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『五代帝王物語』に描かれた西園寺公相・公基(その1)

2018-01-17 | 『増鏡』を読み直す。(2018)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月17日(水)10時56分10秒

『五代帝王物語』にも西園寺公相・公基兄弟が左右近衛大将として並び立ったことが描かれているのですが、若干意味が取りにくい部分もあります。
少しずつ紹介してみます。(『群書類従・第三輯』、p438以下)

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 大宮院の御せうとたち、公相公基は左右の大将に並て珍らしき例にて侍りしに、父の前相国<実氏公>院の最勝講五巻の日、左右の大将共に具して参せられたりしかば、一家の公卿座を立て礼節ありき。ゆゆしとも申もをろか也。
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『増鏡』には「最勝講なりしかとよ」(最勝講であったか)とぼかした書き方になっていましたが、『五代帝王物語』では「院の最勝講五巻の日」と明確です。
最勝講とは「平安時代以降、清涼殿で、毎年5月中の吉日を選んで5日間、東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺の高僧を召して、『金光明最勝王経』全一〇巻を、朝夕二座、一巻ずつ講じさせて国家安泰を祈った法会」(『大辞林』)のことで、『百錬抄』によると、これは建長五年(1253)五月六日のことです。
この年、前太政大臣・西園寺実氏(1194-1269)は六十歳、公相(1223-67)は三十一歳、公基(1220-75)は三十四歳ですね。
『公卿補任』を見ると、公相は内大臣で、この年の四月八日に右大将から左大将に転じています。
また、権大納言の公基は同日付で右大将に任じられており、確かに「公相公基は左右の大将に並」んでいます。

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近衛大将兄弟任ずる事、帝王摂録などの御子たちは申に及ばず、延喜の比より後、凡人の中には勧修寺の先祖泉の大将定国、三条の右大臣定方、元治には堀川左大臣<俊房公>六条右大臣<顕房公>平家には小松内府<重盛公>屋嶋内府<宗盛公>の外は例なく侍りしを、
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途中ですが、ここでいったん切ります。
近衛大将に兄弟が任ずる例として、「帝王摂録などの御子たち」ではない「凡人」、『増鏡』にいう「ただ人」の場合として、三例が挙げられています。
まず、「勧修寺内大臣」藤原高藤(838-900)の息子、「泉大将」定国(866-906)が右大将となり、「三条右大臣」定方(873-932)が右大将、ついで左大将になっていますね。
ただ、任官の時期は定国が昌泰四年(901)、定方は定国没後の延喜十九年(919)に右大将、延長八年(931)に左大将ですから、かなりずれていて、二人が左右大将として並び立っていた訳ではありません。

藤原定国(866-906)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%9B%BD
藤原定方(873-932)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E6%96%B9

次に「土御門右大臣」源師房(1008-77)の息子、「堀川左大臣」俊房は寛治七年(1093)に左大将となり、「六条右大臣」顕房は承暦四年(1080)に右大将となっているので、寛治七年には二人が左右大将として並び立っているようですね。

源俊房(1035-1121)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E4%BF%8A%E6%88%BF
源顕房(1037-94)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A1%95%E6%88%BF

そして平家の場合、平清盛(1118-81)の息子の重盛(1138-79)が承安四年(1174)に右大将、安元三年(1177)正月二十四日に左大将に転じて同年六月五日に辞任、宗盛(1147-85)が同じく安元三年正月二十四日、右大将となっていますから、安元三年に二人が左右大将として並び立っていますね。

平重盛(1138-79)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8D%E7%9B%9B
平宗盛(1147-85)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%97%E7%9B%9B

なお、私は『公卿補任』を第二編(順徳~後円融院)しか持っておらず、以上は基本的にウィキペディア頼りでしたが、さすがにそれもまずいので、後で確認します。
『五代帝王物語』の西園寺公相・公基エピソードはまだ続きますが、長くなったので、ここでいったん切ります。
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