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「巻九 草枕」(その10)─前斎宮と後深草院(第三日の夜)

2018-03-30 | 『増鏡』を読み直す。(2018)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 3月30日(金)11時20分44秒

続きです。(井上宗雄、『増鏡(中)全訳注』、p217以下)

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 こたみはまづ斎宮の御前に、院身ずから御銚子を取りて聞こえ給ふに、宮いと苦しう思されて、とみにもえ動き給はねば、女院、「この御かはらけの、いと心もとなくみえ侍るめるに、こゆるぎの磯ならぬ御さかなやあるべからん」とのたまへば、「売炭翁はあはれなり。おのが衣は薄けれど」といふ今様をうたはせ給ふ。御声いとおもしろし。
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【私訳】今度はまず斎宮の御前に、院が御自身で御銚子を取ってお酒をおつぎになると、斎宮はとても心苦しく思われて、直ぐには手をお出しになれないので、大宮院は「このお杯はまことにおぼつかなく見えるようですが、古い歌謡の「こゆるぎの」ではありませんが、食べ物以外に何か良いお肴がありそうなものですが」とおっしゃるので、院は「売炭の翁はあはれなり……(炭を売る翁は哀れだ。自分の衣は薄いけれど)」という今様をお歌いになる。そのお声がとても面白い。

ということで、『とはずがたり』では後深草院の歌った今様は「売炭の翁はあはれなり、おのれが衣は薄けれど、薪をとりて冬を待つこそ悲しけれ」とありますが、『増鏡』では前半だけになっています。

『とはずがたり』における前斎宮と後深草院(その7)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b7906f955c00e7d249c9992755d6843d

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 宮聞こしめして後、女院御さかづきを取り給ふとて、「天子には父母なしと申すなれど、十善の床をふみ給ふも、いやしき身の宮仕ひなりき。一言報ひ給ふべうや」とのたまへば、「さうなる御事なりや」と人々目をくはせつつ忍びてつきしろふ。「御前の池なる亀岡に、鶴こそ群れゐて遊ぶなれ」とうたひ給ふ。其の後、院聞こし召す。善勝寺、「せれうの里」を出す。人々声加へなどしてらうがはしき程になりぬ。
 かくていたう更けぬれば、女院も我が御方に入らせ給ひぬ。そのままのおましながら、かりそめなるやうにてより臥し給へば、人々も少し退きて、苦しかりつる名残に程なく寝入りぬ。
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【私訳】斎宮がそのお杯を召した後、大宮院がお杯をお取りになって、「天子には父母がないと申すようですが、あなたが天子の御位におつきになったのも、もとはといえば、この賤しい私が後嵯峨院にお仕えしたからです。一言お礼の言葉がおありでも良いのでは」とおっしゃると、人々は「もっともな御事であります」と答えて、互いに目くばせをして、そっと(肩や膝などを)つつきあう。院は「御前の池なる亀岡に……(御前の池の中の亀岡に、鶴が群れて遊んでいる)」と歌われ、その後で杯を召しあがる。善勝寺隆顕は「せれうの里」を歌い出す。人々も声を合わせて歌ったりして座が乱れるほどになった。
 こうしてたいそう夜が更けたので、大宮院も御自分の御寝所に入られた。院はご酒宴のお座席のまま、うたたねのようにお寝みになったので、人々も少し座を退いて、酒宴で苦しかった疲れで、まもなく眠ってしまった。

ということで、『とはずがたり』では大宮院の嫌味っぽい発言に、後深草院が「生を受けてよりこの方、天子の位を踏み、太上天皇の尊号をかうぶるに至るまで、君の御恩ならずといふことなし。いかでか御命をかろくせん」と答えてから長寿の祝意を込めた今様を歌っていますが、『増鏡』では同席の人々が「人々目をくはせつつ忍びてつきしろふ」という反応を示したことになっていて、これは『増鏡』が追加した独自情報です。
また、後深草院の歌った今様は、『とはずがたり』では「御前の池なる亀岡に、鶴こそ群れゐて遊ぶなれ、齢は君がためなれば、天の下こそのどかなれ」とありますが、『増鏡』では「売炭の翁」と同じく、これも前半だけに圧縮されています。

『とはずがたり』における前斎宮と後深草院(その8)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ae43ba1f371fddaab34e4e8d6ca7f22d

さて、『とはずがたり』では後深草院は前斎宮と一度関係を持った後で、簡単に靡くつまらない女だったと感想を述べ、三日目の夜、二条の予想に反し、「酒を過して気分が悪い。腰をたたいてくれ」などと言って寝てしまいます。
しかし、『増鏡』では後深草院は再び行動を起こします。

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 明日は宮も御帰りと聞ゆれば、今宵ばかりの草枕、なほ結ばまほしき御心のしづめがたくて、いとささやかにおはする人の、御衣など、さる心して、なよらかなるを、まぎらはし過ぐしつつ、忍びやかにふるまひ給へば、驚く人も無し。
 何や彼やとなつかしう語らひ聞こえ給ふに、なびくとはなけれど、ただいみじうおほどかなるに、やはらかなる御様して、思しほれたる御けしきを、よそなりつる程の御心まどひまではなけれど、らうたくいとほしと思ひ聞え給ひけり。長き夜なれど、更けにしかばにや、程なう明けぬる夢の名残は、いとあかぬ心地しながら、後朝になり給ふ程、女宮も心苦しげにぞ見え給ひける。
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【私訳】明日は斎宮もお帰りになるとのことなので、院は一夜だけの草枕を、もっと結びたいものだという御心を抑え難くて、たいそう小柄でいらっしゃる院が、お召物などもそのつもりでしなやかなものを着て、他の物音とまぎらしながら、そっと行動なさるので、目を覚ます人もいない。
 院が斎宮に何やかやと親しくお話しなさると、御心も靡く訳ではないけれども、ただとてもおっとりと柔らかく、放心したようにしておられる御様子を、まだお会いしない以前に、斎宮のことを思って、あれこれと御迷いになったほどではないが、院は可愛らしくいじらしいと思い申しなさった。長い夜だが、夜更けからお会いになったせいか、ほどなく夜が明けてしまって、夢のような契りも名残惜しく、まことに物足らぬ気持はするものの、きぬぎぬの別れをなさるころには、斎宮もお別れがつらそうに見えた。

ということで、ここは『とはずがたり』の引用ではなく、『増鏡』が独自に創作した部分です。

なお、上記部分の井上宗雄氏による現代語訳はリンク先にあります。

『増鏡』に描かれた二条良基の曾祖父・師忠(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0efc706949a928b66c77229605401cfa
『増鏡』に描かれた二条良基の曾祖父・師忠(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/df0899e23c002603657e1e65c0542a0c

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