学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

『家族システムの起源Ⅰ ユーラシア』

2016-11-19 | トッド『家族システムの起源』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月19日(土)22時01分29秒

>筆綾丸さん
今日は地元の地方史家の講演を聞いてから自宅で関連の調べものをしていたのですが、気晴らしにちょっと『家族システムの起源Ⅰ ユーラシア』(上)を手にとったら止まらなくなってしまいました。
やはりトッドは読ませますね。
ただ、小さなミスが気になるところもあります。
「序説 人類の分裂から統一へ、もしくは核家族の謎」「第1章 類型体系を求めて」を読んだ後、少し飛ばして「第4章 日本」を眺めると、

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日本の直系家族についての近年の論争

 今から三〇年前には、日本の家族構造の知覚は単純で統一的だった。十九世紀末の日本の近代化促進者によって公布された民法典は、男性長子相続と直系家族を制度化していた。それに続いて、人類学者が行なったフィールド研究は、それなりにきわめてル・プレイ的なものとなった、明治時代の支配的なイデオロギーの有効性を確証したのである。一九三九年に発表された、須恵村〔九州〕についてのジョン・エンブリーの研究は、その嚆矢であった。日本の「イエ」すなわち家屋=家族に関する中根千枝と福武直による記述は、どちらも一九六七年のものだが、それ以前の研究をみごとに要約している。喚起された唯一の地域的多様性は、いずれも直系家族であるが、遺産相続規則の変異によってその態様が異なるというものにすぎなかった。遺産相続規則は、古典的には三分の四のケースで男性長子相続だった。ヨーロッパのように、男性長子相続は、息子がいない場合の娘による相続を妨げなかった。それは、前工業時代の人口条件の中で二〇%の家族に見られた状況である。性別による相続の分析は、日本では養子を相続人とすることが頻繁に行われたことによって、込み入ったものとなっている。相続人を養子に取るという手法は、ヨーロッパでは排除されている。東京西部に位置する地域についての、黒須里美と落合恵美子による一八七〇年の研究は、養子の半数以上が、現実には世帯主の娘の夫であることを明らかにしている。養子縁組は、実際には母方居住の入り婿婚を形式化したものであった。これによって、娘による遺産の継承が可能になるのである。養子となる者は、親族の中から選ばれるのではあるが、世帯主の親族から選ばれるのが義務ではなく、時として世帯主の妻の親族の中から選ばれた。父系親族しか養子として認めない朝鮮のシステムとは、非常にかけ離れている。【後略】
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とあるのですが、「遺産相続規則は、古典的には三分の四のケースで男性長子相続だった」は「四分の三」の間違いなんでしょうね。
よく分からないのが「黒須里美と落合恵美子による一八七〇年の研究」で、麗澤大学教授・黒須里美氏と京都大学教授・落合恵美子氏は1870年にはまだ生まれていないようです。

麗澤大学大学院・言語教育研究科
京都大学大学院文学研究科・社会学研究室

「原註」403pから辿って『Ⅰ ユーラシア』(下)の「参考文献」896pを見ると Journal of Family History という雑誌に二人の共著論文が出ているそうですが、これは1995年ですね。
何がどうなっているのか分かりません。
また、230pには「中根は、十二世紀の長野県において、一時的ではあるが、ひじょうに巨大な世帯が存在したことを喚起していた。(13)」とあり、「原註」(13)を見ると「……中根は、この点については、1947年のフルシマの研究に依拠している」とあるので(p402)、これはおそらく古島敏雄でしょうから、古島の研究対象から考えて「十二世紀の長野県」ではないはずです。

古島敏雄(1912-95)

更にp245には、

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 直系家族の観念の伝播は、日本において他にも独自の適応を生み出した。日本の中央部(岐阜地方)の内陸山岳地帯の孤立した地域では、独特の家族形態が特定されている。それは、外から到来した支配的規範への適応の結果である。中切の共同体は、高い山に囲まれた谷底の川沿いに並んだ複数の小集落からなっていた。そこでは、一八五〇年から一八七五年頃にはまだ、父系性と母系制のまことに独特な組み合わせによって形成され再生産された巨大な(一八五三年には世帯ごとに一六・六人)家庭集団が見られた。(45)
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とあり、「原註」(45)を見ると「Befu H.〔別府春海〕<Origin of large households and duolocal residence in central Japan>を参照のこと」となっていて、「十九世紀の岐阜県」ではありますが、これと230pの「十二世紀の長野県」は同じ対象を扱っているような感じもします。
ま、色々と謎ですが、後で出典を個別に確認するしかなさそうですね。

Harumi Befu(スタンフォード大学名誉教授)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

京都のことなど 2016/11/18(金) 19:24:22
小太郎さん
京都の観光客に占める外国人の割合が年々高くなり、寺院の拝金主義を恥ずかしく感ずるようになりました。寺院と神社の相違は何かと外国人に尋ねれば、ただたんに拝観料の有無ということになるのでしょうね。一週間以上も滞在して、この程度の感想しかないというのは、我ながら浅ましいかぎりです。

白人の45歳から54歳の層の死亡率の上昇というトッドの指摘は、自殺者の増加だけでは死亡率を押し上げることはできないはずで、なんとも不気味ですね。

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92779/2779237/
選挙前にNHKの番組を見て、トッドは左側がやや斜視気味なんだな、と思いました。サルトルほど極端ではありませんが。
コメント
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