学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「マグナ・カルタ神話の創造」(その2)

2015-06-17 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月17日(水)07時44分51秒

長大な論文ですが、最後の方に要領良くまとめられている箇所があるので引用してみます。

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六 むすびにかえて─クックによるマグナ・カルタ神話の創造

 前節までで我々は、一二一五年に生れたマグナ・カルタが一二二五年の再発行により文言が確定したこと、以後しばらく国王の専制に対する精神的武器としてしばしばその確認という方法で利用され、その時々の現実劇問題は付属文書で解決されてきたこと、その後もこのマグナ・カルタの象徴的意義は失われなかったが、マグナ・カルタが規定していることと現実とが余りにも乖離し出したこともあり、一四世紀にはほとんど専ら象徴としてのみ用いられて、現実への働きかけという側面を失ってきたこと、かくして中世末に近づくにつれこの象徴的意義も薄らぎ、ついに中世末には政治の世界からマグナ・カルタは忘れ去られたこと、テューダー朝の下でもこの傾向は強まりこそすれ弱まることはなかったこと、シェイクスピアの『ジョン王』はかかる精神的風土の下で描かれ、かくしてそこにはマグナ・カルタへの言及すらなかったこと、しかるにこの同じ時代にルネサンスに伴う好古趣味的研究を通じ、マグナ・カルタの成立・確認の歴史とその条文自体が漸次明らかにされ、又印刷術の発明に伴い、それらが広く一般化してきたこと、これらの情況の下で反絶対王政勢力の人々が─しかもその最初の頃はモアに代表されるカトリック側の者が、次いでエリザベス朝に入るとピューリタン・コモン・ロー法律家が─マグナ・カルタを自らの抵抗の法的根拠として用い出してきたこと、この動きはステュアート朝の開始とともに始まる反絶対王政闘争の急激な変化・高まりとともに、運動の論理的基本はそのままでありながらも政治的には大きな変質を遂げ、マグナ・カルタは単なる「負け犬」の法廷闘争での一根拠から漸次現実政治の核心・憲法闘争の根本に位置するまでに高められ、闘争の場も法廷からむしろ議会へ移ってきていること、ついに一六二八年にはマグナ・カルタをモットーにした反絶対王政勢力によりマグナ・カルタの近代版とも呼びうる権利請願が生み出されたこと、そしてこのような変質を生ぜしめた中心的人物こそが我々が先にシェイクスピアと対置したクックであったことなどを見てきた。
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小山貞夫氏は「こと」を並べるのが好きらしく、数えたら実に11項目の「事書き」ですね。
この後、改行なしに更に「次に我々はこのように十七世紀に重大な働きをすべく復活させられたマグナ・カルタが、あくまでも神話であって、決して一三世紀のマグナ・カルタそのものではなかったことを確認しておきたい」と続くのですが、さすがに長くなりすぎるので省略します。
30年以上前の論文ですが、小山氏がこれだけ詳しく検討されている以上、この問題についての新たな知見というのも実際上なさそうですね。
ちなみに『イングランド法の形成と近代的変容』の巻頭には「恩師世良晃志郎先生に捧ぐ」とあります。
奥付の著者略歴によると小山貞夫氏は「1936年横浜生れ.1959年東北大学法学部卒業.現在東北大学法学部教授」とのことなので、樋口陽一氏より2歳若く、ほぼ同時期に共に世良晃志郎氏に学んだ方なんですね。
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