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「七十七銀行女川支店」との比較(その3)

2016-11-08 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 8日(火)11時53分30秒

続きです。

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キ G支店長は,L行員らに対して,「海の様子を見ていること」及び「ラジオを聴いていること」の2点を指示し,L行員は,屋上の手すりから海を見張っていた(乙28参照)。
また,P行員が被告女川支店に備付けのラジオを持っていたので,L行員は,その周波数を1260kHz(東北放送)に合わせ,ラジオを聞いた。その際,ラジオからは,「鮎川に3時10分に到達」,「予想される津波の高さは6m」との放送がされていた。
ク 午後3時7分頃,G支店長の指示により,Q支店長代理が,当時仙台市にいた次長(休暇中)に対し,「屋上に避難しています。」とのメールを送信した。
G支店長は,緊急連絡用の衛星電話を利用して被告本部と連絡を試みるなどし,被告女川支店の各行員らは,安否の報告や確認のために家族等に対してメールや電話をしたり,ワンセグ放送を利用してニュースを見るなどして地震に関する情報収集を行っていた。
L行員は,G支店長から,実家のある釜石市に津波が到達して平屋建ての家屋が押し流されている映像を携帯電話のワンセグ放送により見せられて怖くなり,亡Hとの間で,時間があるから病院の方へ逃げる余裕はあると話したが,被告女川支店の1階部分が浸水する程度であって,屋上まで津波が超えてくるとは予想していなかったことから,そのまま本件屋上にいた(甲4,5,L証言10頁以下)。
ケ 午後3時12分頃には,R行員が妻に対し,被告女川支店内から電話をかけて,「今から屋上へ避難する。」と告げたところ,R行員の妻から,「山に逃げて。」と言われたが,「自分は大丈夫だから,君こそ早く逃げて。」と答えた。
コ 午後3時15分頃,屋上避難後も防寒コートを取りに行くため交代で1階や2階に戻った行員らも再び全員が屋上に集まっていた。
サ 午後3時19分頃,亡Iは,その妹に対し,「地震大変でしたね。無事です。」とのメールを送信した(甲38,弁論の全趣旨)。
シ 午後3時21分頃,亡Jは,夫である原告Dに対し,「大丈夫?帰りたい。」とのメールを送信した(甲39)。
午後3時25分頃,亡Jは,原告Dに対し,「津波凄い」とのメールを送信したが,同原告には届かなかった(甲40)。
ス 最初はヒタヒタという程度であった津波が5分ほどで水嵩が増して本件屋上の半分くらいまでの高さになったことから,本件屋上に残っていた行員ら13名は,順次2階屋上にある塔屋(3階)に上った。最後にG支店長が塔屋に上り終えたときには,水嵩が2階屋上にまで達していた。
セ その後まもなく,本件屋上の塔屋にまで水嵩が達し,被告女川支店に残っていた行員ら13名全員が海抜20m程度の大津波に流された。
L行員は助かったものの,残りの被災行員ら12名(本件被災行員ら3名を含む。)は,死亡又は行方不明のままとなった。
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本当に僅か数分の間で水嵩が急激に増した訳ですね。
なお、「屋上にある塔屋(3階)」に関しては、「二 本件において裁判所が認定した事実経過」の「(2) 被告による被告女川支店の設置等」に、

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 被告女川支店のある本件建物は,昭和48年12月3日新築の鉄筋コンクリート造陸屋根3階建て(1階及び2階各431.15㎡,3階33.17㎡)であり(乙38),2階屋上床面までの高さが約10m,2階屋上外壁までの高さが10.95m,2階屋上の一部にある3階電気室屋上(広さ33.17㎡。2階から上る梯子が固定されている〔乙18の5〕)までの高さが13.35m,同屋上外壁最上部までの高さが13.95mであった(乙18の1~6)。
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とあります。
(「裁判所」サイトのPDFではp24。)

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/990/083990_hanrei.pdf
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「七十七銀行女川支店」との比較(その2)

