学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学の中間領域を研究。

丸島和洋氏のご意見

2013-11-28 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年11月28日(木)00時17分51秒

「まるしま」としてこの掲示板に来られていた丸島和洋氏、ツイッターでこんなことを書かれていたんですね。
ずいぶん前に大勢が参加する掲示板であることを止めて以降、なかなか感想を聞ける機会はなかったので、これも貴重な資料ですね。
参考までに転載させてもらいます。
私としては丸島氏の見解を特に否定したつもりもなく、概念の相対性を理解した上で、法律学を学んだ人間から見て丸島氏が用いる言葉への違和感を書いただけのつもりだったのですが、まあ、こういう受け止め方もあるでしょうね。


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https://twitter.com/kurmacf

MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf 11月20日
ブロックした相手一件。なんつうか、サロン的な掲示板を作っていて、僕の本も色々議論してくれているんだけど、ほとんど「想像」上の空論なんだよね。研究史は勉強していない/する気がないのに、研究史を踏まえて議論したつもりになっているというか。前々から敬遠していたんだけど、嫌悪感しかない。

別に批判されるのが嫌いとか嫌だという意味ではないので、念のため。しかし、「一般書」に、論文レベルの説明を要求する発想は理解できないのです。だって書けることは限られるわけで。こういう人たちが、いわゆる「意識高い系」というやつなんだろうなあ。

サロン、というのはその中で空間として完結する危険性をはらむわけです。そこで起きている問題に、自分たちは気がつけない。自分たちだけで盛り上がって、どんどん遊離していく。僕がツイッターで意見を異にする人を積極的にフォローしたり、HPに掲示板を作ろうとしない理由は、これ。

ツイッターは、自分の考えが近いTLを作りやすいから、サロン化しやすい。だからちょっと不快になることがあっても、意識して違う意見の人をフォローしてTL作ったほうがいいんだよね。トラブルになりそうな人は、ブロックしちゃうけど。

まあ、こちらのサイトです。どのような感想をお持ちになろうともちろん自由です。僕は非常にサロン的な悪印象を持ちましたが、それは批判をされた結果かもしれませんのでご教示ください。僕の本に関する見解は、前のページから始まっていると思います。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs

まあもう一言だけいうと、その掲示板では僕のメチエと黒田さんの新書が槍玉にあげられています。しかし当たり前ですが、僕も黒田さんも、手札をすべて切ってはいない。あそこで議論されている事の答えはもうちゃんと持っているのです。でも、一冊の本にすべてを書き切ることはできないんですよ。

(エアリプ)まあ、そういうことです。何もわかってないのに、わかったつもりになっちゃうのがサロン化ということ。

今日つぶやいたサロン化した掲示板の人たちは、鎌倉期の研究会には出入りしている。でも、専門家ではない。たしか論文も書いたことはないし、戦国期についてはおそらく読んでもいないのは、見ての通り。だから、「門前の小僧」という表現がぴったりくる。ただ、その自覚がないところがある種の喜劇。

彼らは一般向けに書かれた本から文章を引用し、専門用語を理解しようとしている。そして自分が知っている専門用語を使って、議論を進めようとしている。でも、それは「ことば」として専門用語を知っているだけであって、理解はしていない。そのことを自覚できていないから、話は延々と空転し続ける。

概して、一般向けに書かれた本では、専門用語の説明は捨象されるか、きわめて単純化される。そうしないと、話が小難しくなってしまう。ただ、彼らはそれに気がついていない。書かれるはずがないものを延々と追い求めている。

そして、専門家というものは、自分のフィールドにおいて、幅広い議論を有している。僕であれば、大名間外交論、取次論、国衆論、地域国家論、領域支配論など。今回はそのうち最初のふたつに話をしぼって、他のものは簡易的な説明にとどめた。そうしないと、本にならないのである。

それでも、1冊の本に2つの議論というのは多い。だから色んな人から、持ちネタを使いすぎだとからかわれた、ただ僕の中では、大名間外交論と、取次論のうちの半分はセットなので、1冊にまとめたほうが読者に親切だろうと判断して本を書いた。当然、その他の議論はさわり程度となる。

つまり、研究者の議論というのは、表に出ている部分はほんの一部で、バックグラウンドにあるもののほうが大きいことがしばしばある。これは論文や専門書でも同様で、文章化するのは頭の中にあること、研究者が考えていることの一部に過ぎない。

研究者が考えていることすべてを出すには、1冊の本では足りないし、もしそのようなことをしようものなら、話にまとまりがなくなって、本として成り立たなくなる。だから、研究者に接する時には、「その人がまだ書いていない構想」を想像するということもひとつ必要になる。

研究者・研究史に敬意をもって接する、というのはこういうことなのだ(別に僕に敬意をもて、といっているわけではない)。あの掲示板の関係者は、この点がわかっていないから、失笑せざるを得なかったのだ。批判を不快と思ったのではなく、ある種の喜劇として受け止めたのである。

僕自身が門前の小僧となることは当然ある。身近なところでいえば、医療がそうだ。僕自身は、自分や家族がかかったことのある病気については、経験則や新書クラスの本を読むことで一定の知識を有している。でも、当然だが、医者には叶わない。ただ、より詳しそうな医者を探すことくらいはできるかも。
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※追記
丸島和洋氏に対しては、お礼としてアマゾンに『戦国大名の「外交」』の書評を投稿しました。

http://www.amazon.co.jp/review/R1ZPUD6W0FFN11/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4062585596&linkCode=&nodeID=&tag=

その他、一連の経緯については下記にまとめてあります。

「ラウンド君の教訓」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/306371ea4158692c75ddb68b86ac77fc

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