなりに詳しく調べていたことと、今回の裁判長(高宮健二氏)が「常磐山元自動車学校」事件(仙台地判平成27・1・13、『判例時報』2265号)の裁判長と同じであることを知って、「常磐山元自動車学校」事件で原告勝訴なのだから大川小学校も当然そうなるだろうな、と思ったからです。
「常磐山元自動車学校」事件は大川小学校と違い、それほど話題になりませんでしたが、海岸から750m離れた場所にあって、海岸には高さ6.2mの堤防があり、過去に住民の記憶に残るような津波被害がなく、平成16年の宮城県地震被害想定調査時に策定された津波浸水予測図では、宮城県沖地震(連動)が発生した場合、付近の津波浸水域は海岸から100mにも満たない範囲とされていて、大川小学校と非常に良く似た状況ですね。
判決では、教習所側が事前に津波を想定した避難計画を作っていなかったことはもちろん、予想される津波の高さを宮城県6m、福島県3mとする気象庁の大津波警報(第一報、午後2時49分)を教習所の役員・幹部社員が聞いた後に避難しなかったことも過失とせず、予想される津波の高さを宮城県10m以上、福島県6mとする気象庁の大津波警報(第二報、午後3時14分)についても、伝えなかった放送局があるなどの事情から教習所の役員・幹部社員が確認できたとはいえず、直ちに避難を実施しなかったことは過失ではないとした上で、その後の消防車による具体的な避難の呼びかけの広報があった時点で適切な対応を取らなかったことを過失としています。
ただし、大川小学校の場合と異なるのは、犠牲者は18・19歳の教習生と27歳のアルバイト従業員であって、地震発生後の情報収集・分析能力においては教習所側の役員・幹部社員とそれほどの違いがあったとは思えないこと、教習所から海と反対側(西方)700mから750mのところに標高53mの「戸花山」という小さな丘があって、徒歩で9分、自動車で2分30秒程度ですから、若い人だったら充分逃げるだけの時間があったことです。
普段から送迎バスを利用している人が多かったから、教習所側も送迎バスで教習生に待機してもらっていただけで、教習所側に独自の判断で行動する人を止める権限はないし、そうする意図もない状況だった訳ですね。
こうした状況なのに、裁判所は割とあっさりと具体的な安全配慮義務を認定し、割とあっさりと教習所側の過失を認めた訳で、私は控訴審では逆転の可能性もあるのでは、と思っていたのですが、結局、控訴審で和解が成立して終了してしまいました。
この「常磐山元自動車学校」事件と比較すると、大川小学校の場合は安全配慮義務の存在自体は極めて明確ですし、個々の児童が自分の判断で独自の行動を取る余地はなかったのですから、担当の裁判官が同じなら学校側の責任が認められる可能性は当然大きくなりますね。
なお、誤解してもらいたくないのは、私は原告勝訴を予想したとしても、今回の判決が全面的に素晴らしいものだと思っている訳ではない点です。
大震災後、暫くの間は学校側の責任を問おうとする遺族は全くの少数派で、地域社会では孤立しているように見えたので、私はその言い分は法的に相当な理由があるから頑張ってほしいな、とは思っていましたが、別に特段の支援活動をしたこともありません。
今回の判決に反発する立場の人の言い分もある程度は分かるので、「過失」があれば賠償金一人数千万円、「過失」がなければゼロ、という極端な二者択一ではなく、もう少し調和的な解決をもたらす法律論の組み立て方はないのかな、と思っています。

『記憶の部屋・東日本大震災』サイト内
「常磐山元自動車学校の悲劇・宮城県山元町」

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宮城・自動車学校津波訴訟 仙台高裁で和解が成立
毎日新聞2016年5月25日

学校側が安全上の不備認め陳謝 解決金は大幅に下回る
 東日本大震災の津波で犠牲になった常磐山元自動車学校(宮城県山元町)の教習生25人と従業員1人の遺族が、学校側に損害賠償を求めた訴訟の控訴審は25日、仙台高裁(小野洋一裁判長)で和解が成立した。学校側が安全上の不備を認めて陳謝した上で、教習生1人当たり50万円、計1250万円の解決金を遺族側に支払うとの内容。従業員側の和解協議は分離されており、協議を継続する。
 解決金は1審が学校側に命じた賠償金計約18億5000万円(1人当たり約4000万~8000万円)を大幅に下回った。遺族側の弁護士によると、金額は学校側の支払い能力を踏まえて決定したとみられる。
 和解条項によると、学校側は、地震や津波を想定した避難防災マニュアルを作っておらず、当日も適切な避難指示をしなかったことが死亡の一因となったことを認め、遺族に陳謝し、心から哀悼の意を表す。
 津波被害を巡る訴訟のうち、管理者側の賠償責任を認めた判決が出たケースで和解が成立したのは、同県石巻市の私立日和(ひより)幼稚園訴訟(2014年12月に同高裁で和解成立)に次いで2件目。
 教習生と従業員の遺族は11年10月から翌年にかけ、計約19億7000万円の支払いを求めて提訴。1審・仙台地裁判決は15年1月、「消防車による避難の呼びかけを学校側の誰かが聞いていたと推認できる」などとして学校側の安全配慮義務違反を認定した。
 学校側は「津波襲来は予測できなかった」と控訴。亡くなった教習生25人のうち19人と従業員1人の遺族も学校役員の個人としての賠償責任が認められなかったことを不服として控訴した。
 訴状によると、学校側は地震発生後に教習生を待機させ、約1時間後に送迎バス4台に分乗させるなどして帰宅させた。バスに乗った23人と徒歩で帰宅した2人が津波に巻き込まれて犠牲になった。【本橋敦子】

「世の中にこの事件の真相を知ってもらえると思った」
 遺族会代表の寺島浩文さん(53)は和解後、「お金を受け取ることが目的ではないが、子供の命の対価として解決金の金額が低すぎることは納得できない。ただ、和解を受け入れた方が、世の中にこの事件の真相を知ってもらえると思った」とのコメントを出した。


>筆綾丸さん
私も地方自治法については全然詳しくありませんが、控訴には議会の議決が必要との解釈が一般的なようですね。


石巻市議会の賛成16、反対10という数字は市民の微妙な感情を反映しているのでしょうね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

公式実務訪問賓客 2016/10/31(月) 17:45:18
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161031_13027.html
控訴の是非は市長の専権事項で議会の承認は不要のはずですが、市を二分して、長い茨の道が今後も続きますね。

http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/shinzen/hinkyaku/jitsumu.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161027/k10010746681000.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/hito/shoutai/
一国の大統領を公式実務訪問賓客として招いておきながら、叔父の死を理由に会見を取り止めるのは、(如何に奇矯な国家元首であろうとも)外交上非礼ではないか、園遊会ではないのだから、と違和感を覚えました。それはそれ、これはこれ、と截然と割り切るべき立場ではないのか。
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