2016-11-08 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 8日(火)11時52分40秒

他の津波被災地と比較した場合、女川の特殊性は複数のRC(鉄筋コンクリート)造のビルが基礎から根こそぎ倒壊していた点で、これは陸前高田市・南三陸町など、女川同様の高い津波に襲われた地域でも見られない現象でした。
「女川交番」など、地中に打ち込んだ基礎部分の杭がむき出しになっていて、異様な光景でしたね。
検索してみたところ、『地震・防災 あなたとあなたの家族を守るために』サイト内の「女川港、女川町中心部」に倒壊ビルの写真が分かりやすく纏められています。
最初の写真の説明に「高台の女川町立病院駐車場より女川漁港、女川湾を望む」とありますが、この高台が「堀切山」です。

「女川港、女川町中心部」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/higasinihonn_daisinnsai/miyagi_onagawa_syasin.htm

津波によるRC造ビル倒壊は土木・建築関係者の間でも衝撃的だったようで、この現象の工学的説明は、例えば日経新聞の次の記事などが参考になります。

「大津波で鉄筋コンクリート造の建物が横転した理由」(日経新聞2012年1月18日)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1801T_Y2A110C1000000/

七十七銀行女川支店のビルは昭和48年(1973)建築だそうで、被災時には築38年の些か古めのビルでしたが、建物自体は非常に頑丈で津波に耐えて残りました。
さて、支店長が何故「堀切山」ではなく女川支店屋上を避難場所に選択したのかですが、裁判所が認定した当時の状況は次のようなものでした。
少し長めですが、正確を期すためにそのまま引用します。
(「裁判所」サイトのPDFではp32以下。)

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/990/083990_hanrei.pdf

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(7) 本件地震発生後の被告女川支店の状況(甲4,5,9,L証言,K証言)
ア 本件地震発生当時,被告女川支店のG支店長は,取引先のOを訪問中であったが,自動車で同支店に戻る途中の海沿いで引き潮になっていることや,大津波警報が発令されていることを知り,午後2時55分頃,同支店に戻った。
イ 本件地震発生時に被告女川支店にいた顧客は,G支店長が戻った頃には,いずれも自ら店外に出ていた。
ウ G支店長は,被告女川支店に自動車で戻った直後,大津波警報が出ていることを告げながら,行員らに対し,片付けは最小限にして避難するようにとの指示を強い口調でした。
エ また,G支店長は,亡H及びL行員に対し,被告女川支店入口(行員通用口を除く顧客用入口)の鍵を閉めること及び屋上の鍵を開けることを指示した。
 亡H及びL行員が,G支店長の指示に従い,被告女川支店入口(行員通用口を除く顧客用入口)の鍵を閉め,屋上の鍵を開けようとしたが,なかなか開かなかったことから,亡H,L行員及びG支店長の3人で屋上の扉を押して開けた。
 L行員らが屋上に出ると,屋内では聞こえなかったサイレンの音や「大津波警報が出ているので,高台に避難してください。」旨の防災行政無線の放送内容が聞こえた。
オ その後,G支店長が他の行員らを呼びに一旦2階へと戻ると,K(女性派遣スタッフ)が,G支店長に対し,「自宅にいる子どもが心配なので自宅に帰りたい。」旨申し出た。これに対し,G支店長は,「行きたいというなら止められないけど,潮が引いているので気を付けて行くように。」とKが自宅に戻ることを了解し,Kは被告女川支店を出て約320m離れた自動車駐車場に駐車してあった自家用自動車に乗って自宅へと戻った(甲5,甲45の1及び2,甲46)。
カ G支店長は,被告災害対策本部に対し,内線電話によって,大津波警報が出ているので,屋上へ避難する旨を報告した。
 そして,午後3時5分頃,K及び休暇中の次長を除く行員ら13名が,本件屋上に避難した。
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ここでいったん切ります。
「L行員」が唯一奇跡的に生存した人で、判決文ではもちろん本名ですが、「裁判所」サイトではプライバシーを考慮して関係者は全て仮名となっており、『判例時報』でも同様です。
また、『判例時報』では煩雑を避けるため「(甲5,甲45の1及び2,甲46)」といった証拠表示を省略しているのですが、「裁判所」サイトでは全部出ていて有難いですね。
午後2時46分の地震発生時、支店長は得意先回りのために外出していましたが、10分足らずで支店に戻り、その間に引き潮を自分の目でみています。
また、「七十七スタッフサービス株式会社」からの女性派遣スタッフ1人(K)が帰宅を希望したのに対し、支店長はそれを了解していますが、この点は地震発生後の労働関係の性質、安全配慮義務の内容を考える上でひとつのポイントになるのではないかと思います。
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