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大家族と養蚕の関係(小山隆説)

2016-11-29 | トッド『家族システムの起源』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月29日(火)12時48分14秒

>筆綾丸さん
児玉幸多『近世農村社会の研究』(昭和28)に小山説批判が出ているようですが、未入手です。
そこで、取り急ぎ「山間聚落と家族構成」から関係部分だけ引用しておきます。
庄川流域は上流の岐阜県側に旧天領の白川郷(明治8年に荘川村・白川村に分離)があり、中流の富山県側に旧加賀藩領の五箇山(平村・上平村・利賀村)があって、白川郷は経済的には代官所のある高山よりも富山県側との結びつきが強かったそうですが、小山は「山間聚落と家族構成」に先行する複数の論文で五箇山と荘川村の状況、特に家族形態を検討しています。
そして白川村と周辺地域を比較し、整理し直したのが「山間聚落と家族構成」ですね。
まず、宗教との関係については次のように書いています。(p160以下)

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 次に白川の史実の中では宗教関係が最も重要な部分を占めて居り、殊に大家族の存在する中切及び山家地方が大部分照蓮寺領となっているところから、宗教と大家族、殊に寺領と大家族の関係も一応考慮されるべき問題である。寺領民の生活と幕府直轄領民の生活とは確に比較考察に値する興味ある問題ではあるけれ共、自分のこれ迄観た範囲では、大家族の問題に関する限りこれを説明するに足る有力なる資料と目すべきものなく、却つて次の様な見地から両者の関係を否定しなければならないように思う。寛永年間金森家より又元禄十年幕府より引継ぎ寄進された照蓮寺領十六ヶ村三百石は悉く白川郷の内であるが、それは今の荘川村区内に於いて岩瀬、赤谷、中野、海上、尾上郷の五ヶ村、又白川村中切区内に於いて尾神、福島、牧、御母衣、平瀬、木谷の六ヶ村(同区内の長瀬村は除いてある)大郷に於いて萩町の一部、山家地方に於いて椿原、有家ヶ原、小白川の四ヶ村である。従つて寺領内部にあつて大家族の形を留めぬ荘川諸部落があり、又大家族の形態を最も顕著に有して寺領ならぬ長瀬村の如きがあり、寺領と大家族地帯とは明かに食違つて居るのである。従つて此の点からも寺領生活と大家族との関係は考慮の外に置いてよいであろう。
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富山県側の五箇山を含め、庄川流域全体が真宗王国の一部ですから、宗教と大家族自体は直接には結びつかず、小山も天領と寺領の相違を論じているだけですが、結論として特に大家族と結びつくような関係は見出せない訳ですね。
そして、次に養蚕についてです。(p164以下)

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 左の二表の示す通り荘川地方は大郷地方と共に米の生産に稍恵まれているが、更に畑作の稗の収穫量も多く、繭の産出は最も不振である。大郷地方は米の産出量最も多く、稗は少く、養蚕は荘川地方よりは盛んである。之に反して中切地方と山家地方とは同じ程度で米、稗共に少く、代りに養蚕は最も盛である。乃ち知る、中切地方と山家地方とは、其の広大なる山地に桑を栽培して、専ら養蚕によつて生活を立てて来た地方であつた。更に古老の談によれば、過去に於ける両地方の養蚕は左の統計に表れた程度より遥に多く、一家に百貫乃至百五十貫の繭を産出したところも少くなく、いづれもそれを絲にとつて売出したという。又飛騨後風土記によつて見ても、飛騨一国を通じて此の中切・山家両地方程一戸当りの繭産出量の多いところは他に類例なく、こゝに吾々は此の両地方の産業、随つて又その生活の特殊性をはつきりと認識せざるを得ないのである。されば白川奇談の筆者も亦、中切地方については、特に「夏はこかひ(蚕飼)を専飼ふ家毎に絲十貫二十貫と取得ること也」と記して居る。厳密な計算にはならないが、試みに安政四年当国余業産物年内売出高大積取調書上帳によつて見れば『糸凡二百駄代金凡三萬六千両、但一駄四個付一個三十把入一把目方産百目一個代凡金四十五両』(大野郡史中間一一五一頁)とあるから、中切地方で家毎に十貫二十貫の絲をとつたとすれば、毎戸五十両乃至百両の収入があつたわけである。殊に此の地方の絲はその光沢を喜ばれ、白川絲の名によつて京都方面で歓迎されて居たというからその盛であつたことは想うべきである。従つて夏期になれば多くの人手を必要とし、家族で足りない場合には美濃方面から婦女子を雇入れたという。又此の地方では冬期高山其他へ出稼して居た者も雪解けと共に帰村するのが慣わしとなつている。天保十二年特に奉公人の年季を確実ならしむべしとの廻状にも、

