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森野宗明氏「『慈光寺本承久記』の武家に対する言語待遇に就いて」(その4)─「将軍家を皇室と並ぶがごとき超越的権門として格づけする」

2023-08-27 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』
続きです。(p95以下)

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 このように、どれほど強力な武士団の長であっても、源平棟梁家に服属する家人・郎従と呼ばれるクラスの武士として処遇される場合には、敬語の使用をみないのであるが、そのなかで唯一つ例外が存する。北条氏である。その長である時政も、公家の眼をもって見れば、「伝聞、頼朝代官北条丸、今夜可謁経房云々。(略)件北条丸以下郎従等(下略)」(『玉葉』文治元年十一月二十八日)と、軽侮感あらわに接尾語<丸>をもって呼称される微々たる存在にすぎなかったのであるが、『平家物語』では、散発的ながら、敬語が適用されているのである。前記の源家門葉と同格の待遇といってよく、幕府上層部の主導者として北条氏を別格視する風が、通念として社会的に根をおろすようになったその反映を、そこに見いだすことができるであろう。
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『平家物語』では、「平棟梁家に服属する家人・郎従と呼ばれるクラスの武士」には敬語が用いられないのが原則であるが、唯一の例外が北条氏とのことで、これは『平家物語』の成立時期に関係するのでしょうね。
そして、『平家物語』では北条氏が「源家門葉と同格の待遇」ですが、『吾妻鏡』はどうか。

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 戦記物語以外では、『吾妻鏡』が、武家に対する敬語の適用という点で注目される。特に北条氏に対する言語待遇の高さは、よくいわれることながら過度ともいえる感があり、『平家物語』における北条氏に対する敬語の使用も、それにくらべれば、まったく影を薄くする。北条得宗家による専政体制下に、幕府の正史としての性格を強く帯びる記録として編述されたという事情を反映してのことであろうが、得宗家を中心とした北条氏に対する言語待遇の高さは、ここでは源家門葉をはるかに凌ぎ、鎌倉殿たる将軍家に次ぐのである。
 源家門葉は、「九郎義経主」「北条時政主」のごとく、接民語<主>を用いた人物呼称─『吾妻鏡』の<主>は、他の作品にくらべてかなり重い待遇評価を荷なって用いられる─の適用においてこそ、北条氏と比肩するものの、動作・存在についての敬語表現では、散発的に<被>程度の敬語が適用されるにすぎない。北条氏の場合は、敬語の適用が斉一的であるのみでなく、<被><給>クラスにまざって、<令─給>という尊敬表現の適用例が見いだされるのである。これは、和文における<─せ(させ)給ふ>にあたるより高い待遇評価を示すもので、皇室、将軍家に対する場合に散見する、和文の<─せ(させ)おはします>相当の<令─御>に次ぐ重さを持つ。この<令─給>の適用例が見られるのは、皇室、将軍家といったところで、いわゆる侍クラスでは、北条氏の独占するところである。なお、将軍家に<令─御>をまじえ用いていることも注目すべく、『平家物語』などと異なって、将軍家を皇室と並ぶがごとき超越的権門として格づけする、王朝的秩序からはずれた非公家的価値観の反映がうかがえて興味深い。
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「接民語<主>を用いた人物呼称」とありますが、「接民語」は「接尾語」の誤記ですね。
『平家物語』では「源家門葉と同格の待遇」であった北条氏は、『吾妻鏡』では「源家門葉をはるかに凌ぎ、鎌倉殿たる将軍家に次ぐ」存在で、「<被><給>クラスにまざって、<令─給>という尊敬表現の適用例」までが用いられる存在です。
そして、北条氏をそこまで高める以上、将軍家はもっと高くなければならず、

 北条氏:<令─給> ≒ <─せ(させ)給ふ>
 将軍家:<令─御> ≒ <─せ(させ)おはします>

となって、「将軍家を皇室と並ぶがごとき超越的権門として格づけする」ことになり、「王朝的秩序からはずれた非公家的価値観」が「反映」されています。
ここで1979年の森野氏は「超越的権門」という表現を用いておられますが、これは2006年の川合康氏による「幕府の超権門的性格」の議論を先取りするような感じで、ちょっと面白いですね。

川合康氏「鎌倉幕府研究の現状と課題」を読む。(その1)~(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8d3942ccef43904d40d2affb13acd1ce
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/605611b8db9d85327161d4bce4139188
第一回中間整理(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/77fb0ef4bc57fe064f380ba09d0cbf3f
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