学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「七十七銀行女川支店」との比較(その1)

2016-11-06 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 6日(日)21時13分0秒

社会科学関係の調べものをするときにはいつも利用させてもらっている大学図書館が暫く利用できないため、仙台高裁の判決文を未だに入手できていないのですが、大川小学校との比較には仙台地裁判決で充分なので、とりあえず進めたいと思います。
このケースも広くマスコミ報道がなされましたが、法律的観点を加味した整理はやはり『判例時報』編集者によるものが正確かつ簡明なので、まずこれを紹介します。(2217号、74p以下)

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▽東日本大震災の津波により銀行支店の屋上に避難していた行員等が死亡する等した場合について、銀行の安全配慮義務違反が認められなかった事例
〔損害賠償事件、仙台地裁平二四(ワ)一一一八号、平26・2・25民一部判決、棄却(控訴)〕

 本件は、銀行の支店従業員が東日本大震災の津波の際に支店屋上に避難し、被災した事故について、銀行の安全配慮義務違反による債務不履行、不法行為の成否が問題になった事案である。
 平成二三年三月一一日、東北地方太平洋沖地震(被災は東日本大震災)による津波が東北地方の太平洋沿岸を襲い、宮城県牡鹿郡女川町にも及んだ。地方銀行であるY株式会社は、女川町に女川支店を設置し、Y女川支店には本件地震当時、G支店長ほかの行員ら、人材派遣業を営む甲株式会社から派遣されたスタッフら合計一四名が勤務していた。本件地震は女川町の最大震度が六弱であったが、本件地震後、一名の派遣スタッフが自宅に帰宅したほか、津波の警報を受け、Gの指示により、予め津波対策として避難場所に指定されていたY女川支店(高さは二階屋上まで約一〇m、三階の塔屋まで約一三・三五m)の屋上に避難した。本件地震による津波がY女川支店も襲い、前記一三名が流され、一二名の行員らが死亡し、あるいは行方不明になった。死亡したH、Iの各相続人ら、行方不明のJの相続人らが安全配慮義務違反等を主張し、Yに対して債務不履行、不法行為に基づき損害賠償を請求した。
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いったんここで切ります。
大川小学校・常磐山元自動車学校のケースは周辺住民に津波の歴史的記憶がなく、また公的機関のガイドラインでも津波による浸水が全く予想されていない場所での被災でしたが、七十七銀行女川支店は海岸から僅か100mの地点に位置し、近い過去に周辺の津波浸水もあって、津波自体は誰もが予想している場所での被災でした。
そして、約20mの高さの津波に襲われて13人が流されながら、内1人が奇跡的に生存し、裁判でも貴重な証人となって大地震発生後の女川支店内の状況が極めて詳細に再現されることになったのですが、大川小学校の場合は教員1人がやはり奇跡的に生存したにも拘らず、この人は被災直後の石巻市教育委員会の聞き取り調査には若干の協力をしたものの、後に石巻市が設けた「大川小学校事故検証委員会」では病気を理由に調査に応じず、更に仙台地方裁判所においても証人とならず、結局、地震発生後に「三角地帯」へ移動を開始するまでの経緯が極めて不明瞭のまま審理が終わってしまいました。
さて、引用を続けます。

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 本件では、安全配慮義務違反として具体的に主張された安全教育や避難訓練等が不十分であり、Yの作成に係る災害等緊急時対応プランに支店屋上を避難場所に追加したこと、Gが支店屋上に避難する誤った指示、判断をしたこと、屋上に避難した後、より高所である近くの山に避難場所を変更しなかったことについて安全配慮義務違反が認められるかが主として争点となった。
 本判決は、宮城県における津波対策ガイドライン、女川町における過去の津波の高さ、内閣府の津波避難ビルガイドライン、女川町地域防災計画、女川町の指定避難場所等、Yにおける防災対応プラン、災害訓練等の実施、行内広報誌での防災啓発、本件地震発生後の経過、気象庁の大津波警報等の発表、地元での災害情報の伝達、本件地震発生後におけるY女川支店の状況等の事実関係を認定し、Yが行員、派遣スタッフの生命及び健康等が地震や津波といった自然災害の危険からも保護されるよう配慮すべき義務を負っていたとした上、原告らの主張に係る個別具体的な安全配慮義務違反につき検討し、Gの避難指示が不適切であったとはいえない等とし、立地の特殊性に合せた店舗の設計義務違反、安全教育を施した管理責任者とする配置義務違反、避難訓練実施義務違反、支店屋上を避難場所に追加した誤り、情報収集義務違反、町指定の避難場所である山に避難すべき義務違反、屋上避難の黙認に関する各主張を排斥し、結局、請求を棄却した。
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途中ですが、ここで切ります。
「より高所である近くの山」は地元では「堀切山」と呼ばれていて、女川支店との位置関係については「七十七銀行女川支店被災者家族会有志」サイトの写真が参考になります。