近来奉公人共、風儀不宜、……別而女奉公人共は絲挽時節に差向候得は、病気又は用事差支有之抔申偽、強而暇を乞請、糸挽稼に罷出候も多分有之由、……(大野郡史中巻一〇〇二頁)

とあるが、今以て白川方面ではこの慣習があり、現に筆者も高山で白川出身の女中は家に居付かぬとの非難を聞いたが、想い合せて養蚕の流行につれて自然に生じた慣行であることを知つたのである。
 此のような産業の特殊性が此の地方の家族構成の上にも大きな影響を齎したであろうことは察するに難くない。現に群馬、長野、山梨地方の如く、養蚕・機業の盛に行われ、女性の労働に対する需要の多い地方では、娘を永く家庭に引留めるところから、女性の婚期の遅れる傾向さえあるのである。経済的の余力と女性の労働に対する需要とが、中切・山家地方に於いても娘を生家に引留め、『まかなひ子の一人や二人出来ても人にやらぬ』(御母衣故大戸肥太盛氏談)だけでなく、寧ろ進んで『家の娘に男の子が出来れば牛飼が出来たと云つて喜び女の子ならば桑摘みが出来たと云つて祝ふ』(平瀬故高畠由五郎氏談)ようにさえなつたのである。一方に於いて分家が殆んど不可能であり、他方に於いて此のような事情のあるところに、大家族が出現することは蓋し必然の過程といわねばなるまい。特に中切山家両地方に養蚕が盛となつた原因に就いては、白川糸の喜ばれたというようなところから本願寺との関係等も考えられるのであるが、未だ直接これを証明するに足る資料を見出さない。寺領関係を離れても、これ等両地方が最も平地に恵まれず、其代りに桑を栽培する山野に事欠かなかつたところから、養蚕が盛になつたものと思われるのである。
 畢竟白川の大家族は養蚕を離れては有り得ず、而もそれは女性の労働力に対する需要が根抵となついて居たのである。養蚕による経済的余力の為にそれ等の女性の子女の殖える事は敢て拒まなかつたのである。そうして男性をもその生家に拘束したのは、必ずしも家長の権力によつてだけでなく、分家の制限の規定されて居た当該狭隘な地に住む者の事情已むを得なかつたところであり、只一家に多数を抱擁することが自家の勢力を示すものであると云う観念から、それが分離を喜ばなかつたと云うことは第二次的な現象に過ぎない。
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>キラーカーンさん
>『家族システムの起源Ⅰ ユーラシア』
トッド畢生の大著ですから、なかなか難しいですね。
本格的な検討は来年になりそうですが、社会学の基礎知識がない私にとって「中切」は丁度良い準備作業です。

※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

・・・・ 2016/11/27(日) 23:09:41(キラーカーンさん)
>>『家族システムの起源? ユーラシア』
購入しようかと思ったのですが、大部だったこともあり、後回しにしたので、
購入前の参考になります(いつ購入するかは分かりませんが)

フィヨン 2016/11/28(月) 18:16:17(筆綾丸さん)
小太郎さん
「これは単純に小学校が六学年、中学校が三学年だから」・・・仰る通りですね。我ながら、バカだなあ。

やはり浄土真宗なんですね。

前の方で引用された別府春海のところで、
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中切のシステムは、十八世紀もしくは十九世紀初頭に始まったというが、それは、閉ざされた空間に人口が増加したという事実によって、世帯の核分裂が不可能になったと推定される時代である。
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という文があって、たしかに大家族制を維持できる産業は養蚕以外思いつかないのですが、ただ、このような地域は日本国内に相当数あったはずで、なぜ中切地域と山家地域にだけ大家族制が発生したのか、となると、かなり難しい問題になるのでしょうね。

キラーカーンさん
トッドは、現在、望みうる最良の論客だと思います。

http://www.rfi.fr/france/20161127-france-politique-primaire-resultat-droite-fillon-juppe-presidentielle-2017
フランスの次期大統領はどうもフィヨンになりそうですが、「フランスのサッチャー」と呼ばれるところをみると、トッドはフィヨンを評価しないのだろうな、と思われます。
コメント
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