投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 2月18日(日)21時53分20秒
続きです。(次田香澄『とはずがたり(上)全訳注』、p353以下)
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局へすべりて、「御尋ねあらば消息を参らせよ」といひおきて、小林といふは、御ははが母、宣陽門院に伊予殿といひける女房、おくれ参らせてさまかへて、即成院の御墓近く候ふところへ、たづねゆく。参らせおく消息に、白き薄様に、琵琶の一の緒を二つに切りて包みて、
数ならぬ憂き身を知れば四つの緒もこの世のほかに思ひ切りつつ
と書きおきて、「御尋ねあらば、都へ出で侍りぬと申せ」と申しおきて、出で侍りぬ。
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【私訳】局へそっと行って、「院のお尋ねがあったらこの手紙を差し上げなさい」と言い置いて、小林、というのは私の乳母(めのと)の母で、宣陽門院の伊予殿といった女房が、女院が亡くなられた後、出家して即成院の女院のお墓近くに住んでいた所なのだが、そこへ訪ねて行った。その手紙には、白い薄様に琵琶の第一の緒を二つに切って包んで、
数ならぬ……(物の数ではない情けない我が身の程を知りましたので、琵琶の絃を
切って、琵琶もこの世のことも思い切りました)
と書き置いて、「お尋ねになったら都へ出ましたと申し上げなさい」と申し置いて、出たのだった。
ということで、後深草院二条は伏見殿から消えてしまいます。
「御ははが母」は底本のままの表記なのでしょうが、三角洋一氏は「御姆が母」としていて(岩波新日本古典文学大系、p95)、こちらの方が分かりやすいですね。
なお、宣陽門院(1181-1252)は後白河院皇女で、母は高階栄子(丹後局)です。
宣陽門院は後に持明院統の主要な荘園群となる長講堂領を伝領していた人で、衰退著しかった空海ゆかりの東寺に多大な寄進をして、その再興を促したことでも有名な女院ですね。
東寺との関係は網野善彦氏の『中世東寺と東寺領荘園』(東大出版会、1978)に詳しく書かれています。
また、瀬田勝哉氏に「伏見即成院の中世-歴史と縁起」(『武蔵大学人文学会雑誌』第36巻3号,2005.1)という論文がありますが、宣陽門院の墓が即成院にあったことは、実にこの『とはずがたり』の一節から分かるのだそうです。
即成院は昔は伏見にあったのですが、豊臣秀吉の伏見築城の際に深草大亀谷に移転させられ、ついで廃仏稀釈の影響でいったん廃寺となった後、泉涌寺の塔頭として再興されています。
即成院には那須余一の墓とされる巨大な石塔がありますが、瀬田氏の論文によれば、これは宣陽門院の墓塔ないし供養塔の可能性が高いようですね。
同論文は、以前は武蔵大学の公式サイトで全文を読めたのですが、今は削除されているようです。
「伏見即成院の中世」
即成院
即成院公式サイト
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さるほどに、九献半ば過ぎて、御約束のままに入らせ給ふに、明石の上の代りの琵琶なし。事のやうを御尋ねあるに、東の御方、ありのままに申さる。聞かせおはしまして、「ことわりや、あかこが立ちけること。そのいはれあり」とて、局をたづねらるるに、「これを参らせて、はや都へ出でぬ。さだめて召しあらば参らせよとて、消息こそ候へ」と申しけるほどに、あへなく不思議なりとて、よろづに苦々しくなりて、いまの歌を新院も御覧ぜられて、「いとやさしくこそ侍れ。今宵の女楽はあいなく侍るべし。この歌を賜はりて帰るべし」とて、申させ給ひて、還御なりにけり。このうへは今参り琴弾くに及ばず。めんめんに、「兵部卿うつつなし。老いのひがみか。あかこがしやうやさしく」など申して過ぎぬ。
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【私訳】そうこうしているうちに、御酒宴が半ば過ぎて、両院がお約束のままにお出ましになったところ、明石の上の役を演ずる琵琶の奏者がいない。後深草院が事情をお尋ねになったので、東の御方がありのままに申し上げた。それをお聞きになられて、「もっともなことだ。あかこ(二条)が座を立ったことは充分な理由がある」とて局へ尋ねてやられると、女房が「この手紙を残して既に都へ行きました。さだめしお召があるだろうから、そうしたら差し上げなさいといって、ここにその手紙がございます」と申し上げた。そこで、何とも意外なことだと思われ、万事興醒めになってしまい、この手紙を新院(亀山院)も御覧になって、「本当に優雅な振舞いですな。今宵の女楽はこんなことになってしまいましたが、この歌をいただいて帰りましょう」と言われ、還御となった。こうなった上は今参りも琴を弾く訳にはいかない。人々はそれぞれ、「兵部卿は正気ではない。耄碌してしまったのか。あかこのやり方は優雅なことだ」などと申して、その場は終った。
ということで、後深草院二条はその場に不在であるにもかかわらず、後深草院や亀山院の自分に好意的な発言、そして人々の祖父・隆親に対する辛辣な非難を詳細に再現します。
ま、再現というよりは、勝手に作り上げたと言うべきでしょうが。
他人の口を借りて自分を褒め上げるのは後深草院二条の常套手段ですね。
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