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河北新報・片桐大介記者(その2)

2013-11-08 | その他
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年11月 7日(木)23時38分14秒

>筆綾丸さん
>外来種セイタカアワダチソウ
これは実際その通りで、単なる事実の記録でしょうね。
片桐記者の記事、よくありがちなパターンですが、最後の反原発の主張を盛り上げるための脚色がくどい感じがして、私は良い印象を持ちませんでした。
牛脂を注入して霜降り肉に仕立てた加工肉をステーキとして出されたような心境です。

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<資産賠償なし>
 小高区も甚大な津波被害を受けた。津波による死者は147人で、全壊家屋は319棟。
 「戻りたくない。海は嫌だ」。海岸近くの小高区塚原に自宅があった無職小沢明子さん(52)は、南相馬市原町区のみなし仮設住宅の借り上げアパートに入る。自宅は土台も含め一切合切が津波に流された。
 「流失した建物は賠償の対象外」とする東電からは、資産賠償を受けていない。「(建物の一部が残っていると)うそをついて賠償を受ける人もいるのに」と東電担当者に不思議がられた。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1125/20131105_01.htm

津波は東京電力が起こした訳ではないから「流失した建物は賠償の対象外」は仕方のないことですが、興味深いのはその後の記述です。
実際のやりとりがどのようなものだったのかは分かりませんが、おそらく東京電力の担当者は、詐欺の教唆にならないよう注意した上で、書類さえ整えてくれれば賠償請求ができますよと暗示している訳で、親切と言えば親切な話ですね。

片桐記者が志賀勝明氏と出会った請戸橋の近くには棚塩という地区がありますが、ここに浪江・小高原子力発電所の反対運動の中心となった舛倉隆という市民運動の世界では有名な人物がいたそうです。

浪江・小高原子力発電所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AA%E6%B1%9F%E3%83%BB%E5%B0%8F%E9%AB%98%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

Hisato Nakajima氏のブログ<東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解く>
http://tokyopastpresent.wordpress.com/tag/%E6%A3%9A%E5%A1%A9/
http://tokyopastpresent.wordpress.com/tag/%E8%88%9B%E5%80%89%E9%9A%86/

『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』
http://www.pen.co.jp/syohyou/s-datugen/syohyou9109.html

頑強な反対運動に苦しんだ東北電力が浪江・小高原子力発電所建設を正式に断念したのはつい最近で、福島第一原発の事故がとどめを刺した訳ですが、原発の危険性には鋭敏だった舛倉隆氏の自宅を含め、津波が棚塩地区の全てを流し去ってしまったのはずいぶん皮肉な感じもします。

写真は上から請戸橋、棚塩集会所遠景、棚塩集会所近景です。
2013年4月9日撮影。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7004

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