https://www.facebook.com/77onagawa/

女川支店屋上と堀切山の二つの避難先があった点は大川小学校のケースと似ていますね。
そして女川支店のケースでの最大の謎は、何故、支店長は徒歩約3分で行ける絶対安全な堀切山ではなく支店屋上を避難先として選択したのかですが、これはテレビ・ラジオによって提供された津波情報の内容を時系列に従って詳細に整理して行くことで明らかにされています。
結論として裁判所は支店長の判断が合理的であり過失はないと判断したのですが、その詳細は次の投稿で紹介します。
なお、判決全文は「裁判所」サイトでも閲覧可能ですが、ネットだと若干読みづらいですね。

http://www.courts.go.jp/
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/990/083990_hanrei.pdf
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「法律家共同体」と「歴史研究者共同体」

2016-11-06 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 6日(日)19時23分44秒

浅羽祐樹・横大道聡・清水真人氏の鼎談<憲法論議を「法律家共同体」から取り戻せ――武器としての『「憲法改正」の比較政治学』>は、樋口陽一氏を総大将とする「立憲主義」一揆をシニカルに眺めていた私にとっては肯ける点が多いのですが、内閣法制局長官人事を巡る浅羽氏と清水氏の指摘には特に賛同できて、百回くらい肯きたくなります。

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浅羽 日本でも安倍政権の下で内閣法制局の長官人事が問題になったわけですが、率直に言って、これまでも別に手を突っ込もうと思えばいくらでもできたのにそれをしなかっただけで、今さら何を驚いているんだ、という話です。そもそも(事実上)内閣(総理大臣個人)は最高裁判事を任意に任命できるわけで、すでに9名が自民党の政権復帰以降の任命で、総理総裁の任期延長が実現するとそのうち15名全員が安倍内閣による任命ということになります。それが国会承認マターですらないわけで、気にするんだったらそっちだろうと。
【中略】
清水 幸か不幸かとおっしゃいましたがまさにその通りで、こうした「司法政治」という視点は最近になって私も初めて知ったという状況です。政治ジャーナリズムではほとんどなじみがないでしょう。つまり、司法というのは政治からは非常に遠いものだ、という思い込みで今までずっと来ていると思うんです。
実は、そこは安倍首相自身もそうじゃないかなと思っています。というのは、安倍首相は2013年に法制局長官を代えたんですけれども、あの時、その前任者(山本庸幸元長官)を最高裁判事に任命しました。あれは左遷なのか栄転なのか何だかよくわからない話だったわけですけれども、あの瞬間は法制局長官を代えることのほうが大事だったわけですよね。我々もそこばかり注目しました。でも前任者は最高裁判事になっているんだから、実は気が付いてみたら、安倍さんにとって厄介な憲法解釈などを展開するかもしれない、なのにそこは手綱を放してしまったという、非常に面白い現象だったと思うんです。

http://synodos.jp/politics/18397/4

「7月クーデター」の石川健治氏は山本庸幸氏の最高裁判事就任も「左遷」と呼んでいましたが、大げさな表現はその時点で政治的運動を盛り上げるのには役だっても、平穏な時間が経過するとともに本人にとっても些か気恥ずかしいものになりそうですね。
九州大学教授・南野森氏あたりも、浅羽・清水氏の発言と比較しつつ自分の過去の表現を振り返った場合、果たしてどんな気持ちになるのか。

