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山本忠士氏「大正期日本の海外特派員報道」

2013-12-27 | その他
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年12月27日(金)19時57分5秒

>筆綾丸さん
>神田正雄
検索してみたら、次のような人物が出てきました。

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神田正雄 かんだ-まさお
1879-1961 大正-昭和時代前期の新聞記者,政治家。
明治12年3月18日生まれ。42年大阪朝日新聞社に入社。のち東京朝日新聞社の政治部長,外報部長をつとめる。大正12年同社の編輯(へんしゅう)委員となり,緒方竹虎らと4人の合議制で編集局長職を代行。13年衆議院議員(当選2回,民政党)。昭和36年8月2日死去。82歳。栃木県出身。東京専門学校(現早大)卒。
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E6%AD%A3%E9%9B%84

ただ、この人の経歴と「四川省重慶村達用学堂の教習」という肩書きが結びつかなかったのですが、リンク先の「Traveling LIBRARIAN -旅する図書館屋」というブログによれば、

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神田正雄(1879-1961)は、早稲田大学出身の新聞記者・政治家。彼が大阪朝日新聞に入社する明治40(1907)年だが、大学卒業後の三年あまりを、当時日本にその様子が伝わっていなかった四川省で過ごしていた。重慶府達用学堂の教習として招聘されたためである。神田は3年の赴任期間が終わってから半年間四川省を行脚し、帰国してから彼の地の地理・風俗・歴史をまとめた。その成果が本書である。
http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20090331

とのことで、書名は 「西清事情」のようですね。
福沢諭吉の「西洋事情」をもじったものなんでしょうね。

近代デジタルライブラリー 「西清事情」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993882/1

神田正雄は大正4年(1945)の対華二十一か条要求交渉時に朝日新聞北京特派員だったそうで、山本忠士氏の「大正期日本の海外特派員報道-「21か条要求」交渉と東京朝日新聞を中心に-」という論文には神田特派員が関与した奇妙な一件が紹介されていますね。
当初、日本政府が極秘にしていた要求内容を神田特派員が中国側から入手して送信し、東京・大阪朝日新聞は大スクープとして号外で報じたのに、それを翌日、新たな号外で取り消し、更に翌々日、念入りに取消記事を出したのだそうです。

http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf04/8-88-2003-Yamamoto.pdf

山本忠士氏によれば「情報戦では、中国側が序盤から日本を圧倒し、完全に主導権を握った形で進行」し、「以後、中国の新聞は、国際都市北京を舞台に外国新聞・通信社を巻き込み、日本包囲網を形成してい」ったのだそうで、現在の国際情勢を髣髴とさせる、なかなか興味深い指摘ですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7098
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