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綾小路きみまろ的な感懐

2016-07-08 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 7月 8日(金)08時15分43秒

『ハイデルベルク─ある大学都市の精神史』の著者・生松敬三氏の名前はこの掲示板で一回だけ触れたことがあって、それは網野善彦氏の東京高校時代の友人の一人としてでした。

「東高時代の網野善彦君」(その2)

本書は1946年、東京高校演劇部が行った「アルト・ハイデルベルク」の上演の思い出から始まっていて、生松氏はそのとき演出を担当したそうですね。
私が大学に入学した頃、というと四捨五入すれば四十年前になるので、綾小路きみまろの「あれから四十年」みたいな話になってしまいますが、当時は生協書籍部の哲学・思想コーナーに生松氏の難しそうな著書や訳書がズラズラ並んでいて、この人は何者なのだろうと思ったことがあります。
ま、私は別に哲学青年ではなかったので購入はしなかったのですが、今ごろになって生松氏の著書・訳書を読むと、昔はおよそ理解できなかったであろう難解な話もそれなりに理解できるようになっていて、ちょっと楽しいですね。
さて、講談社学術文庫版の小塩節氏の「解説」には、

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本書の圧巻
 こうして本書第四章は、二十世紀のハイデルベルク大学の記述となる。ここが分量的にも本書の約半分を占めるところだが、最大の圧巻は、生松敬三氏がみごとに理解し咀嚼しつくしたマックス・ウェーバーについて、その生活と学問について語っているところだ。
 哲学者リッケルトらと同時期にこの大学で教えたマックス・ウェーバー(一八六四~一九二〇年)は、病身にもかかわらず、社会学や経済学の理論的開拓者であり、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をあらわした稀代の学者であることは、今の日本の高校生でも教えられている。しかしM・ウェーバーの膨大な著作をほんとうに自分で読み通し読みこなした人は、残念ながら極めて少ない。生松氏は、そのごく少数の一人なのである。
 僅か五十六年の生涯(一九二八~一九八四年)を、痛ましい癌で閉じなければならなかったこの朗らかで、伝法な口ききさえ多くの人の心をとらえた学究は、若き日の著作『森鴎外』(東大出版会、昭和三十三年、三十歳)をはじめ、自著約二十冊、編著九冊を著しただけではない。ルカーチ、フロイト、カッシーラー、ジンメル等の大作の訳書を四十数点も出版した人でもある。彼は蒼ざめたいわゆる講壇哲学者ではなかった。生そのもののうねりをあげて生きて、自ら考える哲学者だった。その彼が深い畏敬の念をこめて記しているのが、このウェーバー論、あるいはウェーバー・スケッチである。
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とありますが(p254以下)、生松氏がマックス・ウェーバーと同じく56歳で亡くなっているのを知って、ちょっとドキッとしました。
生松氏に比べれば、煙草をパカパカ吸っていた網野善彦氏が74歳まで生きたのは、むしろ長生きだったような感じもします。

生松敬三
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