阪田雅裕著『「法の番人」内閣法制局の矜持』(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5cb89e925c8d6173477ca63285cbd6e5

>筆綾丸さん
>櫻井よしこ氏
個人的な趣味としては櫻井氏の話し方はけっこう好きだったのですが、ちょっと硬直化しすぎてしまいましたね。

>「外交」
まあ、戦国大名の「外交」には文化の香りが乏しいですから、「外交」と言いたがる人も少し気恥ずかしい気持ちがあるのでしょうね。
仮に村井章介氏がラウンド君あたりの強い影響を受けてコッカ・コッカと言い始めたとしても、ラウンド君の表現と類似の表現を用いる場合には必ずラウンド君の論文・著書を引用しなければならないというような、「歴史研究者共同体」において何らかの独占権を主張できるような理論的業績がラウンド君にあるのかどうかが最初に問題になりそうですね。
私はラウンド君の著書としては『戦国大名武田氏の権力構造』(思文閣出版、2011)とラウンド君が押し売りに来た『戦国大名の「外交」』(講談社メチエ、2013)しか読んでいませんが、少なくとも両書にはそのような理論的業績はないし、そもそもラウンド君は理論家タイプではないですからねー。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

メディア世界の革命と「 」の意味 2016/11/05(土) 22:11:54
小太郎さん
いえいえ。
同書の「はじめに」に、バルトロメウ・ヴェーリョ作「世界図」(1561年)の一部として日本の図が載っていて、こんな記述があります(なお、BANDOV=坂東)。
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 BANDOV以下六つの地域は、明瞭な境界線でくぎられ、その支配者をポルトガル人は「国王(rei)」とよんだ。この王国はみずからの意思で領土・人民の支配を実現しており、「地域国家」という概念がふさわしい。そのいっぽうでポルトガル人は、IAPAMというまとまりが存在することも知っていた。分裂が極に達した時点での「地域国家」とIAPAMの併存。そこに天下統一へと流れが転じる秘密が隠されているのではないか。(?頁~)
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一般向けの薄い新書に多くを求めるのは野暮なことですが、村井氏は当時のポルトガル人が作成した世界図を絵解きして「地域国家」という概念をかなり強引に導き出します。そして、前回引用した「中近世ドイツの「領邦国家」」が何の説明もなく突然出て来るので(後で説明されることもなく)、ポルトガル人のいう「国王(rei)」とドイツの「領邦国家」にどんな関係があるのか、さっぱりわからず、独りよがりの推論としか思えませんでした。また、当時のポルトガル人がそう呼んでいるのだから国家なのだ、という理屈は丸島説と同工異曲で、私には不毛だと思われました。

また、武田氏の虎印判状を引用して、以下のような記述があります。
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 以上の諸点に、同一の日付で多数の画一的な文書が発給されたり、大名家の代替わりがあっても同一の印章が印判状に継続使用されたり、という現象も加えて考えると、戦国大名の領国支配は当主個人を離れて非人格化し、超越的な国家権力へと上昇をとげつつあったといえよう。(16頁)
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言葉尻を捉えるようですが、「超越的な国家権力」とは意味が曖昧で、不用意な表現としか思えません。まるでドイツ観念論のようです。

石川健治氏がフジテレビに出演するのは、櫻井よしこ氏がテレビ朝日に出演するのと同じくらい、メディアの世界では「革命的」なことなのでしょうね。

追記
室町幕府と明の関係は外交(2頁)、大内氏と朝鮮の関係は外交(13頁)、細川氏と明との関係は外交(13頁)大内氏と明との関係は外交(13頁)、室町幕府と琉球の関係は外交(30頁)、島津氏と琉球の関係は外交(40頁)で、地域国家間の関係は「外交」となっていますが、この留保のような躊躇のような括弧は何を意味しているのか、何の説明もありません。外交と「外交」の相違は如何、大内氏と細川氏の関係は外交か「外交」か・・・。
「 」は謂わば精妙な「史的感覚」とも称すべきものなんだよ、わからんかね、君。

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